世の中は、あの建築構造計算偽造問題で揺れています。
建築確認検査機関の問題もあるし姉歯氏は一級建築士でした。
一級建築士として、誇りを持って仕事をされてこられた方々も心を痛めているご様子。
また、建築が大好きで、一級建築士受験勉強に励んでいる方々の気持ちにも水を差す事件でした。
そんなことから、つらつらとこんなことを考えています。
医師・弁護士・建築家
というのは、欧米では最高水準の倫理感や能力を有する者が従事する
特別なステータスのある職業と見なされているそうな。
欧米に限らず、日本でも、憧れの職業ではあるのだろう。
(ただし、昨今、米国では弁護士は訴訟屋とも言われ、必ずしも尊敬されていない方々もいるらしい。)
これらは、なるのが難しい職業なのか、それとも、まっとうするのが難しい職業なのか?
ただ、基本的には、欧米では伝統的には、建築家というのは
少なくとも、医師・弁護士に較べて、なるのがむづかしい仕事だとは思われない。
どちらかと言うと、まっとうすること、認められられることが難しい職業じゃないかと思う。
その意味では、芸術家の部類である訳だ。
しかし、何故、画家、彫刻家、作曲家達と離されて
医師・弁護士と並びたてられるようになってしまうのか。今回はその疑問は保留しておく。
さて、日本において建築士というのは、そもそもなんなのだろう。
先の意味で建築士=建築家では、とうていなさそうだ。
この日本における建築士なるものの、得体のなさを考察するに、まず
医師・弁護士・日本の建築士を並べて違いを検討してみる。
この考察の興味は、はたして建築士が医師・弁護士と並び称される職業なのかという問いでもある。
そうでないとすれば、建築家と建築士の距離は非常に大きい。
特徴しては、建築士というのは1級、2級がある。
2級医師、2級弁護士というのは聞いたことがない。ナースには似たような制度があるのだろうか?
建築士の特徴には、建築確認申請制度というものとの関わりがある。
つまり、建築士は設計した建物が建設されるにあたって
個別案件1つ1つに、作成した設計図書のお上の確認検査が必要とされる。
正確には建築確認申請を要求されるのは、建築士ではなくて建築主ではあるようだが。
しかし実質上は、建築士の仕事、案件ごとに、作成した設計図書のお上の確認検査が必要とされると言って良いだろう。
弁護士がクライアントの弁護活動を行うにあたって、
個々の案件について、お上に弁護活動(計画)確認申請書が必要だったら笑ってしまう。
弁護活動中間検査なんて受けていたら笑ってしまう。
医師が患者さんに、治療を処置するにあたって
個々の案件についてお上に治療行為(計画)確認申請書が必要だったら笑ってしまう。
治療行為中間検査なんて受けていたら笑ってしまう。
ようするに、建築士という資格、建築士の仕事は、医者や弁護士の仕事や資格と違って信用のできないものだと
国からお墨付きを貰っているのである。その資格を与えている、資格を得るように強要しているのは国家なのにである。
今、一連の事件で世間で話題になっているのは、建築の認定民間確認検査機関である。
それまでは、この手の業務は所轄行政の建築指導課等、建築主事が行っていた。
いづれにしても、こうした機関が必要(強制)であるなら、建築士制度は必要ないし
建築士制度が必要なら、こうした確認検査機関は必要ないのである。少なくとも両方の制度があること自体が無意味なのである。
あるいは、両方の制度とも無意味なのかも知れない。
建築設計、施工監理を必要とする社会のニーズに何の貢献もしていないのである。無駄な雇用創出、集金制度なのである。
職業の為の職業なのである。所轄官庁がなにかやっているふりする、天下り先をつくる為だけの、何の役にも立っていない制度なのである。
一生懸命仕事をして、稼いだお金で、住宅やビルを建てたいと思い、優れた設計を欲しがる人から
意味のない手数料を搾取する無駄な雇用を生み出す制度なのである。
この得体の知れない構図こそが、建築士制度、建築確認検査制度なのである。
私は、民間確認検査機関で良いと思う。そして建築士制度はいらないと思う。
建築士制度はあっても良いかも知れないが、
建築主は建築士を頼らないで建築設計してもらい、建設してもらえるようであって良いと思う。
建築士であるかどうかは、建築主が誰に建築設計を頼むかの参考程度のもので良いだろう。
建築士に相当する民間資格が存在するようになって、国家資格である建築士より、建築主らの評価が高くなっても良いと思う。
①法治国家である以上、建築基準法等条例等に違反する建築物は存在してはならない。
違反する建物は原則、すみやかに完全適合にするか建物自体の撤去である。行政は、いかなる情状も斟酌することは許されない。
行政は原則、設計図通りに、建築されているか、なんらかの方法で確認できうるべきだ。だからと言って設計図が合法であるかの責任を負う必要はない。
建物が出来てしまってから、好きなだけゆくっり図面をチェックして、設計図が違法であったら、撤去命令とかを出しても良いのである。出さなくてはならないのである。
さて、そうなった場合の損害を誰が被るのか。勿論、是正、撤去を命じる行政(血税)がそれを被る必要はない。
それは、原則、建築の保有者であり、建築主である。そして彼らがその責任を誰に肩代わりしてもらうかは純粋に民事契約上の問題である。
②さらに建築基準法等違反の他、建築主、建築所有者が、自からその建築で生命が脅かされるたりするのは、基本的には建築所有者の自己責任である。
③建築主、建築所有者が、その建築を他人に利用させて、その人の生命が脅かされれば、それはその建築主、建築所有者の責任である。
ただし、事前に例えば、建築設計者や建設業者が文書をもって、それらの責任を替わってとる契約になっているのなら、その契約は有効でなければならない。それ無しに、建築士法に記載されているような、自動的になんらかの責任があるような文学的な文章ははなはだあいまいで、誤解を生む以上の意味をなしていない。保証賠償として機能するのは個別の民事契約内容だけなのである。これは今回の事件でも明かであろう。
①をクリアしていることが、②③の場合の免責になるとは限らない。実際の裁判になれば、免責を得やすいとは思うが。
また血税を使うことになる行政は②③に介入する権利はないことにした方が良いだろう。血税を使うしかない行政のお墨付きや保証は結局無責任なのだから。
(①)建築主、建築所有者は、まず設計が違法建築になってしまっていて建設して撤去など余儀なくされるリスクに備えるべきだろう。そうなった場合に備え信頼に足る損害保険会社と契約すべきである。あるいは設計者、建設会社等が損害を肩代わりするという契約を提示した場合でも、彼らが破産倒産した場合に、信頼に足る(資本力がある)損害保険会社が保証人的についているか確認すべきであろう。この場合、設計者、建設業者と保険会社はお互いの免責事項について綿密な取り決めが要求されるだろう。そして保険会社はリスクを限りなくゼロにする為に、信頼に足る民間確認検査機関を利用することができるだろう。信頼の源泉は民間確認検査機関の資本力ではなくて、ちゃんと検査確認業務をやっているかどうかである。ここに国や行政が足しになる余地はないし、余地があるべきでもない。
(②③)これは建物免震システムなど特別な設計をし建設した建物の、地震保険料等にかかわることでもある。免震等でも普通よりさほどの耐震性しかない場合もある得るとの関心も必要だ。免震だから柱を細く、梁を少なくできる等の興味で設計をする技術者も少なくない。結局これは地震のとき他の免震でない建物と同じように損傷すれば良いという免震の設計思想である。もちろんそうでない免震設計こそが普通だろう。
④建築基準法、政府刊行物、建築士試験の内容では推し量れない高度の水準の設計ができる設計士は、クライアントや保険会社に、自分の能力を自由にアッピールすべきだろう。自分も世間も信頼している、建築家、学者、技術者の著作物、論文等を明示して、この水準で私は設計しますと言っても良い。卒業した教育機関の水準に見合った仕事をしますでも良い。嘘を言ってないなら、裁判でも本当にその水準の理解力で仕事をしていたかは検証できるはずなのである。裁判官は良識をもってそれが現実的な人智の範囲であったか判断できるだろう。誇大広告は裁かれ処罰されるべきである。
今の建築士の立場が、行政がおこなった誇大広告の産物のようにも思われる。国家資格取得者は責任をとらずに、責任能力がないのに既得権意識が勝りすぎているかも知れない。まるで社会主義国家の中で、党員になれたかのような振る舞いに近い。自分では実務をせずに管理者気取りではないのか。
有資格者(党員)に任せかせましたは、免責にはならないのである。これをあいまいに許すから、責任の所在が途絶える。有資格者に責任能力の根拠はないのである。
(②③)建築は消防法を順守すべきことは勿論だが、保険会社独自の保険料を決める価値判断はあっても良い。
消防庁は消防隊員がより低いリスクで消火、救助活動できるか個別の建物の情報に関心を持つべきだろう。活動を躊躇したくなるなるような建物の情報を把握しておくべきで、それを建築主、保険会社等に勧告しておくことも良いと思われる。実際に活動を躊躇したとしても、必要以上にとがめられる必要はないだろう。建物の使用者、利用者は、そうした情報を知りえるべきである。
建物によっては、最上階等に建築主、建築所有者で私設消防隊を常駐させるような考え方も必要かも知れない。
建築を愛して仕事をしている方々、そうした仕事を目指している方々、建築士の勉強は何だったのか、何を勉強しているのか
疑問に思うことも大切かなと思う。建築を愛するがゆえ、そうした疑問が将来役に立つことがあると思う。
建築士になる為、受験予備校で、本来じっくり考えるべきプラニングをさっさとやるテクニックを教えてもらい
製図試験で、図面の植栽に鉛筆の点々で影をつけたりして、私は受験予備校に授業料払っていましたということを
採点者にアッピールする。こんなことで合格した資格で本当に良いのか。もっと現代的な設計現場が要求する能力を問う試験であるべきように思う。
そもそも製図試験の採点者とは何者なのか、受験予備校の関係者とどのような情報交換をしているのか。
④のような設計活動を促すような制度であっても良い。このようなスタンス、能力のバックグラウンドで私は開業しますという、届出制にすることも可能かも知れない。クライアントは届出内容を知ることが出来なければならない。届出内容に虚偽があってはならない。無届開業は許されない。
多くの人に、建築家、設計士として、良い仕事ができるように、自己責任で研鑚に励んで頂きたいものである。
女優菅野美穂さんのように、いつもいつも、人の幸福の為の自分の役割を愛し、果すことを熱心に考えているようになりたいものであります。
ちなみに、私は建築士に関して、その取得者第1号は、土建金権国家中興の祖でもある故、田中角栄元総理とも聞いたことがあるんですが、本当なのかなぁ。
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