2009年10月10日 (土)

IT活用の未来・政治献金・個人投資

キャッシュカードでもプリペカードでも携帯でも、ITオンラインで小口小額個人献金への道。ちりも積もれば山への道。このシステムでの手数料低価格化システム開発競争。日本の政治をもっと変えうるのではと思う。あまりにも、変えうるので、各方面、官僚・金融関係が、そうならないようにとしているような気がする。

何が変わるのか。政治家の資金面での支持母体として、大企業、大団体の影響力が弱くなるベクトルを持つ。官僚が横暴できなくなるベクトルが強くなる。

大企業の株売買の取引単位の金額と手数料もITを駆使して、極限まで小さくして欲しい。できないことはないハズなのだが、多くのファンドとかなどが崩壊するので、既得権を守るためにそうならないようにしているような気がする。

大企業、大団体が、小口献金、小口投資を装って、これを利用できないようにする、抜け道のないシステムを確立することが肝要である。

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2009年10月 9日 (金)

Jrubyの勉強3

「JRuby Java3D」でググってみて、http://karetta.jp/book-node/jruby-cg-program/031388のサンプルスプリクトをコピーして、NetBeansで実行したらうまくいってめでたしだった。

RubyとJRuby、どちらが良いかはいちがいには言えないと思うが、Rubyで既存のC系ライブラリを活用するより、JRubyでJava系既存ライブラリを活用する方が、プログラミング作業的には有利そうではあるようだ。既存Javaライブラリを活用しないで、JRubyの為に新しくJavaライブラリを作るのならば、JRubyでライブラリを作った方が良いとは思うが、引数の個数が同じでも、引数のクラス型が異なればメソッドをオーバロードできるJavaはそれなりに魅力がある。やはり自分で作ったJavaライブラリパッケージをJrubyで使ってみたくなるかも知れない。Javaプログラミングは、Eclipseを使ってやりはじめていたのだが、NetBeansでやり直す準備をした。使っていたEclipseは古いのかも知れないが、オンラインマニュアル・ヘルプはNetBeansの方が判りやすい気もする。Javaは、変数を使う前にクラス型宣言が必要な、まぎれもないコンパイラ言語かと思う。この煩わしさがない動的インタープリター言語であるRubyはやはり、楽しいプログラミングになりそうだ。Mathematicaもインタープリター系かと思う。誰かが、Ruby用のMathmaticaのようなノートブックを作ってくれたらMathematicaやMathLabの大きな脅威となるような気がするし、いつか、そうなるような気もする。

JRubyのgemで管理できるライブラリがRubyと遜色ないかはこれからの勉強だが、少なくともRubyに関する限り、数学系のフリーウェア・ライブラリでも便利で使い手がありそうだ。Javaでは、ライブラリを探すことからして面倒で意欲がなえた。

Javaでライブラリを書いてみるかもしれないが、作ったアプリのスタート(起動)クラスがJavaであることは、私の場合は、もう想定できない。やはり(J)Rubyスクリプトであろう。

変数名などプグラミング予約語以外で、日本語、漢字熟語が使えないのは、とても残念である。プログラミングにおいて、漢字熟語が使えると、日本人、中国人にとって有利でもある。漢字熟語はとてもコンパクトでプログラミングの可読性が良いのである。英字予約語とプログラマー定義漢字熟語の組み合わせは、見た目とても判りやすいプログミングになると思う。

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2009年10月 8日 (木)

Rubyのまつもとさんと湯川秀樹博士

Rubyの存在は、大型書店のコンピュター言語棚に関連本が増えてきていたので知っていた。プログラミングを職業とすることはなかったが1958年生まれで、一応理科系の穂影としては、グリーンディスプレイのPCで1と0のコードを本からコピーすることから始まって、初期のインタープリターのBasicから、カード穿孔機でのフォートランプログラミング、Lisip,C言語などを、少しさわってきていた。その後、Mathematica4.0を使い始めてから、言語に触れることはなくなっていた。Mathematica7.0にJlinkがついたので、割と最近になってJavaをやってみようかなと動きはじめていた。

Rubyに興味を持ったのは、GoogleSketchupnがきっかけである。

Rubyが、まつもとゆきひろさんという、日本人の手によって、オープンソース環境で開発されたというのは、ごく最近知った。しかも、それが世界で認知されている、というより、日本より世界で、しかもグーグルやサンマイクロのような世界の大企業がそれを認めているというので驚いた。すばらしい日本人がいたものだと驚いた。

私はトロンの坂村健氏のことは良く知らない。ただ朝日新聞や読売新聞などでも、少しは昔から紹介されていたのは知っている。また私の知人などでは、坂村氏はすごい人だという人も少なくなかった。しかし、結果的には、日本人による世界のディファクトスタンダードの道という結果を考えると、結果、ものすごく、かっこ悪い、古い人という印象を持ってしまう。それに較べて、私にとって、まつもとひろゆきさんは、湯川秀樹博士クラスの尊敬の対象かも知れない。外国の人から見れば、理論物理学オタクでなければ、アイシュタインはともかく湯川博士の名を知っている人は少ないだろう。理論物理学オタクよりプログラマーの方が多いので、外国人でまつもとひろゆきさんの名を知っている外国人の方が、はるかに多そうである。その意味では頭脳知性で勝負する人としては湯川秀樹博士より、まつもとゆきひろさんの方が凄い日本人だという気がする。

これまでの自分のことを棚に上げて、コンピュターにあまり興味がない日本人にも、もっと、まつもとゆきひろさんのことを知って欲しい気がする。朝日新聞や読売新聞も、まつもとさんを紹介したことはあるようだが、かつて坂村健氏を紹介した百倍、二百倍ぐらい、日本人に紹介しても良さそうに思う。

まつもとゆきひろさんが、ネット上やコンピュターサイエンス界以外、すなわち読売新聞や朝日新聞とかで、どのくらい紹介されているのかググってみた。2006年ぐらいからあるようなのだが、その時は私はその凄さを見逃していた可能性がある。

参考にしたのは

http://www.netlab.jp/media

である。

また以下のネット掲載されている梅田望夫氏とゆきひろ氏の対談に興味を持った。

http://www.netlab.jp/media/2007/12/03/2007123-itprobp/

まつもとゆきひろさんの>僕の場合はプログラマ限定なんですけど,プログラマというのは抑圧されていて(笑),上から押し付けられたツールを,こんなものを使いたくないと思いながら仕事をしていることが多いんです。もっと自由にツールや言語を使ってハッピーになろうよ,可能性を発揮しようよというのが僕の言いたかったことです

という言葉がすごくカッコイイのである。プログラマに限らず、すべての職業で、本来は、上から押し付けられたツールを,こんなものを使いたくないと思うべきところを、それを我慢していることがプロだと勘違いしている、それを既得権、保身の源泉としている人が多くないだろうか。旧態とした法文などをよりどころにしている官僚や法曹界の人間などその象徴だし、その他多くのビジネスマン、技術者、職人に似たようなところがあるような気がする。

蛇足だが、坂村健氏について、こんなネット掲載を見つけてしまった。http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/Sakamura.html

どうも、坂村氏の罪というわけではなく、こんなカッコワルさを感じてしまう時代なのかもしれないが、必ずも悪いパラダイムの予感というわけではないようにも思える。

まつもとゆきひろさんへの尊敬を、自分なりにRuby、JRubyに触れてみる、それを役立てることができないだろうだかと、ささやかに苦心することで表してみたい。

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JRubyの勉強2

やはり毎回コマンドプロンプトでjrubyを実行するのは難儀なのでIDEとしてRuby用のNetBeans IDE 6.7.1をインストールした。RubyプラットフォームとしてはJruby 1.2.0となる。

出力の日本語が文字化けするので、「NetBeans 出力 文字化け」でググって

http://www.digo.jp/top/?p=112

http://mz.skr.jp/note/2007/05/netbeans-ruby.html

にならって、NetBeansのインストールホルダー内ectホルダー内のCONFファイルに -J-Dfile.encoding=UTF-8を

netbeans_default_options="-J-Dorg.glassfish.v3.installRoot=\"C:\Program Files\sges-v3-prelude\" -J-client -J-Xss2m -J-Xms32m -J-XX:PermSize=32m -J-XX:MaxPermSize=200m -J-Xverify:none -J-Dapple.laf.useScreenMenuBar=true -J-Dsun.java2d.noddraw=true -J-Dfile.encoding=UTF-8"

と加えた

このNetBeanを使った方が会社のPCでもgemをダウンロードしやすいようだ。

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2009年10月 5日 (月)

JRubyの勉強1

2009年10月5日

Jrubyを「JRuby 徹底入門」(ソーテック社)を使って勉強し始めた。

本の通りに、jruby-bin-1.1.2をダウンロードして、C:\jruby ディレクトリにして環境変数も本の通りにして、例題とか上手くいっていたのだが、jruby -S gem rake コマンドで失敗した。

結局、jruby-bin-1.1.2をやめて、jruby-1.4.0RC1をインスト-ラーでイントールし環境変数も自動設定してもらって、コマンドjruby -S gem rakeが実行できた。使っているファイアーウォールの設定変更も必要なかった。

このイントーラーは

http://kenai.com/projects/jruby/pages/Home

にあった。

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2009年6月 4日 (木)

一生懸命

一生懸命って大切だと思う。

一生懸命であることを、評価・称賛・敬愛し、場合によっては、その前提で、人にそれを期待することも、よろしいかなと思う。

ただ、一生懸命の型というのは人によって、違っているんだと思う。

だから、型まで含んで、特に自分固有の型で、人に一生懸命であれとさとすのは、よろしくない。

人から、特定の型で、一生懸命であれと、圧力をかけられて悩んでいる状態から、場合によっては、人目を気にせず、早く自分の型を見出して、一生懸命になれることが肝要である。

何故、一生懸命になれるのか、それは自分の納得の為であり、人に納得してもらう第一歩である。納得は知りたがることでもある。知りたがることなくして、自他を欺いて、一生懸命はない。

感じることは知ることである。感じないで知ることに価値はない。

人からの評価を得るのに急ぐな。それは死んでからっだって、とわの先だって良い。自分の納得が大切である。

一生懸命である人々が集って、何事かを成すこと、美しくも素晴らしい事である。

板の上や、映像で、演劇活動にかかわっている方々、

ウェブ上で、オープンソース、フリィーウエア、API、クラスの開発に参加している方々、

ブロガーたらんとしている方々

うらやましくもある。

営み、事業とは、そうでありたいものである。

人づきあいが苦手であっても、どこかで、つながって、一生懸命が生きる通路は必ずある。

経済、金融、投資はインフラでもあり、重要でもあるが、二の次で良い。株・投機 そこにどんな自分の納得があるのだろうか?

貯えることに納得を見出すのは、否定しない。

人生には限りがある、背負って生まれてきたものを生かし克服し、同類を勇気づけられる、進化の可能性を示唆できる、美しいアンガジェマンで終わりたい。道半ばも立派なアンガジェの有終である。

どういう気持ちで、闘病するか、キーパンチするか、どぶすさらいするか、官僚するか、育児するか、政治家するか、かしづくか、軍人するか、ベッドメーキングするか、・・・すべて一生懸命に足る重要なアンガジェである。

知りたいことに、一生懸命であれ。一生懸命が、感じるに値すること、知るに値することを生みだす。

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2007年4月25日 (水)

ネットパラダイム匿名性を守ること

24日読売朝刊。高校生の投書。学校でネットの自己紹介ページがはやっていることについて。その危険性を指摘している。

私は穂影というHNを使って、匿名主義である。もっとも本気でさぐられたら、あっけなく身元など割られてしまうだろう。幸い、ひっそりとやっているので、わざわざそんなことをしないでいてもらっている。これからもそうあって欲しい。穂影って実は○○なんだぜみたいのが掲載されたら、訴訟を起こしたいところでもある。

逆に、このような意味で、訴訟をおこされてしまうことにも気をつけなければならないだろう。

自身のこともそうだが、身近な知人の名前も、それとわかってしまうような記述も、書くべきではない。具体的な小店舗に対する言及も危険である。どんなに不満があっても店員の名札の名前など出すなどもっての他だろう。

ただ、政治家、芸能人、名を売ってなんぼの公人は別だろう。あるいは新聞や公的ニュースに名があって、その内容に言及するときは別だと思っている。

匿名情報は信頼できない。当然である。だから、このブログなんかもそうである。そのつもりで書いている。

匿名じゃなくて、肩書や看板で信頼度が増すのだとしたら、逆にそれに頼らないで、書いた内容の論理構造等だけで、読者の共感が得られるなら、それが醍醐味でもあろう。私は期待されるネットパラダイムというのは、そのようなものだと思っていた。無論、おなじ意味で記載内容に反論があれば、謹んで対応したい。お前のような身分だから、立場だから、そんなことを言うんだという、議論に進展させないのが、ネット上議論の魅力であろう。

ビジネスシーンでは、それなりに秘密はある。だからSNS的な、限定的ネットサークルを利用するのも、ネットツールの1つであろう。ただ個人的には、なんで趣味的な世界で、SNSを利用したがるのか、その気持ちは、理解していない。そもそも、よほど特別なケースでない限り、身元がわれていないHN以外をネットで流通させる神経が理解できない。

趣味の範囲で帰属意識を持ちたがるのは、私のネットパライダイムにはないのだ。ネットでなければ別ではあるが。

いづれにしても、先の高校生の懸念は、しごく、まっとうなことで、ネットの間違った使い方というのは、ネットパライダイムの発展上も悲しいことだと思う。

話題の「電車男」はちゃんと見ていなかったけど、電車男を囲むネットの住人にはよしとしても、電車男は一歩間違うとエルメスさんにネットをつかって重大な迷惑をかけることになったのでないかと思っている。

十分注意してるつもりでも、いろいろと難しい問題はありそうだ。面倒くさがらずに、勉強していく他はないだろう。私も良く考えるとマズイことを既にネットでしてしまっている。

世に自動車という便利なものが発明されて以来、いろんな関係法律が整備されてきた訳だ。自動車はある意味、凶器なのだから当然である。今の道路交通法だって、改善の余地がないほど完成されているとは言えないだろう。ネットも同じなのかもしれない。ネット悪用すれば、人を自殺に追い込むこともできる。面と向かって悪口を言う、友達同士でヒソヒソ悪口を言うのとは違うのだ。考えようによっては死刑に値する犯罪かも知れない。自動車以上に危険なものを手にしているのだという自覚が必要だろう。犯罪者、過失者を野放しにしない環境も必要かもしれない。

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2007年2月11日 (日)

アクセスカウンター更新

アクセスカウンターがおかしくなったので。ココログ純正のカウンターに替えてみた。もともと、あのカウンターはもうひとつ開いているブログとの合算カウンターでもあった。こちらのブログは3分の1のアクセスでしかなかったのだ。

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2006年12月12日 (火)

少子化対策

12日の朝日朝刊。新しい少子化対策の目玉となる乳幼児への児童手当の加算についての記事。

少子化対策にどれだけの効果があるのか疑問としている。私もそう思う。

新聞は育休みや短時間労働の促進など、男性を含め、子育てしながら働ける環境整備が欠かせないとしている。

昔の日本人の大半は、働く女性だったと思う。農家の主婦は主婦専業ではなかったのだ。お店の女将は店主が旦那だったとしても主婦専業ではなかったのだ。男にしろ、女にしろ未来的にいって、もっと在宅勤務を普及させることが、解決の1つかも知れない。職住一致時代への回帰である。

IT・インターネットとロジスティックスの技術進展で、これまでの、巨大オフィス、大店舗に就労する人口が多かったことを、変えてしまうことが期待される。管理系ホワイトカラーは最小限の数になる。

従業員の頭数から搾取して財を成す仕事は、あまねくは、なくなる時代の到来である。

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2006年9月 9日 (土)

反射光 「新聞よさらば」

SAGAさんの「新聞よさらば」という記事に自分の記事

をTBさせて頂いたけど、かなりSAGAさんの記事の内容にそぐわないものでした。

 ただSAGAさんの言う

冒頭に述べたようにネット化が進みほぼリアルタイムでニュースを読める現代では、即時性のない新聞のニュースに余り意味はない。新聞の価値は社説その他の企画で決まるのであり、だからこそ以前にも増してこれらのコラムは重要なのである。論説委員が矛盾だらけの駄文を書くようでは新聞をとる意味がまったくないのだ。

ということから、私はむしろ、ネット以外のニュースすなわち、紙の新聞、紙の出版の将来というものの現状とか、私の将来の期待に気をとられてしまいました。

 今一度、SAGAさんの記事にそくして、私なりに感じるところを記せば、

SAGAさんに言わせれば、新聞社は、コラムや論説委員の文章があってなんぼのもんということと言ってよいのかな? 

 ただ私はまだ、SAGAさんの言われる、ほぼリアルタイムのニュースでも新聞社を頼っているところがあるかもしれない。今でも新聞社の記者の取材能力の権威を無意識にしろ、評価しちゃっているんだと思う。そう思い込む良し悪し無しに。

 ただ、SAGAさんの言われるように、あんなコラム、論説しか書けないような、新聞ならコラム、論説無しの、ヤフーニュースやグーグルニュースが(必要なら信頼に足る)記者やカメラマンを直接雇って、ネットで流せば良いのであって、「新聞よさらば、新聞社よさらば」と言っても良いのかも知れない。

 ところで、ネットでニュースを得ることなんですが、私はこれまで、読売朝刊、朝日朝刊を購読していることもあって、ネットを利用していませんでした。

でもSAGAさんの記事に影響されて、このひと月ぐらい、ヤフー、グーグル、新聞各社のニュースサイトを見るようになりました。

 これもこの範囲では、基本的には報道記者の手によるものですが、まあはっきり言って便利です。特に、ヤフーとグーグルは。それと、読むに足るかどうかは別としても、新聞各社のコラム、社説なんかもネットでも読めますね。

 こうなると、正直、私もこの先、朝日、読売とか朝刊購読するの、経済的にも無駄かなぁと思う。今のところ、両紙とも、識者の見解とか記事の内容すべてが(有料配信とかは知らないけど)ネットでタダで得られる訳じゃないみたいですけどね。

 一方、見解とかない、ニュースから自分なりの見識、感想を持つことが大切なんですよね。それで他者の見解に感心、賛同するとか、変だなと思うことが大切。だから多くの新聞社の動向を手軽く概観できるネットは素晴らしい。

 紙面で読んで、気になる記事がネットでも掲載されていると電子切抜きができるという意味で非常に便利ですね。この利便性が非常に良いのが読売新聞です。(毎日新聞もまあ遜色なし、東京新聞なんかもまあまあです。)全然ダメなのが、朝日新聞・日経新聞・産経新聞とか同じ気になる記事がネットでゲットできるなら、私は断然、読売優先です。

 今、紙の発行部数は読売が勝っているのかなと思うけど、サイトのアクセス数でも朝日より読売の方が断然人気があるのではと想像します。ヤフーニュースは読売と提携で、毎日はマイクロソフト社と提携しているからでしょうか? グーグルニュースはどういう優先で新聞記事を紹介しているのか判りませんが(機械的な選択頻度?)やはり読売の評価が高く感じます。

以前、私は

読売新聞社 デジタルアライアンス 知的財産高裁

という記事で、読売のネット社会の関わりあい方に疑問を持ったのだけれど、じつは将来の新聞報道のあり方については、朝日などより、よほど見識が高いようにも思える最近です。実際、紙で配達することの将来は先細りだと思うけど、読売や毎日はちゃんと、(若い)記者達の将来も考えたネット社会における布石をきちんとしているように思えます。

 本当にだんだん、購読料払って、紙面購入するの、経済的にも疑問にはなってきています。経済的に苦しくなってきたら(その可能性大 汗 泣き)ネットPCは死んでも手放したくないけど、新聞購読は真っ先に切り捨てそうです。(生活保護ってネットPC持たせてくれるのかな? もしそうでないなら産業界はロビー活動しっかりです。)

 紙面新聞への未練は2つ。読んで切り抜き保存したいなぁという記事は、識者の寄稿文とかが多いんだけど、今のところ、ネットでタダで読めないことが多いですね。ただ、電子記事の便利さ知ってしまったから、紙面を切り抜くとか、紙面の保存とかは、もう面倒でしないつもりです。(ネットで得られない時がほんと残念)

 それと、やはり紙面で内容スキャンする方が私には早い。私のPCブロバンじゃないので、スクロールはともかく、クリックして表示されるまでがうざったいんですね(泣き)。

 一応、読売と朝日の紙面に目を通しているので、ヤフーやグーグルでも、かなりの記事の見出しをクリックしないですっとばせるので、私には効率的かも。ネットでくまなくニュース調べていると腱鞘炎になりそう(笑い)。実は、なぜだか、私、ニュースの即時性って、重要視してない。

 SAGAさんも、指摘されているのかもしれないけど、私も強いて、昔と違って人に新聞ぐらい配達してもらえよとは、忠告しづらいですね。リアルタイムのニュースの客観性だけじゃ、物足りないとしても、紙面に頼る必要はなくて、週刊誌、月間誌、新書とか他にもいろいろあるし。

まあ、私は啓蒙されるという他、批判対象しても、新聞社等のニュースに対する客観性以外のニュアンスに興味はあります。

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2006年7月23日 (日)

電子書籍・電子出版

私、電子書籍とかに興味があって、SAGAさんとかの意見なんか聞きたいなと思ってました。レス違いですがTBさせて頂きます。

 私は、今のところ電子書籍というものをあまり利用していません。

ただ期待感はあるんです。紙メディアの書籍と遜色なくなったら多いに活用したいと思っています。

まず経済的な理由で、購読料が書籍より、凄く安くなって欲しいと思っています。特にあまり売れないような専門書なんかにおいてです。紙に印刷したり、製本したりする必要がないんだから、その分安くなることが期待されます。

次の理由は、スペースの問題ですね。私は、今のところ、ほとんど読み返えさない方なんだけど書籍を捨てない傾向があるんで、部屋がどんどん狭くなっちゃてるんです。

なんか書棚って自分の履歴のような気がしてるんですよね。友達の家に行っても、書棚を観察する悪い?クセもある。何故か本というのは貸すとまず返ってこない(新聞、雑誌の切り抜きもそう)ので、出来れば貸したくない。書棚にあっても自慢したくない軽い本は、積極的に家族で回し読みするけど。本を返さない人って、たかが本と思ってるのかな。私は記憶力が悪いので本を所有しているんだけど、返してくれないと、脳みその一部をかきとられたような不快感がある。

こういう私が、電子書籍を利用するようになると、読んだファイルをハードディスクにためこんで悦にいるようになるのかなぁ。ただ電子書籍って期間限定でしか読めないのが主流なんですかね?

出来れば、有料で購入する電子書籍であれば、自分のハードディスクを消費するのもヤダから、(自分のハードディスクは壊れることもあるし)永久アクセス権とかの形にできないかな、なんて考えています。読む対象のファイルはあくまでも向こうにあるんですね。そしてバーチャル・プライベート書棚、書斎とかを構築するサービスとかできないかな。

悪趣味だけど、自分の蔵書、友達に自慢したりして。自分の子供なんかにも税金とか払って相続できる形になるのかしらん?

今持ってる、紙の書籍もしかるべきところに持っていくと、こうしたシステムに置き換えてくれるサービスとかも成立しないでしょうか?

このバーチャル書棚だと、全文検索とか、いろいろ便利ですよね。

こんなサービスを利用しなくても、読んだ本は自分で目録つくっておけば良いのかもしれない。気になる部分があったら、一般検索して、必要な範囲を従量料金で読みかえし確認すれば良いのかな? だとすると、今の期間限定閲覧方式でも良いのかな。

論文なんか発表して、参考文献名を後書きすると、本当にその人、その本買ったことがあるのか、判っちゃう時代が来るかもしれない。

こういうシステムは著作権の問題とかコピー防止とかの問題ありますよね。ただ、印刷や製本に従事している方々のお仕事が縮小するとかの心配はどうなんだろう?

私は、少なくとも日本は、少子高齢化になるんだし、この点の気遣いはしたくない。

これまで、文筆で身を立てこられてきた方々は、印刷や製本に従事されてきた方々への恩義が捨てられないのでしょうか?

ただ、読み手としては、ムダな経費を省いて読書が安価になれば助かるし、著作者の方々も、実入りは良くなるんじゃないかという気もする。出版自体が安上がりにもなる。

やっぱインターネット技術で解決して欲しいかな。携帯は本人確認、課金がしやすいんだろうけど、通信料の寡占がシャクにさわります。

(あと、ブロードバンドを脅迫的にあおる商売もほどほどにして欲しい。ナローバンドで、「タイムアップで切断されました」がやたらないようにして欲しい。こちとら金はないけど時間はある。PCの前、離れて、しなくちゃならいこともたくさんあるんじゃ。)

知的に高度な書籍は、貧乏人にはアクセスしにくかった。日本人の知性を世界で最も発展させたいと願うのならば、そのような書籍を書ける方々は電子書籍に積極的になって欲しいとも思う。IT技術者の方々も、著作される方々の代償を守れる技術を確立して欲しいとも思うのです。

一度、なんらかの理由で、紙の書籍が、全く売れんようになった方が、そして紙の書籍関連の会社が次々に破綻・崩壊して権利関係が散逸した方が、電子書籍社会到来が早くなるんでしょうか?

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2006年4月16日 (日)

官製与信をぶっとばせ2 官製資格

■建築士制度問題への伏線 エネルギー管理士 公害防止管理者

 私が建築士制度、建築確認検査制度のおかしさに興味を持ったきっかけは、勿論、姉歯建築士による耐震偽造問題であるが、実はその前に私なりの伏線があった。

 つまり、地球温暖化防止の問題もあり京都議定書なんかの動向に興味があったわけである。当然、我が国のエネルギー消費政策にも影響する。

 エンジニアとして、その有用性・取得難易度はともかくとして、官製資格の「エネルギー管理士」に興味を持ったのだが、その制度内容がメチャクチャだと感じたのだ。大仰な筆記試験制度(内容は悪くはない)と、対象工場の従業員なら何日間か缶詰になって講習を受ければ取得できる2つの道が用意されていた。これじゃ、やる気なくなるよね。

 官が、企業に強要する、エネルギー管理士の雇用は、官の手による企業への、ゆすりたかりにも等しく、また企業も、エネルギー削減への努力がままならない事情を、世間から隠蔽する為に、これを必要悪として利用しているにすぎないことが判ってくるのである。

 また、エネルギー管理士などは、工場などの製造業に関わることなのだが、まあエネルギー消費者としてはこちらが大きいので、それが重要ではあるのだが、同じくエネルギー問題を事務所ビル、商業ビル、住宅で対策しようとする政策が制度的にこれまたヒドイ。

この分野は、大都市におけるヒートアイランド問題にも関係する。

開発の免罪符的な屋上緑化の滑稽さもみえてきたりもする。)

実はこの時点で、建築士あるいは建設系の技術士等の問題には遭遇していたのである。もちろん米国のLEEDという制度と比べながらCASBEEとか言う制度なんかについてもネットなんかで調べた。建築士などエクセルベースの代書屋として優遇される方向のようだ。マニュアル読んで判らないのかしらんと思うんだが、講習とおまけの修了試験なんて、建築士ってここまで水準が低いのかって?  そこに耐震偽造問題がおこったのである。

 同様のことは、公害防止管理者の制度にも言えよう。公害防止管理者など、企業が公害の防止に努力することに何の役にも立っていなかった。むしろ、企業が環境ISOなどに、取り組みはじめたことで、やっと姿勢がマシになってきたのである。この最近の企業自身の努力以外、それまでは環境省・役所の環境課・公害防止管理者など何もしていないのである近隣等の我慢が限界に達して、はじめて事態が発覚するのである。ならはじめから公害防止管理者の制度など不である。エネルギー管理士にいたっては、エネルギー使いすぎの発覚がとがめられることすらないのが実質である。国民本位、愛国心のかけらもない制度である。建築士も同様ではないのか?

■官製資格の矛盾 官の伏魔伝 産官の国民に対する共同陰謀

結局、こうしたことが、官のためにだけになされ、国民にとっては、企業の効果のないムダなコストとして、物価高に反映され、かつ税金も高いという二重苦の結果にもなるのである。就業条件の脅迫としては三重苦とも言える。国に絞りとられているのである。

こうしては、建築士、エネルギー管理士、公害防止管理者などで、自らの責任をあいまいにした上で、まともに働きもせず、こうした資格制度実施の外郭団体、資格受験予備校、受験参考書出版、民間検査機関、試験会場などをつくって、天下り先などを量産しているのである。

 そもそも、官が国民のために、ものごとが適正に行われているかを、管理しようとするならば、事後を自から、もしくは第三者によって検査・確認するしかないのであって、官製資格者を従事させたところで、その者が企業に雇われている身である限り、原理的に機能する訳はないのである。企業などは、そうした官製資格者を置いておけというから置いとくのであって、その者に官が本来すべきパフォーマンスを発揮して欲しくないのが本音なのである。その意味では、産官の国民に対する共同陰謀の観もある。よほどのことがない限り、(医者、弁護士等については考え保留中)官製資格など公務員でない限り必要はないはずである。

IT産業では、投資者が官製資格の被害者か?

 これらに比べると、私はコンピュータ、ITには詳しくないのですが、IT分野での官製資格ってどうなんでしょう? 昨今のコンピュータープログラム関係の不祥事をみると、それらは、官のIT時代の便乗でしかなくて社会の本当の役には立っていないように思えます。本当に優秀な技術者が、それに応じた報酬にならないような仕組みというか、業界が資格者というだけで品質と生産性の悪い従事者に過分な報酬を払うことによりコスト高になっていないでしょうか? 求人なんかを見ると、高度な官製資格あるいは高度なベンダー資格を持つことされていることがありますが、もし私が、銀行なんかのオンラインシステムなんかは別として、プロバイダー、ポータルサイト、アプリ開発の会社を興すんだったら、高度なベンダー資格しか眼中にしないと思う。少なくとも、情報処理技術者を集めなくっちゃとか、それが何人いるなんて言ってる社長には、投資はせんと思う。それで騙された出資者って多くないのかしらん? 泡のようにつぶれたIT企業ってそうなんじゃないかしらん。社長自身も海千山千でコンピュータのことはなんも知らんのだろう。

■何故、新聞は建築士制度問題・官製資格問題の踏み込みが甘いのか?

 私ね、テレビでニュースはあまり見ないんだけど、何で新聞は、建築士制度問題とか踏み込まないかなと思っていたんです。それで気づいたんですが、新聞社って建築士、情報処理技術者なんかを養成する研修機関を運営していることが多いんですよね。通信教育もそうなのかな?

 あるいは過去に建築士、情報処理技術者が足りない足りないって記事たくさん書いていたのかもしれない。

■追想

 ちょっと話が飛ぶけど、英会話の初等教育、大学共通入試のヒアリングの問題と関連して。現代的にいって、コンピューター、プログラミング教育ってどうなってんだろう。ある意味、英語以上に世界共通語ですよね。私は数学概念記号、物理学概念記号だって重要な世界共通語だと思ってます。今後どんなにコンピュター言語が、高級化、自然言語化したとしてもFor文、Do文の理解とか、教育要素として現代の知的遺産だと思ってます。

また、オブジェクト指向、プロジェクト管理、部品化、並列処理、ロバスト、冗長性とかコンピュータ以外でも役に立ちそうな知的資産概念の宝庫でもあるんですよね。でも報酬を得る仕事としては、概念じゃどうにもならん動作してなんぼ、それはOSとかベンダーのプラットフォームの理解、利用経験でしかありえないもともと官なんかが口を出せるような世界ではないんじゃないかな? CADなんかもSFXとか、どうなんだろう?ローカルだよね。

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2005年12月24日 (土)

日本人にとって資格とは?

別にポータルサイトであるヤフージャパンが資格受験産業に寄生している企業というわけじゃないけど
ヤフージャパンと米国ヤフーとを較べてみると、何かヒントが得られるかもしれない

ヤフージャパンでは
暮らす―>学習―>資格情報
       ―>資格試験向け学習ステーション
       ―>新年から始めたい資格・おけいこ特集
というディレクトリ連鎖で、あるわ、あるわ、簡単に判るというか花盛りでもある。

一方、米国ヤフーでは、私の英語力なさでもあるが、今ひとつ、こんな簡単には行かない。
米国では職業キャリアとしては、試験で取得できるライセンスというのはマイナー
興味はどこでどんな教育を受けるかにあるのかも知れない。
確かに、米国映画や米国ドラマでも、資格試験の受験勉強してますとう言うシーンはあまりない(と思う)。
将来・・・(弁護士、デザイナー等)になる為に、夜間とかでスクールに通っている、とかのシーンは多いけど。

しかたがないので、ディレクトリモードでLicenceで検索をかける。
とりあえず、最初に出てくるのが「007 殺しのライセンス」
あとは自動車免許教習者(インストラクター)のライセンスぐらいか。
いずれにしても、日本とは文化がまず違うという気がする。
英国のようだが航空エンジニアのライセンス。試験合格ではなくて卒業するかどうかのようだ。
Civil Licence (土木系)というものが存在するのを知る。これはオーストラリアのもの。民間のようだ。
EUでは、コンピュータードライビングライセンスがあるらしい。このECDL試験合格の為の民間教習機関がある。
ヨーロッパでもコンピューターのような新しい世界では、ギルド的な伝統的評価は追いついていないのかも知れない。
欧州も米国に較べれば、日本的な役人天国に近いところはあるだろう。

これは、あくまでも勘なのだが、米国人というのは実効性のない形式主義を本能的に嫌う国民なのかとも思う。
それと、筆記試験で問えることの限界を認識することのコンセンサスが確立しているように思える。
米国にプロフェッショナルエンジニアという、筆記試験合格資格制度があるようだが、どの程度のステータス、必要性なのだろうか?
結果的には、独学も許すけど、やっぱ理科系の大学学部程度の教育機関卒業したら、と言う内容であるようにも思える。
あるいは、通学時間が確保できない職業軍人の社会復帰、服役中の囚人の社会復帰教育に貢献できる制度なのかも知れない。
別になんでも米国が優れているわけじゃないし、仮に良いところがあっても、時代の変化でマイナーチェンジ、マイナスチェンジもあるだろう。
米国だって、つい最近まで、国民の理科教育水準の低迷に悩んでいた。現在は日本がそうである。
ただし、私に言わせれば、日本人ができた理科というのも九九ができるか程度のことであって、
高度成長を支えてきた日本国民の真の理科センスが特に高かったとは思われない。

勉強、学習、学問が高貴であるとすれば、その成果をもって世の中を良くする、世の中を変えることが目的でなければならないだろう。
その次に大切なことは、その成果をもって、正しく責任を果すことであろう。
位置付けそのものには何の価値もない。まして既得権的なものと結びつけられるものではない。
働いた得た金で物品を買って所有、蓄財するのとは訳が違うのである。

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2005年12月 4日 (日)

反射光、、「構造計算書偽造問題はIT化で解決,じゃないのか?」

YasuAtSellToJapanさんが、ブログ「Sell To Japan 日本語版」の記事、「構造計算書偽造問題はIT化で解決,じゃないのか?」
からTBを送ってくださいました。
私の関連記事は
時代錯誤の落とし子、建築士と建築構造計算捏造問題、責任の所在は?

私も専門家でないから、かなり適当なんですが、報道から察するに

①A1:正しい入力 ―> A2:応力出力 ―> A3(断面設計)応力出力適合断面条件―>A4:適合判定出力
②B1:偽造入力 ―> B2:偽造応力出力 ―> B3(断面設計)偽造応力出力適応断面条件―>B4:適合判定出力
③C1:正しい入力 ―> C2:応力出力 ―> C3(断面設計)偽造断面条件―>C4:不適判定出力
みたいな計算をしておいて

④A1:正しい入力 ―> A2:応力出力 ―>B3(断面設計)偽造応力出力適応断面条件
―>(A4:適合判定出力・B4:適合判定出力)
⑤A1:正しい入力 ―> A2:応力出力 ―>C3(断面設計)偽造断面条件
―>(A4:適合判定出力・B4:適合判定出力)
みいたいな、構造計算書を捏造したんじゃないでしょうか?その他、ちょこちょこ物性値みたいなものもいじってるみたいですが。

確かに、入力条件とか、断面条件のデータをCDとかメールで受け取って、検査確認機関のパソコンで再計算すれば
偽造は防げるハズですよね。基本的には自分達で、キーボードから再入力することはしなくて済むハズですよね。
普通、こういうソフトは入力の続きは明日やろうに対応するから、入力データ、中間出力はセーブしますよね。
それを読み取って計算はチョチョイのチョイだと思いますよね。

基本的に、認定構造計算ソフトの多くは、有限要素法とかは使ってなくて、せいぜい多元連立1次方程式を解くみたいなもんじゃないかな。
だから、1台のパソコンで1日100物件の再計算をしても、パソコン10台あれば、1日1000物件の再計算ができます。

YasuAtSellToJapanさんが、参考かな?示している「鉄筋コンクリート構造の離散化極限解析法」って書籍、かなり高級で、
建築士で、こうした内容理解している方1%以上いるんですかね。?
一級建築士試験って、微積分学、行列理論知らなくても大丈夫って前提で試験問題つくってるみたいです。
いくら地震の少ない米国でも、現代的には建築家が構造設計計算能力があるとは期待されていないみたいです。構造エンジニアと共同で設計してます
省エネ計画、空調設備の設計も出来るとは思われていないと思う。日本は逆で、構造エンジニア、設備設計者がたくさん一級建築士なんですよね。現場管理者もそう。意味ないんじゃんになっちゃてる。米国なんかでは、うちの建築家っていうのに最低限相当しそうなのは、日本の建築士の中では3割?1割?いないなって言われていると聞いています。

考えようによっては、

同じソフトを使うのだから、出力のベリファイは簡単なハズ出だし、実はベイリファイ対象の出力自体、提出の必要がない。
とは言え、計算過程の中間出力はともかく、実際に現場でつくる為の図面と一致してなければならない訳ではあります。
それでも、今どきなら、検査員がパソコンとかもって現場に行けば良いので、紙の図面の必要性は未来的には疑問ですね。
現場用の設計マスターデータがあれば、通信でベリファイもできそうです。

まあ、はっきり言って、はじめから、認定確認検査機関が時代錯誤的に怠慢とは言えそうです。
設備投資を嫌がって、ヤラズボッタクリ体質だったと言われても仕方が無い。
そもそも、設立されて間もないから、まだちゃんとした生え抜きがいなくて、かつて所管行政にいたロートルの建築主事とかその下で仕事してた人達で作った会社が多いんじゃないでしょうか。で設立の資本も業界から集めている。民間として早く安く検査する物理的根拠がもともとなかったのかも知れません。
とすれば、やることは手抜きですよね。

私ね、行政ってのは、立法の手伝いをしちゃいけないとは言いません。そして違法結果を排除することがお仕事だと思うんですよ。
指導ってはの気をつけなくちゃいけない。指導は責任に結びつくから。役所は責任とろうとすると血税でしょ、責任能力ないんですよ。
違法結果を排除するだけでなくて予防もしたいとしても、基本的な手段は恫喝と警告で良いんです。そして適法の情報提供です。
これまた、税金でタダでやるべきことを、やっていない必要な情報をタダで配信しないで、くだらないパンフレットばかり発注しているんじゃないでしょうか?

私は民間の損害保険会社の活用を念頭しましたが、官製のそれや、業界のそれってどうかなと思います。
官とか業界協会って、不適格者擁護体質になっちゃうんです。で個々の不適格者は能力がないから、手綱緩くしてもらおうとペコペコ体質でしょ。
それが楽しくってしょうがない機関になちゃう
んじゃないかな。で本当に損害賠償しなきゃならないとき、建物利用者本位でなくて逃げまわるし
損害賠償ばかりになって、金銭的に破綻しそうになると、倒産させないで、所管省庁経由で血税投入しちゃうんじゃないかな。
これがあるから、建物利用者本位でなくて逃げまわるじゃなくて、大判ぶるまいにもなっちゃうかも。保証してもらう方はペコペコした甲斐があるなぁと。設立資本金集めた甲斐があるなと。
もともと不当に安い保険料で保証したり、問題おこした設計事務所、建設業者なんからの、債務回収なんかそっちのけでね。
最終的には血税使っての、不適格者が設計建設した建築の販売促進になっちゃうんじゃ。実際、政治的にもこれっきゃ考えてない。
民間の損害保険会社活用の方が、不適格者排除としては機能するんじゃないでしょうか。
官製のそれや、業界のそれっていうのが、つきまとうから、民間の損害保険もビジネスとして躊躇しちゃうんじゃないでしょうか。

、ITってのは使い方次第で、公開性、透明性、トレサービィティ、ベリファイ、エラーチェックとか、ローコストの正義の剣にもなると思います。関係者の皆様、お仕事頑張ってください。

問題の建物、少なくとも、住んでる人じゃなくて、近隣や通行人にとっても危ないというのなら、解体撤去ぐらいは血税でやるのも仕方ないかしらん。
責任追及は後まわしにするにしても。

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2005年10月 7日 (金)

読売新聞社 デジタルアライアンス 知的財産高裁

今朝、読売新聞に大変興味ある記事、重要だと感じる記事が掲載されていた。
読売新聞社とヤフー、デジタルアライアンスという企業と知的財産高裁の判決に関する記事である。
私は現時点でこれら4者の考え方の良し悪しについて明確な考えはないし、
その専門家でもない。ただ、読売新聞社と知的財産高裁の考え方、見識には、おかしな点も多々ありそうだ。
簡単に言えば、読売新聞社にはネット社会を利用しないという選択もある訳で
読売新聞社がネットを活用しておいて、ネット社会の流儀にケチをつけるというのもおかしいと思うのである。
ネットを利用すると自社の権益が侵害されるというのなら、ネットにかかわらなければ良い。
私はネットにおけるリンク、ハイパーテキストの技術的な話には不案内ではあるが
それを活用してこそのネットである。
読売新聞社の都合で、こういう使い方をして欲しいと、訴訟を伴って扱える技術ではない。
どうしてもやなら、読売新聞社は独自の技術で自分の記事ページにリンクではアクセス出来ない技術を導入して
記事ページを制作するれば良いのである。会員制のアクセス技術などである。
ネットを利用しておきながら、みんなが活用している技術社会にケチをつけることは読売新聞社のエゴ、我儘でしかない。
有償で読売新聞社から情報を買っているヤフーにしてもしかりだろう。
ヤフー自身が、みんなが愛しているこの技術に立脚しているネット社会で営利活動を行っているのである。
例えば、iモードのような携帯電話のシステムの方が信頼できるというのなら、
読売新聞社はネットで営業する必要はないハズだ。紙面の他は携帯ネットだけで商売すれば良い。
読売新聞社にはその自由があるハズである。
ネット社会は読売新聞社の都合で、システムのあり方を考える必要はない。

ただし、私はまだ十分には知的財産高裁の判決内容も正確には、把握していない。
もし、私がデジタルアライアンス社と似たようなことをするとすれば
リンクの表題は、読売新聞社の記事見出しのコピーではなくて、
読売新聞社あるいはヤフーのその記事のページのアドレスかページプロファイルの見出しにしておくだろう。
ネット社会において、自分の作成したページのページプロファイルの見出しに
再掲不可を主張することほど愚かなことはあるまい。

私は用心の為に、必要なときはそうするが、それでも読売新聞社と知的財産高裁の見識には危険を感じる。
検索エンジンサービスサイトの検索結果のヘッドラインの再掲まで制限されてしまったらどうにもならない。
読売新聞社も見出しにそれほどの価値があるというなら、紙面の見出しより、十分に価値の低い見出しに変えて
自らは防御技術を導入していないネットに掲載して欲しいものだとも思う。

やはり、これにケチをつけるくらいなら、ネットに参加しないか、自分で防御技術を導入してページを作成して欲しいものだ。
さすがに、ハッカー的技術でこれを破ったら犯罪ではあろう。
リンクは名のある検索エンジンサービスサイトしか許さないというのもおかしい。
自分独自の防御技術を導入しないで、リンクしないで下さいとの言葉だけのお願いで、それを聞いてくれなかったからと
法的に訴訟を起こしたいという人はネット社会にはそぐわないと思うのである。
ネット社会はそうした人達を排斥する努力をすべきだと思う。

ネット社会においては、紙面内容のコピーは勿論のこと(というより基本的にやってはいけない)
サイトの内容でも、できるだけその内容のコピーを自分のサイトに掲載するよりは(というより基本的にやってはいけない)
リンクを活用するのがネットでのマナーだと思う。
ネットリンクは他人の考えに最も正当に言及する為のネットならではの素晴らしい技術なのである。
これを嫌悪する者、ネット以外の世界での通念を押し通そうとする者が
ネットで我が物顔で、メジャーになることは許されない。司法がそれを後押しすることはもっての他である。

この一連の読売新聞社、知的財産高裁のパフォーマンスに対して、
毎日新聞社、朝日新聞社などの他社がどう反応するか、興味をもって見守りたくもある。

私も読売新聞社の主張も十分には消化していないだろうし、
私が把握していない、デジタルアライアンス社の不備もあろうかと思う。(不備がない可能性もある)
その辺、みな様がご教示してくだされば幸いです。

追申)この件に関して、私としても大変勉強になるブログ等がありましたので
紹介させて頂きます。是非、アクセスしてお読みなって下さい。

>冒頭の読売の記事は、この裁判の重要な争点の1つについて全く触れていない点で、非常に意図的なものを感じさせられる。
<私も読売新聞の知的財産高裁の判決の解釈は多分に一方的な我田引水だと思ったんです。
●Do you think for the future?: 新聞記事見出しは法的保護対象?
http://tftf-sawaki.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_54e8.html

先のブログでも紹介されていますが、このレポートには感心いたしました。
>Webサーバにアップロードされているけれども、公開されていないものであるとしたい場合には、ファイルにパスワードをかけるなり、Webサーバへのアクセスを制限して他人がアクセスできないようにするなどの処置をとることが必要であると思われます。
<まさに、そうだと思います。これを理解しない読売新聞社、知的財産高裁の見識が理解できないんですよね。
●新聞記事の見出しの引用と無断リンクの禁止について Ver.2
http://homepage3.nifty.com/machina/r/link.html

◆ところで、この件で読売新聞社の見識が不明なのは、あるいはヤフーがだんまり風なのが解せないのは
ネットの起源をどう考えているかなんですよね。
私はネットを商売に利用しようと努力することはかまわないと思う。
でも、ネットの起源はそもそも、それを前提として発祥、発展したもんじゃないんだと思う。
だから、努力しないで商売の都合ルールをネット社会で主張する読売新聞はおかしい。
ネットは物理的には情報伝達経路の確保という観点から米国国防省が開発したとも聞くし
電子メールに対して記事がアドレスを持ち、誰でもがそれにアクセス共有できて
リンクなんかが張れる仕組みを考案して、HTML文法の原型を作ったのは
米国の研究者達だったとも聞きます。そこからエクプローラーやネットナビゲータなどの
ブラウザが発展していって現在のネット社会ができた訳ですよね。
ヤフーだってニフティだってそれに便乗して商売している訳です。
旧態とした著作権等にこだわる発想で発達したもんじゃないから、基本的にそんな発想を持っている者が来るところではないハズです。
知的財産高裁も、全くそれを理解していないんじゃないかしらん。
(勿論、ネットだからと言って、ネット外界の著作権等を侵害して良い訳ではありません。)
あるいは判っていながら、読売新聞社をさとさずに、わずかばかりの賠償額で面子を配慮してあげたと言うのでも良くないと思う。
ネットが影響力を持ちはじめたからと言って、その新しいパラダイムを破壊するような
ネット外界の旧パラダイムのビジネスモデルを持ち込むこと自体がナンセンスではないのか。

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