2009年4月28日 (火)

草なぎさん 違法家宅捜査・大臣暴言大問題・地デジキャンペーンの闇 社会正義はどこに

不景気に世界的にも脱せないことから、日本の最低限の社会正義はどっかにふっとんでしまったのか。

人権擁護の砦であるべき新聞、ジャーナリズム、弁護士会の、官憲の横暴になすすべのない、今のていたらくは一体何なのだ。

軍閥の統制に、積極的な協力をしていたことの反省が、今の朝日新聞等の根幹ではなかったのか?

週刊朝日も、週刊文春もあまりに悲しい。文春はただの天の邪鬼と正義感を履き違えているだけだ。権力にしっぽを振っているだけの記事だった。ジャニーズ事務所を権力あつかいして正義ぶる状況ではないのだ、たたくべきは官憲の横暴である。盲目的な官憲協力のこの状況、とても恐ろしい。日本全体が、かつてのあのときのように貧すれば鈍するの状態になってしまった。

あの大臣達も今は、所詮、ホームレスに身を落とすこと怖がる、自分達だけはワーキングプアにはなりたくないと、保身だけを考えているような、マスコミ、ジャーナリズムの本社サラリーマン記者デスクや大学の教員識者、弁護士など、ワンワン吠えるのは最初だけで、あんなやせ犬どもは、ひと睨みすればションとおとなしくなる、甘いものくいすぎ虫歯で牙のない、みじみな野良犬どもだと、政府系施策キャンペーンのCMブローカーから接待わいろを受け取っていた官僚とともに、ソファーにふんぞりかえってさぞ高笑いだろう。財界という広告主、CMスポンサーは大臣官僚の下僕である。テレビ新聞、弁護士会は兵糧攻めにおびえるしかなかった。正義はどこにもない。

この状況の恐ろしさに比べれば、どんなに巨額であろうと、CM契約不履行損害賠償にかかわる草なぎさん個人の社会人としての責任など、さほど重大ではない。請求することも、重大さのはき違いとしてケツの穴が小さすぎる。アッコなどはもともと非難するのもかわいそうな、アネゴキャラにしがみついている(彼女はだからこそ、それなりに芸能界への忠誠心は強い)無邪気なオバカキャラである。

新聞テレビなど、明らかに、当初これは芸能界の薬物ネタにつながるスクープだと早とちりしたに違いない。それで違法家宅捜査問題を失念した。

そして、メディア・マスコミ・言論弁論界・芸能界は、なにがなんでも、地デジビジネス、地デジ経済効果、絶対死守で、官憲横暴など眼中に入れないことに舵をきり直したのだ。

あの時は、日本国民は軍閥、朝日新聞等の経営陣。営業部にだまされるしかすべがなかった。今はどうだろう、ネットやブロガーは今度はそれに抗うことができるだろうか?プロバイダーはそうした国民を守ってくれるだろうか?ネットウォーカー、ブロガーは官憲横暴体制を転覆させる無血革命の力を得ることができるだろうか?

ところで、良い作品に出たいという役者としての熱意。酔った勢いでたけしさんを待ち伏せすること。いったいこれのどこが奇行なのか?

たけしさんは、これを不快だとは、思っていないないんじゃないかしらん?

文春があそこまで中途半端な記事を書くのなら、穂影も対抗して、がんばって自由自在な根拠のない憶測妄想を書かせてもらう。

草彅さんは、芸能界でも独特の性格である。お酒はやや不用意に過剰な息抜きとなっているが、それは彼がとても真面目な性格ゆえのストレスからでもある。彼はまじめなので、芸能界の薬物汚染などをとても嫌っている。この気持ちが強すぎることが、芸能界で浮がちなこととも関連している。草なぎさんの家族も、この真面目さが芸能界には向いていないと心配していた。草なぎさんは、芸能界の薬物汚染で、家族に相談したことがある。家族は、まあ所詮で郷に入ればと、ある程度は目をつぶればと、ある意味普通の反応をした。これが草彅さんには、家族がいる世界とは違う、汚い世界に平気でなじめと「僕は親に捨てられた」という感覚になってしまった。とにかく真面目なのである。草彅さんは薬物に無縁だから、かえってお酒などには無防備なのである。スネに傷もつ同業者には、ある意味、危険人物だろう。草彅さんは孤独である。同じようにまじめでも、キムタクは良い意味で純朴だけは終わらない、落ち着きがあるから、このツヨシのアンバランスが日ごろから心配なのである。草彅さんは、本当に泥酔であの事件を起こしたたのだろうか?実は大きなストレスから逃れるための決意の核心犯だったのでは?家宅捜査を誘導するのが狙いだった。薬物がないのは判っている、別のものを発見して欲しかったのだ。しかしそれは闇に葬られた。草彅さんしてみれば、芸能界の薬物のイメージ払拭との一石二鳥のハズだったのにである。実は発見して欲しかったものは、現場警官には告白していた。その発見物は現場警官から上司が取り上げ、かん口令がひかれた。そして警察によって大袈裟な公然わいせつ罪が演出されたのである。草彅さんは真相が言うに言えない状態なのである。

誰かが、なんらかの方法で、草彅さんを頼らずに、草彅さんから引き出すことなく、この草彅さんのストレスの元を破壊してくれないだろうか。その悪が芸能界の暗黙の常識だったとしても。

キムタク、中居君は、やはり芸能界上級者である。政府系施策キャンペーンというのは必ずしも美味しい仕事でないことを良く知っている。特にまじめな草彅さんには不向きな仕事だから、請け負ってしまったことを知って、内心アッという気持ちだったのでは。

文春は、「総務省が関る活動には、当然、税金が投入されるのだ。”国民的アイドル”は、もはや単なる酔っ払いではありえない」と書いてある。

なぜ税金で、そんな活動をするのかというのがまず問われるべきだろう。過去に、そんなことは無事に何度もやっているというのは答えではない。何故この活動に国民的なアイドルが必需品なんだろう?これは草彅さんの責任ではないだろう。このキャンペーンプロモータ業者の名がとんと出てこないのは何故なんだろうか? 癒着の証拠なんか、簡単に出てくるのでは? 賠償金など草彅さんが負わないで済むように誰か暴いてくれるヒーローはいないものだろうか?

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草なぎさん 人権無視家宅捜査問題 地デジの闇

朝日新聞朝刊、読売新聞朝刊、朝日は読者の声欄で抵抗するもあいかわらずである。朝刊しかとっていない私のような者へのあてつけでもあるまい。

新聞に朝刊、夕刊とあるのは速報性の為であって、新聞社の体質を判断するには、どちらか一方で十分であろう。

本来、読売と朝日は互いに、ある程度仲が悪いのが、一定の魅力になっているが、最近、ネットで朝日、読売、日経と協調したりして、そのていたらくぶりが目にあまる。

「貧すれば鈍する」と言うが、発行部数不振、広告収入部数不振、人材凋落で、保身のため、 守銭奴の上の方ばかり気にして、ことなかれで仕事をするばかりで、気骨のある新聞マンOBも、さぞや嘆いていることだろう。

じゃあ、週刊誌がそれを補ってくれるかと期待もするがどうだろう。週刊誌というのは、見出しと記事の内容が全く関係がないのが常である。新聞の週刊誌の広告を見ると、キムタクが、日頃からツヨシに酒のことを、厳しくとがめていたのにと、怒り心頭であるかのような見出しがある。草彅さんは記者会見で、まずSMAPの仲間が、日頃からお酒のことを注意してくれていたのに、自分が十分にそれに耳を傾けいなかったと謝罪した。

キムタクが、今のそうした草なぎさんに、加えて追い込むようなことを強調するとは思われないから、例によって週刊誌は見出しと内容が食い違っているのではと想像する。読めば、ああキムタクは良い人だということになるのだろうが、週刊誌のキムタクに対する態度は微妙かも知れない。キムタクに媚びているのか、キムタクも連座させ、落ち目にしたいのか狙いが判らない。あの世界は「ちみもうりょう」「ひゃっきやぎょう」である。三流マスコミというのは、無責任に、自分達は弱い者をイジメはしない、強い者イジメをするのだという、くだらないポジション(のフリで)でつっぱしる。そんなものは本当の反権力闘争でもなんでもないのだ。つねに無責任な安全圏にいて下品下等な言論モドキで読者から金をせびりとっているだけだ。

地デジ化というのは、先進国情勢でもあるから仕方がない面もあるが、各国で拙速で、草なぎさんの件、以前に評判が悪い面もあった。なんとか評判を戻して対応機器の販売促進で景気回復を図りたとしても、それに大きな水を差したのは、今回の草なぎさんより、あの大臣の反応である。それがあの人の本質であることは疑いようがない。

そもそも、地デジ化を景気と結びつけて重視すること自体が悪である。

また本質的に施策キャンペーンにタレントを利用することが悪であって、その悪を放置する理由は、関係公職者のリーベト是認となんらかわりない。

あの大臣の過剰な反応は、類がそこにおよぶという後ろめたさの表れであろう。もともとやっかいな地デジ問題で、渡りに舟と草なぎさんをスケープゴートにしようとした反射神経の愚かしさ醜さを露呈した。

そうようなことにかかわるのに、草なぎさんらのような立場の人間には何の責任もない。これこそ仕事だからしょうがないのである。ギャラが欲しいのは当たり前だろう。自力で稼ごうとするものは、常に弱者なのである。

私は匿名で意見を述べているから本当はどうでも良いのだが、万が一、草なぎさんの人格が虚像だとしたらどうか? しかし、その証拠は穂影などは知りようもないし、ファンとしては信じることが大切なのである。一方で、プロの報道関係者は、どうなのか? プロとして万が一の恥をかきたくないのかも知れないが、意気地なしで、ずる賢く、慎重であった期間の責任は忘れて欲しくない。そもそもあんらがたの拙速で事が始まっているのだ。

一般人として、大目にみられることが、だれだれでは社会的責任が重いからという、論法の線引というのは、本当のところ、どこにあるのか、一度、報道関係者にも真剣に考えて頂きたい。報道関係者というのは同僚を見ても、お酒などで、みな聖人君子なのだろうか?。俺たちは草なぎさんからみたら、ケタ違いの低額所得者で、日頃のウサも多、だから大目にみてよなのか?違うだろう報道関係者は、それでも可能な限り聖人君子に近くあるべきなのである。記事を書くときだけ、聖人君子のフリをしたり、みずからをさておいて、あんたは、そうでなくちゃいけないなどと言うのは許されないのである。

泥酔の醜態など本来、ほめられたものではない。サラリーマンの場合、ブタ箱、トラ箱に一泊しても、警察が勤務先に報告することはないし勤務先が知ったとしても懲戒とかはない事が多いと思う。

暴力はまんず許されない。でも酔った勢いで、上司、同僚をぶん殴るというのはありそうである。刑事事件に発展させないで社内で懲戒、降格というのもあるだろう。殴られたのが上司なら、部所内で不問ということもあるだろう。しかし第三者に暴力をふるったのなら犯罪だし、隠匿すれば組織犯罪でもある。

週刊誌の中には、見出しに「逮捕 妥当性」という言葉を使っているものもあるようだ。

草なぎさんの完全復帰を確認するまで、CMを中断したスポンサーの商品は買わないし、だいぶ前にテレビが故障して液晶地デジ対応に買い替えてしまっていたのは残念だったが、つい最近アパートが地デジ対応になったのだが、アナログもまだ受信できるので、録画デッキを地デジ対応にするのは、それまで無期延期とするつもりである。というより、特別な理由(特定の女優さん)を除いてテレビを観るのをやめようかとも思う。

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2009年4月27日 (月)

草なぎ剛さん お酒の失敗?4 人権無視家宅捜査?

2009年4月27日の朝日朝刊、読売朝刊。

当初、大きく取り上げすぎじゃないかと、不信感を抱いた後、手のひらを返したように両紙とも黙殺である。

黙殺した方が、草なぎさんの復帰が早くなるという、お詫びの気持ちだったとしても、むしろ無責任である。今、両紙ともメンツの為に、草なぎさんが、一般社会でも芸能界の中でも、常軌を逸した泥酔の常習犯だという材料集めに必至なのだろうか? 暴力事件に発展した例があれば、黙っているのは良識的にも犯罪隠匿ほう助であるが、そうでなけば、身内からそんな情報提供があった場合は、薄汚いチクリの部類だろう。そんなんだったら、アッコとかはどうなるのだ。それにそんな材料は、家宅捜査の違法性検証とは何の関係もない。今後心配なのは警察マスコミ協調の薬物ねつぞうである。やりかねない今の日本ではないのか?

あの大臣の発言もあって、名古屋市長選の影響を考えて、マスメディアはだんまりに舵を切ったと憶測したが、市長選が終わっても、不信無責任な転向姿勢に変わりはないようだ。

名古屋市長選で、このところ劣勢気味だった野党側が勝利したのは、あの大臣に反発、官憲暴走をコントロールできない政府に対する怒りを持った、名古屋の草なぎさんファンの影響もあったかも知れない。

別件的な家宅捜査の違法可能性は、重大問題である。新聞はジャーナリズムとして機能を失ってしまったのだろうか。政府キャンペーンにおける芸能人イネージキャラクター、民間広告業界との関連の問題もある。

読売新聞、朝日新聞とも、あれだけ草なぎさんを過剰に傷つけておいて、無責任極まりなく、このままではジャーナリズムの矜持のかけらも感じられない。

かろうじて朝日新聞は、読者の声の欄で、「「最低の人間」はお粗末」という投稿を掲載していた。投稿者は大臣の撤回表明でも許せないとしています。読者の声を担当するというのは新聞社の中でもメインストリートではないかもしれない。一種の新聞社内でのメインストリートに対する内部批判だろうか。

CMスポンサーの場合、ある程度、ことの次第を見守るというのはわかるが、いつまでたっても、権力の顔色を気にせず勇気をもって草なぎさんを復帰させなかったとか、あるいはガツガツ性急に違約金を草なぎさん負わせたということであれば、私は個人的に、そのようなスポンサーの商品は一生買わないつもりである。地デジ移行は、権力の横暴で、個人で実質選択できないので、今回、重大な地デジのさらなるイメージダウンの張本人は、私にとってはあの大臣である。

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2009年4月26日 (日)

草なぎ剛さん お酒の失敗?3

当初、朝日新聞、読売新聞が大きく、とりあげ過ぎじゃないかと、言ったが

矛盾するが、マスコミ・芸能界が逆に無理な収拾、無責任な黙殺に舵を切ったことに不信感がつのる。ことなかれ主義に不信感がつのる。

まず、草なぎさんの自宅、家宅捜査への違法性の可能性である。草彅剛さん自身や、顧問弁護士が抗議しないのは、まあ別に良いのである。ただでさえ大手新聞社や、あの大臣やCMスポンサーからの過剰社会制裁受けているのだがら、早くほとぼりを冷ましてあげたいというファンとしての気持ちもある。

しかし、こうした草なぎさん側、ファンの気持ちに便乗して、違う反省をうやむやにする警察、さらに自らしたことをスカット忘れて、いまさら嘘みえみえの草なぎさんファンのふりをする業界も許せない。そんな嘘より明日にでも草なぎさんと新しい仕事の契約をする、仕事の継続を確認するなどの態度で示して欲しい。

弁護士会として、果たして放置して良いものだろうか? 私個人は草なぎさんやl顧問弁護士を疑うわけではないが、自分達は大丈夫だけど、他の芸能人は、どうも怪しい、仲間の為にも官憲とケンカしないほうが良いと判断したと疑われる可能性もある。

サラリーマンの一部が泥酔して、ブタ箱で一泊するするなど日常茶飯事である。それで、麻薬所持者と疑われ家宅捜査を受けていたら、いくら麻薬を撲滅したいと願うにしても、これは、人権無視・恐怖政治・恐怖官憲の国家で民主人権法治崩壊である。芸能界、芸能人は司法のルールを無視して、基本的な人権を官憲に踏みにじられてもしょうがないということを放置しても良いのだろうか。これに世論の賛同がわけもなく得られるとしたら、芸能界には組織暴力団と同様に、基本的人権を斟酌するなということになってしまう。(組織暴力団は世論に反して、警察機構の一部や福利行政の一部から、その過剰人権を秘密裡に守ってもらっているのである。)芸能界=組織暴力団で芸能界が良しとするのなら、芸能界は自浄力の放棄を宣言したに等しい。 芸能界にあこがれなさい、あなたもスターが、ヤクザになれという勧誘に等くなってしまうではないか。

芸能界は、弁護士会は強く警察に抗議・釈明を求めるべきである。あの大臣の発言と撤回も、納得のいく反省の態度が見られるまで、草なぎさんファンの反感を大いに、あおるように執拗に何度でも流すべきである。

草なぎさんのCMのスポンサーにも、本来なら無期中止だが、警察の家宅捜査への不信感、大臣の発言の不適切の相殺によって、CM契約を続行履行させてもらうとして欲しい。

不審と言えば薬物に関しては、草なぎさんは血液検査をされているのだから家宅捜査は必要ないハズで、家宅捜査の目的が、地デジ関係のCM営業で、郵政関係との過剰飲食等の証拠がないかの調査だったら面白い。こういう事実が見つかっても、草なぎさんの立場では、普通おとがめがないのが社会の良識である。強いて言うと、あるとすれば、接待される関係者の家人に草なぎさんの大ファンがいるので、男芸者をさせれた程度で、これを咎められたら芸能界は成り立たない、あくまでも悪は席などをだんどった関係者と出席に応じた関係者である。

大臣の発言からして、大臣と草なぎさんが同席したことがあることはないだろう。(もしからしたら草なぎさんが、くってかかったことがあるのかも知れないが)

地デジ関連のCMと関連して言えば、今回のことは、かつての年金キャンペーンと較べても、大臣が芸能人に対して、カンカンになるほどのことでもない。あれは、あの大臣の根っからの芸能人蔑視観そのものの尊大傲慢さであり、放送事業、映像演劇界の大敵である。

石原さんが大切な弟さんを預けていた業界、小泉さんが大切な息子さんを預けている業界である。あの大臣あれですませるわけにはいかんだろう。

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草彅 剛さん お酒の失敗2

穂影が思うことは、世間の少なくない人が思うところと一緒だったようだ。

不祥事は起こしてはならないものだから、そんなものに本来は手本などはないが、少なくとも、これまで、もっとひどい不祥事を重ねてきた、政財界官僚著名人とその仲間は、反省の姿として、記者会見での草彅さんを敬って欲しい。

覆水盆に返らずという言葉があるが、今回その言葉に近いのは、草彅さんより、マスコミであるし、あの大臣の発言撤回は、反省すべきことを反省している姿勢とはほど遠い。あれで少しは盆に返せたつもりなら、どういう神経だろうか。人間の本質とは、とりつくろえないものだと思う。

草なぎ剛さんが、SMAPの面々との電話の内容に応えたとき、許しを請うたに先立って、仲間が体を心配してくれた、日頃からお酒のことを心配して忠告してくれていたと話すのを聞いて、芸能界の中にも、こうした会見ができる人がいるのだとつくづく思った。いや芸能界の中にもというより、草なぎさん、SAMAPにしかいまい。その他、立派な女優さんもいるが、そもそも不祥事を起こすことが考えにくい貴女(ひと)でもある。

警察が、草なぎ剛さんの自宅を家宅捜査したこと。昨今の芸能界、スポーツ界のことを思えば、無理からぬことかとも思う。警察関係の人達は、我々のようには芸能界のこと知らないかと思う。ミソクソ一緒である。しかし、結果的に、無罪だったので、捜査手続き上、重大な過失である。本来、草なぎさん側が寛容でなれば大変なことなのである。今後、進展上も何かあったら、警察側のねつ造が疑われしまう世論ではないだろうか。その世論をなだめるのも、草なぎさん側の度量にある状況かと思われる。

今後、郵政関係、広告関係で、あの大臣の足元で何かあったら、(日本のビジネス習慣上も、無理に?さがせば必ず何かでてくるのではないか?)そのときSMAP、草なぎさんファンは微塵も大目に見ることはないだろう。SMAP、草なぎさんらに対する、横暴への恨みは、食い物の恨みより恐いのである。それはファンは逆に横暴、慢心しない真摯なSAMAPや草なぎさんの人間性を、大臣などよりも信じているからである。

ジャナーリズムも、草なぎさんの心情から、何かスクープのネタを探るようような、インタービューを恥じて欲しい。官憲の権力を恐れず、自分達の正義感と取材力で真実を暴いて欲しい。ファンが草なぎさんに求めているのは、そんなことへの協力ではないし、草なぎさんもそれをわかってくれていて、歯をくいしばってがまんしているかも知れないのである。

ファンとしては、真のジャーナリズムと司直に、マスコミに、今回の報道に反省があるのなら、必要以上に草なぎさんを傷つけたことの仇をどこかで取って、名誉挽回して欲しいと思う。

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2009年4月24日 (金)

くさなぎさんのお酒の失敗?

2009年4月24日読売朝刊・朝日朝刊を見て、草なぎさんが泥酔して失敗されたことが報道されていた。びっくりしたのは、報道が大きいこと。記事を読んだ印象として、この時点なら普通は小さい記事で済ませるところだろう。

朝日朝刊も読売朝刊も、芸能週刊誌じゃあるまいしと、正直思う。

政財界官僚の不祥事など、重要な報道は山積みである。草薙さんをスケープゴードにする狙いでもあるのだろうか?

そこそこ酒を楽しむ穂影なども、少なからず、酒での失敗はある。新聞社の人間だって、そういう人間は少なくないはずだ。

ふだんは、気取っている管理職の会社人間の中にも、酒で品格に欠ける人間ははいて捨てるほどいて、二日酔いの後、ケッロとして、いいきなもんである。

とりあえず、草薙さんの場合は、飲酒運転や暴力、薬物に関連がないようなので、この点に関しては、なによりであった。

日本は飲酒の間違いに対する自己責任追及が、つい最近まで恐ろしいほど甘い国であった。死刑になるべきところを、飲酒が免罪布になってしまっていたのである。飲酒運転への規制もやっと最近になって厳しくなったのである。

草薙さんは、お酒がお好きということをバラエティ番組でも、ある程度ウリにされているようだった。これまで、お酒で回りに迷惑をかけているという話は我々の耳には入っていなかった。お酒に強いと、飲んでも間違いが少ないということはある。草薙さんが、もし世間に知られていないお酒の間違いが多かったとしたら、周りの人々の責任は重い。

今回は、普段身近な人たちにとっても、あの草薙さんがとビックリなら、草薙さんの抱えていた心のストレスは何なんだろうかと思わずにはいられない。しかし、そうした心配も、まづは、普段身近な人達が持つべきものであって、報道の役割でないし、報道から守るのが筋かと思う。

草薙さんの品格というより、これに関連して新聞社等の品格のなりゆきを注視する穂影である。

追記)無責任な勝手な妄想だが、草薙さんの心のストレスが、地デジ移行のCMのお仕事を通じて、広告代理店などCM受注を通じて、多額のリベートが例えば郵政関係の公職の人間に渡っていることを、たまたま知ってしまった、そんな正義感の葛藤だったらなぁーと妄想してしまう。仮に、そうでなくても、そんな気配を知っているなら、草薙さんが反省とは別に、逆襲してくれれば面白いと思ってしまうのである。あるいは、CMのギャラがもとをただせば税金であることの自責葛藤だったにしてしまうとかである。もっともファンとしては、そんな葛藤や悩みは吹き飛ばして、今後も良いお仕事を続けて、私たちに心の糧を与え続けて欲しいと思う。そんな正義感はジャーナリズムや司直の責務であって、我々ファンが草薙さんに求めているのは芸能人としての、感動や面白さを伝える力である。ストレスを乗り越えるように応援したい。

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2009年2月24日 (火)

建築確認制度など廃止してしまえ!

 テレビでニュースをやっていた。姉歯受刑者が構造計算をした、愛知県のビジネスホテル、デンターワンホテル半田が、建築確認をした愛知県とコンサルタント会社「総合経営研究所」を相手取り、5億1600万円の支払いを求めていた訴訟の、名古屋地裁の判決があった。

「審査を行った愛知県建築主事は安全性を保つための注意義務を怠った」などと述べてホテル側の主張を大筋で認め、県と総研に計約5700万円の支払いを命じた。一連の事件で、強度不足を見逃した行政の責任を認めた判決は初めてと見られる。

だそうだ。

建築確認申請などと言う、責任をとらない、お上のお墨付けなどやめてしまうべきだと思う。責任を取るとすると、無駄な血税の浪費である。責任をとらなければ、この業務が血税の無駄である。

建築確認申請をやめても、違法建築を取り締まることはできる。違法建築を撤去させることはできる。

撤去しなくてはならないような、違法建築を設計して施工するような設計事務所、施工会社に発注するのは、建築主、発注者の自己責任である。

違法建築として、撤去が遂行された場合は、損害賠償は建築主、発注者と設計事務所、施工会社との間の民事問題でしかないべきだ。

建築行為は確認申請でなくて、設計図書、構造計算資料、あるいは工事監理資料を提出させる届出制で十分であろう。そのときに、お上が順法性など、確認する必要もOKを出す必要もない。受け取って保管するだけで良い。提出しなかったら、後で×で良い。催促してくれなかったなどと文句も言わせくて良い。お上は着工前だろうが施工中だろうが、竣工後だろうか、好きなときに、違法性がないか検査すれば良い。届け出られた物件を全て調査する必要もない。適切なサンプリング調査で良いのだ。

お上は、「建築したかったら、したら」 「でも変なもの(違法建築)だったら、撤去させてもらうよ」、でいいのである。

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2008年8月 1日 (金)

反射光:自殺のすすめ:社会の狂気とは?

SAGAさんが、「自殺のすすめ」というのを書いています。読んでいて自殺以外の点で思ったことがあるので、つらつらと書いてみます。自殺については機会があれば、自分の考えをまとめてみたい。

ジャーナリズムの歴史というのは良く判らない。風評というのも世論を形成するものと1つと考えれば、ジャーナリズムというのは、江戸時代以前にも、それなりにあったという言い方もできるのかも知れない。

起源はともかくとして、将来的にも、ある意味、ジャーナリズムは、いい加減な面もあると言わざるを得ないような気もする。ジャーナリズムの宿命、普遍性の一成分と言ってもよい。

「ジャーナリズムは死んだ」なんて言い方も聞くけど、そんなもの、はじめから生き死に言うほどのものではない気もする。

職業的学識者というのも、ジャーナリズムの協力者、その一部であることも多々あるような気がする。変な犯罪があると、社会が悪い、社会を変えないと発言するような社会心理学のおえらい先生とかがそうである。日頃の勉強・研究がジャーナリズム同様のいい加減さでもある。

ジャーナリズムなんて、所詮エンタメなんだから、いてもいいし頑張ってもいいのかとも思う、同様に、そんな社会心理学のおえらい先生もいていいのかもしれない。

そもそも、昔と較べて世の中が変だという、ジャーナリズムお得意の、判断、思い込みが怪しい。

私がそう思うのは、「統計という名のウソ」「データの罠 世論はこうしてつくられる」「その数学が戦略を決める」と言った本を好んで読むせいでもあろう。ニュース便乗型の学識者の言動は、ジャーナリスト同様、あまり信じられない点は多々ありそうだ。

社会が悪い、社会を変えないという点から言うと、制度設計、教育、モラルとかの他に、人種改良・品種改良というのも視野に入れざるを得ない。

やっていいかは別として、私は日本人の平均身長を伸ばすとか、平均百メートル走のタイムを短くするとかの、人種改良はできると思う。繁殖、生殖行為を自由にさせないことで、ある程度時間をかければ可能である。

ただ、日本人の頭を良くするという人種改良は、とても難しいだろう。まず頭が良いという定義・定量が困難である。それと、例えて言えば、身長とか百メートル走とかは、より脳幹に近い部分のことで、DNA的にも安定していて、品種改良しやすいのだが、頭の良さ的な大脳皮質よりのことは、偶発的、不安定で品種改良しにくいんじゃないかと想像される。

サラブレットって、人間によくなつくし、従順だから、一見賢そうだが、はたして馬なりの知能が高いといえるのだろうか。野生に離たれて、生活判断力がなくて死んでしまうのなら、野生馬より知能が低いとも言える。

たぶん、大脳皮質よりのことは、自然界(神?)は、進化・品種改良的に興味・関心の埒外かと思う。きわめて付帯的なことだ。自然界(神?)から見れば身長1cmの違いは非常に大きいが、東大に入れるかどうか、ノーベルー賞がとれるかどうかの頭の良し悪しの違いなど、誤差ほどにも興味がないことで、その発現のゆらぎを抑えたいほどのことでもない。紙一重とは良くいったものである。

現在、世界で体格や肌の色など、人種での差は大きい。でも先天的な大脳皮質的な頭の出来の差はほとんどないと思う。そんなもの、差というほどのものではないのだ。

人為的な品種改良の最大の問題点。DNAの多様性を枯渇させることの問題点。人工的に品種改良された人種は滅亡する確率が高い。変な病気がはやると一発で滅びる。生き残れる例外がいないのだ。

大脳皮質などの活動の活性は、個体のDNAでの伝承を期待しても、あまり意味はない。それは文字や文化などで伝承されるべきものだろう。ミームである。この点、DNAに期待されるのは将来の発現のゆらぎである。

私はまだ実存が好きだしこだわりがある。自分の実存をミームに託して継承して欲しい。大々的に知らしめなくても良い。スモールワールドで継承するだけでも良い。たいそうな実存でなくても良い。きっとそれには意味があるのだ。甥っ子、姪っ子の子孫、友達の娘、息子の子孫に、影響を及ぼすことだってあるのだ。ネット上のゴーストとして継承され、どこかの時空で再結晶、再結像化されるのだ。実用的に社会に役に立っているかどうかだけで判断した実存なんて、つまらない。伝承して未来の勇気につながる実存であって欲しい。苦しみのない未来なんて、ありえない。

狂気、狂気と騒ぐが、昔はなかったという根拠は一体、何なのか? 東大出身の医学部の教授が、エイズ菌、B型肝炎菌をばらまく。自分は権威のソファーにふんぞりかえって、多くの人間が病苦でのたうちまわるの想像して楽しんでいたのだ。歴代の米国の大統領、日本の総理大臣にも、これに似たりよったりの者がいたとも想像される。

日本には戦国武将英雄のファンも多い。戦争という殺人の狂気は強いて言わないとしても、戦国武将英雄の中に悪趣味の狂気を持っていた人間がいなかったと言い切れるのか? 行政の治世の為の弾圧とは別に、町娘、農家の娘を、猟奇的に虐待して、娯楽として楽しんでいた奴がいなかったと言い切れるのか。武士が辻きり、お手打ちを楽しんでいなかったと言い切れるのか?

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2008年4月10日 (木)

恐いエセNPO、GONGO

08年4月10日朝日の経済気象台がGONGOの解説。恥ずかしいながら初めてこの言葉を知った。ググッテみたが、日本のサイトでは上位にないのか見つからない。私なりにNPO等がもてはやされはじめた時期、うさんくさい場合もあるかと心配していたのだが、やはりという感じである。記事の一部をお借りすると

役所の走狗となって、生き延びるを図るNPOやNGOも多いが、国や地方自治体が設立し、補助金や委託費の名目で巨額の税金をつぎ込み、多数の天下り官僚を養う公益法人もあまたある

とされている。みんなで目を光らせて、必要に応じて撲滅したいものである。

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党首討論・日銀人事

08年4月10日の朝日新聞と読売新聞。福田首相と小沢党首の討論。日銀人事。私は小沢党首、あまり好きなタイプではないが、言っていることは筋が通っているような気がする。小沢氏が言うように、日銀ポストが政府財政関係官僚の天下り指定席は認めんというより、財政と金融の分離という点から筋が通る気がする。一般に天下り禁止と言っても、職業選択の自由からして無理がある、ただ日銀はもともと、財政と金融の分離という点から、政府財政関係官僚OBとか受け入れは避けるべきだったのかと思う。これまでの慣例がおかしかったのかとも思う。日銀といえども独断、暴走は勿論いけない、政府や財政関係官僚の声も聞く耳は十分に持っていなければならない。しかし、それは政府財政関係官僚天下りを内部に抱え込むとでなされるべきことでもない。そもそも政府財政関係官僚として次官が、日銀出身者とたすきがけ人事ってことはなかったのだから、対等ですらない。

せっかく小沢党首が筋の通ることを言っているのに、鳩山氏とか困ったものである。読売とか朝日は、小沢氏の党内求心力が弱まっていることを心配してくれているようだが、案外、民主党はともかくとして小沢氏の人気は上昇しているのではないかとも妄想する。

読売新聞の、小沢氏が日銀を天下り先呼ばわりすることは日銀を貶めているとの論法、あまりにも幼稚である。読者を馬鹿にしているのか読売が幼稚なのか。ただこれは、読売の編集手帳の記述であって、社説はそこまでひどくはない。

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2008年1月18日 (金)

日本鯨類研究所 天下り

今朝の朝日朝刊を読んでいて、「日本鯨類研究所 天下り」でググッテみた。

私は、日本の鯨文化に無理解な、欧米の反捕鯨運動にも疑問を感じていたが・・・

コミックの「美味しいんぼ」が好きでよく読んでいた。SAPIOを出版している小学館系のわりには、リベラル色、左翼色の強い漫画だったが、反捕鯨の欧米横暴には批判的だったように思う。

確かに、大多数の日本人の日常生活には、大きな問題ではない。水産業も経済的に捕鯨に魅力を感じていないのも事実だろう。しかし、一事が万事ということもあるから、そういう見方が基調になる、国際協調最優先的な朝日新聞の見方も疑問ではある。と同時に天下り問題を突いてくる朝日も鋭いと言えば鋭い。

捕鯨擁護派も、誰を味方につけるか、脇が甘いのかもしれない。天下り人間が私利私欲を捨て、捕鯨擁護に一身を捧げているとは思いにくい。捕鯨擁護派の汚点である。

捕鯨擁護派にとっては、水産業資本が味方についてくれないから、日本鯨類研究所につけ込まれてしまったのかも知れない。国民生活、国民感覚と離れた活動になってしまった。

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2007年5月 3日 (木)

戦争放棄

一般論的に言えば、日本の改憲論議に関して言えば、9条、戦争放棄だけが興味の対象ではない。天皇の立場、大統領制の可能性などいろいろあるかと思う。ただ、やはり9条は、実績としても、少なくない日本人のこだわりもあろうかと思う。なにより国際的に見て大変ユニークである。

私は漫才の爆笑問題が好きである。でもたぶん大田さんの憲法に関する著作は買わないと思う。しかし伝え聞く、視点はさすがに面白いなとは思う。私の考えも影響されてないとは言えない。

戦争放棄は考えようによっては、ありえないほど、非現実的なほど、理想論的ある。それが現実憲法になっちゃてる国が日本だというのは、紛れもない現実である。何故かわからないけど、これをなくすのは惜しい。判るような気がする。一方で、こりゃ普通じゃないわな、普通の国にしようと意見もある。これも判る。

戦争放棄が、理想論的、本当は非現実という事実は、日本の自衛隊が世界有数の火力を保持していること、米国の軍事力に協力していることからも判る。

日本国憲法がGHQの押し付けだったとしても、なんだってこんなユニークな憲法が出来てしまったのか不思議である。ある意味、貴重な奇跡なのだ。私は詳しくはないのだが、何故、同じ敗戦国で西側に組み入れられた旧西ドイツでそうでなかったか不思議である。米国も遠い極東の有色人種の国だし、遊び半分までとは言わないまでも、あまり気にせず、9条にしちゃったのかも知れない。とすれば、だからこれは貴重な奇跡なのだ。

GHQに押し付けられた、という考えも、その意味では硬直的である。

現在、声は大きくはないが、少なくない日本人が思っていること。今の改憲論議の背景に、米国民ならぬ米政府の都合があるなら、過去にGHQに押し付けられたという可能性以上に、比べものにならない、はなはなだ不愉快なことではある。

9条が米国政府にとって不都合なら、限界までこの不都合・奇跡を利用してみるのも大変面白いとは個人的には思ってもいる。たぶん、もし中国が本当に世界の大国になるなら、将来の中国にとっても不都合な9条である。実に面白い。

米国議会も従軍慰安婦問題決議案もいいけど、それなら、同じ、他国内政干渉なら、日本憲法9条を守まもろう決議案でも出してみろってんだと言いたくなる。韓国や中国も今一度、自国民に小さな声でなくて、同様な声明を出して欲しいものである。なんだかんだ言っても結局はそれをしないことが、我々の立場での見ものではあるのだ。

9条は大変、面白い世界の奇跡なのである。

日本でこの問題が、非常に熱くなったとしても、米国、中国、韓国の報道は大きく取り上げることはないような気がする。これらの国は、自国民に日本の9条に詳しくなって欲しくないに違いないのである。

近い、将来9条が弱められるかもしれない。しかし、もし9条を弱める改憲案が国民投票で否決されたら、その改憲案を提出した政党は100年間ぐらいは立ち上がれないとも想像する。確かにその冒険をする政党が現在、存在するとは思えない。安部首相の一人相撲なのだろうか?私は安部首相も本当は、これを心得ていると思うのである。変わりに某新聞の権力者の退陣を予測する。

9条が弱めらられるとき。それは日本が米国に対してもう1回、敗戦するときか、あるいは中国に制服されたときではないだろうか?

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2007年4月17日 (火)

箱モノ行政のていたらく

17日の朝日朝刊。「ハートピアきつれ川」の記事。補助金を流用した全家連幹部の体質も問題があるが、そもそもの原因は旧厚生省にあったとしている。厚労省は補助金回収のために財産を差し押さえて全家連を解散するか、補助金免除で税金の無駄遣いを認めるか、自らの失策を認めざるをえない立場にあると結んでいる。

私も、記事を読む限りそうだなと思う。同じ厚労省関係でもグリーンピアもそうだし、いわいる箱物で、他省庁でも似たりよったりのことが、あまりにも多そうである。

別に根拠があるわけじゃないが、こういう立地に意味のないのところで事業が推進されるのは、土建業と代議士なんかも、からんでくるのだろうと思う。

そして、日本のどかかで、今でも、懲りずに似たことが進行しているに違いないのである。

私は、車に幼児を置いて、買い物をしたり、パチンコに興じている親が、あとをたたなく、幼児を死なせる事故を聞くたびに思う。新聞とかニュースとか、生まれてこの方、見聞きしたことないのか。そんな連中としか、交友がなかったのか。

同じように、これからも。「ハートピアきつれ川」のような記事を読まなければならないのら、有権者というのも、幼児を車の中で死なせてしまう保護者と、なんら変わらないのだと思う。

もし建築家を夢見る人がいたら、いな建築士でも、自分は建物を設計するだけで、きた仕事は糧のためには受けるというだけでなく、このような仕事に関わるのは恥として欲しい。施工監理技士だってそうである。そうでなけば残して誇りになるような仕事ではないだろう。仕事の背景を多いに詮索すべきである。でなければ、他の仕事に較べて、知的理性的でもなんでもないのだ。人に信頼される職業にはなりえない。

漫画「お味しんぼ」だったか。料亭も経営する料理人、魯山人は、食材を探求することにおいて、環境問題とかその背景も真剣に洞察していたそうな。衣食足りて礼節というが、足りていても、自分にすら嘘をつくという、心がいやしいことを嫌ったのである。真の芸術家と職人魂は、ここで最大の共通点を見出すのだと思う。科学者の真髄も同じである。

官庁の連中、群がってくる、土建屋、代議士を見下しているのだろう。しかし、そんな連中を毅然と一喝するのでなければ、かれらの数倍もいやしい人間でしかないのだ。大学教授とかもそうだが、東大とかは、いやしい人間の製造工場かとも言いたくなってしまうではないか。

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2007年4月15日 (日)

全国学習塾協会の講師資格制度

4月15日の朝日朝刊の小さな記事。全国学習塾協会で塾講師の能力検定制度を実施するそうな。

私は、協会の制度で、官製資格でないので、良いかなとも思った。

官製資格というのは、その資格者が提供するサービスを享受するものの利益を忘れて、省益に走り、利用者不在で、すぐに、ミスマッチな制度を放置して世の中に、無責任な迷惑をかけるからである。制度の為の制度にしかならいからである。制度維持者、得体のしれない時代ミスマッチの試験官らの怠惰な都合の制度にしかならないからだ。

前にも言ったが、コンピュータ関係でも、官製資格の存在意義は、はなはなだ疑問である。マイクロソフト社、Java関係などでもサン・マイクロ社、IBM系のベンダー系資格じゃないと意味がないように思う。そもそもプログラマー系などは資格などに頼らなくても、その力量を示すのは歴然と判りやすい。

官製資格などは、いい加減な経営者がクライアントからボッタクルぐらいの目的としか思えない。

同様に建築士制度も、現状では、日本の建築の品質向上、世界の手本になるような志向とはほど遠いと思われる。

ただ、この塾教師の業界資格、塾生や保護者に対する振る舞い方や、身だしなみ、などを学ばさすそうな。

塾に子供を行かせたいという思う親は、心の中では、その成果で、あわよくば、その子を東大や慶応なんかに行かせたいと、思っていることも、少なくないかと想像する。

そのような可能性のある子供に対しては、そのような成功体験がある講師の方が良さそうに思うのは、自然でもある。いきおい東大や慶応の学生や卒業生の講師賃金の相場が相対的に高くなる。

 もっとも東大や慶応で高度な勉強ができるような学生が、入学するに独学でなくて、塾や家庭教師のせわになったからというのは、疑問ではある。受験するに、戦略的に自分の位置づけを知るに全国模試等を受けるのは、当然と言えば当然ではあるが。その結果をフィードバックして、自らの独学方針を立てられてこそ、東大や慶応で学ぶ資質にふさわしいと考えるのが自然かと思う。社会に出ても、期待されるのは、たぶんに、この能力の延長上かと思う。そして少ない労力でそれを成しえたからこそ、使える人間ということになるのも、事実なのである。実社会で無理をすれば、過労死になるだけである。官庁というのは、過労死を防ぐ、鉄の相互扶助体制があるようだ。だからあの連中は、あの時にしか努力しないのである。天下りで、こうした人材を押し付けられる民間はたまったものではない。それを補う社会のムダな代償は小さくはない。

学習塾業界も少子化で、今後経営も厳しくなるだろう。労働賃金相場を低く抑えたいところである。何か父兄にとって、生徒達にとって、詐欺的な事情も、うかがってしまう、この制度かなと思ってしまうのである。

いくら安くても、ムダなこと、まして全国学習塾協会などにだまされて、高値でつかむのは、消費者が気の毒でもあり、日本の貴重な労働力配分上も、国際競争力を損なうと危惧する。

日本の就学受験生を持つ親などに、忠告しておきたい気がする。

そう言えば、私が敬愛してやまない、女優、菅野美穂さんは、高校後の進路に関することで、恩人として、世話になった塾の先生だかを紹介されたことがあったように思う。こうした、全国学習塾協会等の都合とは、遠い話だと思うのである。

運が良ければ、学校や大手塾から正しくスピンアウトしたような人が、教壇に立っているような塾で、思いがけない出会いがあるかも知れない。ただ結局は、その子次第でしかないとも思うのである。

我々が、本当に必要としているのは、正しく「世界を変えられる」制度なのである。真に必要な制度というのは、全くもって、多くはないのであろう。

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2007年3月28日 (水)

再び従軍慰安婦問題

27日の読売新聞朝刊に興味ある記事が。その前に27日朝日新聞朝刊の記事「政態・拝見」から。星浩編集委員の署名記事である。

まず、河野発言の背景について。当時、氏は宮沢内閣の官房長官だった。自民党は総選挙で敗れ、下野する直前だった。氏は総裁に選ばれながら首相になれない状態だった。氏の発言は韓国政府などに評価され、この問題はひとまず沈静化されたとしている。そして最近の話。

安部首相の、「強制性を裏付ける証拠はなかった」の発言に、米国の新聞が「強制性を否定」と報じて、波紋が広がったとしている。

米国の知日派の前国家安全保障会議上級アジア部長マイケル・グリーン氏の発言を紹介している。「慰安婦が強制されたかどうかは関係ない。日本以外では、誰もその点に関心はない。問題は慰安婦たちが悲惨な目にあったということであり、永田町の政治家たちは、この基本的な事実を忘れているという発言である。

星論説委員はマイケル氏の発言をまつまでもなく、強制の細部にこだわって日本の責任を軽視するのはおかしいと言っているようだ。

この線でいけば、星論説委員はマイケル氏や米国の新聞報道肯定派とも言えそうだが、別の面で、同記事の中で米国を批判している。すなわち、多くの米兵やイラク人が命を落としていることについてである。そしてこの悲劇を支援しているのが日本政府であるとしている。歴史、戦争ということで、候補者の見識を問いたいとしている。

おかしいと思う。私は戦争、軍隊、駐留ということで、軍備関係モラル厭戦感から若干、私見を書いた。星論説委員は、イラクの問題からして、厭戦感を持って欲しいという論調と見受けるが、それならばこそ、慰安婦問題を日本の戦時下固有の問題としない態度こそ必要だと思うのである。そして星氏はこの自身の矛盾とともに、朝日が伝えている米国新聞報道の矛盾こそ詮索すべきであると思う。

こういう、矛盾はどこからくるのかと言うと、星論説委員の偽善、すなわち隠された真意があるからではないかと疑いたくなる。愛国心のなさ、中国の顔色うかがい。この観点からすれば、左翼的とも思えるが、中国の顔色うかがいという点は、刹那的、節操のない、守銭奴的、商機にかられた、無責任な、チャイナスクルー残党頼りの、日本財界的でもあると言えないだろうか。その意味では朝日新聞は中国への商機ではなく、私が嫌いな共産国家を純粋に目指す政党紙である赤旗にも劣るとは言えないだろうか。もちろん、これは根拠のない憶測である。朝日新聞はこうした憶測を払拭しなければならない。

だいたい、中国もおかしい。米国や日本の資本を呼び込んで、米国や日本の資本家を大儲けさせ、空洞化で米国、日本の下層労働者をいじめているのである。いや馬鹿なのは日米の資本家だろうか。中国の世界革命の布石なのかもしれない? 日本共産党が米国労働者と協力して、反中国の共産革命を起こして、米国民主党政府を転覆させたら痛快である。私は国外逃亡したいが。もうひとつの疑いは、これは朝日新聞と日本財界の結びつきでもあるが、日本型官僚社会主義の維持という隠蔽された関係も疑える。朝日新聞の巧妙秘かな官と結びついた東大学閥とも言えるかもしれない。このグループは、これまでずっと、米国的実力主義、グロバリゼーションに脅えていた。抑圧された知的コンプレックスとも言える。東大系経済は、金融工学オンチ、現代数学オンチのオバカである。理屈と論理は似て非なるものである。田中角栄闇将軍、チャイナスクルーと官僚社会主義官僚、財界人、頭取族のダークスーツにしかアイデンティティを保てない連中の知的コンプレックスのつながりも疑える。オペレショーンリサーチ、システムダイナミックス、非ヒューマンスキルを使いこなせかった、旧日本軍部そのものである。

さて、27日読売朝刊の記事であるが。題して『基礎からわかる「慰安婦問題」』。朝日新聞は、慰安婦問題に関して、ちまちま米国のマスメディアの反応を伝えていたようだが、読売はしばらく黙殺の後、ドカンと来た。そもそも、朝日新聞なのだが、米国の反応とは実際、どの程度のものなのだろう、私は面倒で調べていない。

読売記事の要点。

まづ一般論として公娼制度について触れている。小中高(大学でも?)では教えないかもしれないが、厳然たる歴史である。戦時中に軍専用の将兵相手の慰安所の歴史も述べている。あたり前だが慰安婦には対価がある。私も触れたかったが女衒(ぜげん)の歴史、民間仲介者が甘い言葉で悪質な手段で慰安所に子女を送ったであろうことも書いてある。慰安所については、占領地において将兵が現地の女性を強姦することを防ぎ目的もあった書いていて、私も完璧はきせないが現実的な管理の一貫ではあるだろうとは思う。さもないと兵舎に違った悪癖が横行しかねない。GHQだって日本が用意した慰安所を利用したのである。ベトナム戦争で日本流慰安所があったと報告している米女流ジャーナリストもいたそうな。朝鮮戦争の韓国軍も同様なそうな。日本軍が抑留オランダ女性を慰安所に送りこんで、戦後、関係者が死刑になったことも記されている。他さまざまな解説があって、結構なボリュームである。ある意味、ある程度、小説等を読んでいればの、そこそこの常識の再確認の趣もある。今の米国の議員には、こうした常識、教養は多く、期待できないのかと心配にもなる。

読売が一方的に正しいとは言わないが、元来、朝日新聞好きの私でも、一連の朝日新聞の姿勢には、気持ち悪くて、読んでいてクラクラしてくるので、こうした読売にはホットするのも確かだ。

読売が強調しているわけではないが、慰安婦の得る対価というのも、多くは戦争に走る、戦争を呼び込む、国の経済状態の結果でもある。この状況というのは、非軍属、一般国民、子女にとっては、はなはなだ不本意なことであって、慰安婦になるいうことの不本意と強制感の距離はあいまいでもある。戦時の悲しさを十分に憶測できる読売の記事であった。

海外をかけめぐる企業戦士も、カネは天下(世界)のまわりものでもないが、慰安所的なものにお世話になってしまう者も少なくないだろう。オスとは、しょうもないものである。読売新聞だって買いたくて買ったケンカ?ではないと思う。ちなみにこの記事は読売新聞の政治部の文責になるみたいだ。

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2007年3月21日 (水)

母と私の従軍慰安婦問題意識

先日、1925年(大正14年)生まれ81歳で、意気盛んな母の従軍慰安婦問題の感想を聞く機会があった。

私は、昔から照れくさいから、母とは生活上以外の話題は話し合ったことはない、だから、人様に恥ずかしいとかの、しつけ、礼儀作法は別としても、政治、宗教、思想上の影響をお互いに受けたりはしていないと思う。

母は、信頼にたる知人からの加害者側の告白を聞いていておおむね、日本軍の従軍慰安婦的な問題はあったと確信している。ただそれは日本の兵士の特質ではないと断言している。世界中、男なんて、兵士なんて、昔から、そんなもんだとキッパリ断言している。だから、そういうことを無視する朝日新聞の論調も批判しているし、読売新聞でさえ核心にはせまらないと言っていた。米国に、中国に韓国に、それを無視して、日本人だけ色きちがい、凶暴な民族と言わせて平気なのはおかしいと言っている。動物というのは、セックスしたがるものだ。アダムとイブが楽園を追われたことに象徴されるように、とりわけ人間のオスは、動物界の中でも、固体差が小さい、あまねく際立った異常性癖の動物である。

これが、極右、極左でない限り大多数の日本人の意見なんじゃないかと思う。どういう事情か、新聞とかマスメディアは、こうした誰でも知っている意見をうまく、すくい上げられない構造になっている。

どこの国でも、軍隊を持っている以上、兵士をもっている以上、国民がひたかくしにしている真実である。潔癖な男だけで、命がけになる兵士など、まともな数で集められるわけはないのである。使い捨ての兵士、軍人から前線になるのである。戦争を起こすということは、男、オスの持っている、凶暴性を敵地で開放する機会を増やすことであることを避けることはできないのだ。性的なことは、別にしてなんてナンセンスである。

特段、高尚な学問を修めたわけでもない、私の母達は、これを良く知っているのである。

自分の息子、だんなに、戦時下で愛のないセックスするなと願うなら、勝てそうになる戦争を起こさないことしかない。(兵士は別としても、一時的にせよ勝てそうに思えることになりそうもない戦争を起こす為政者はありうる)防戦一方の聖戦というのはあるかもしれないが。しかし防戦に成功した国が返す刀で敵地に入れば同じである。敵に女兵士がいれば犯さない管理は難しい。

でも、平和時に自国の政治家が、他国に、あんたの国の兵士もそうなんだよと、当たり前の事を言っても始まらない他国が一方的に、お前の国だけがそうだと、ふざけた、いいがかりを言っても、馬耳東風無視するしかない。

人間の醜さを直視したら、まっとうな人間なら、世界で言い伝えられて来た戦争というものの最低限の歴史教養があるのなら、それは必ず国民、兵士の厭戦感に育つ。そういう事実があるから、真に人間個体としての当事者以外が、具体的には、真に犯されたものが、真に犯した人間を責め詫びさせる以外の、ごく限られた特定の国の戦時歴史を特定するのみで、観念的に、あわびとか遺憾とかに、させるさせないで、かかわる第三者の言動は、吐き気がする。こうした母達の感覚は極めて正常な感覚だと思う。

例えば、朝日新聞の記者だって、きっと、このような感覚はあると思う。韓国や中国の記者だってである。ただ、現場の技術者がなんとかしたいと思っても、公害を垂れ流し続ける工場があるように、朝日新聞等もあのような論調を書き続けていた。

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朝日新聞とか

「反小泉内閣、安部不人気」という記事に、コメントして頂いたことに関連して。つまり朝日新聞のことである。私になりに昔から、朝日新聞は左翼っぽいという意見はよく聞いていて、まあ実際に読んだ感じでも、そう思われる傾向はあるかなと思っていた。また朝日新聞は某週刊誌と犬猿の仲で、その週刊誌の電車の中吊広告なんかの売国奴新聞、朝日的な見出しも時々目にすることがある。でも私の勤めている、与党政官べったり資本主義丸出しの会社でも、購入している新聞だし、所詮、大手新聞社という企業だし、他新聞との対抗上の特色かなと思っていた。この程度の感覚というのは、今でも私以外にも多いような気がする。もっと左翼的に踏み込んだ事情があるということを認識している人達にとっては、私のような人間が、赤旗を読んでいるような自覚なしに、朝日新聞を読んでいることは、ゆゆしきことかも知れない。

う~ん、どうなんだろうか?

活字離れの現代、ワーキングプアの現代、どこでも新聞の発行部数は落ちているかなと思う。その中でも、朝日新聞は読売新聞とかに水をあけられているかなという気はしていた。新聞社というのは、あまり自紙の発行部数をことさらに言わない傾向があると思う。

ネットで調べてみた。Wikipediaによれば、1000万部を超え、読売新聞は世界一だそうな。1977年に朝日新聞を抜いて、現在は大きく引き離していると。

ただ「メディア・読売、朝日・・・公表、新聞販売部数は本当か。」というサイトも見た。サイト作者の疑問はあるが、2005年時点では、日本ABC協会の数字で2位とは言え、朝日826万は読売1006万とともに他紙を圧倒している。能天気な私は、本当の左翼系新聞が、今の日本で多く売れるとは思えない、だから朝日といえどもと、つい考えてしまいがちである。潜んだ(ゆえにアンフェアな)左翼系思想を危惧する立場すれば、だからよけいにおぞましいということにもなるかも知れない。この数字に大きな捏造が無ければ広告主も朝日の発行部数を無視したら、読売への広告費が高止まりして不利かなと想像する。

再度、Wikipediaで朝日新聞を表示させると、読売新聞表示にはない、論議中の表示がでる。内容は、おおむね私が感じていた左傾向があるという感じだろうか。私はWikipediaでこの項目を見たのは、初めてのつもりだが、中国、韓国に無批判的なのは、実際に読んでいて感じる。これは感じるが、特に強い左傾向を感じるには私は鈍感かもしれない。

私も?これからは特に新聞には社説など自紙カラーを強く出した紙面にして欲しいと思う。速報性では他メディアにかなわないのだから。

ただ捏造記事だけは、当然、許せない。かりに発行部数1、2位だろうが、捏造記事を書いた新聞社があったら、他紙、他メディアはその新聞をボコボコにする反論記事を書いて欲しい。それを遠慮したり面倒だからと、しなかかったら、捏造記事を書いたに準ずると思う。ある程度の偏向記事は、他紙紙が相補うということを前提とすれば、しょうがないかなという気もする。ある意味そうでないとツッコミどころ、賞賛どころがなくてつまらない。

私は理科系だったから、新聞社に就職しようとは思わなかった。大新聞社への就職というのは難関だろうと想像する。ちゃっかりした学生は、読売、朝日のふたまたというのはあるだろうか?。しかし、本当に朝日新聞に、指摘される特殊性、奇異?性が強かったら、めんくらってしまう新入社員もいそうに思う。

記者というのは、新聞社のカラーとかじゃなくて、とにかく真実の詮索、探求、権力者の都合を暴くこと等に専念して頂きたい。社や自己肯定、武勇自慢に懲り固まった先輩達とケンカしてでもそういう記事を書かないと、誰も金出してまで新聞とか報道を買う人間はいなくなるから、新聞とか報道は死んでしまうだろう。

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2007年3月18日 (日)

従軍慰安婦問題の奇

私は主にニュースは朝日新聞と読売新聞の朝刊が主である。12日は朝刊が休みであった。従って11日に起きたことは13日にならないと判らない

11日に安部総理がNHKで「従軍慰安婦問題」について、謝罪の意を表明していたことを知らなかった。それ以降、朝日朝刊も読売朝刊も、それについて詳しく報道していなかったのである。だから慰安婦問題に触れている記事もなんだか違和感があった。私のように朝刊しか読んでいない者にも配慮して欲しいものである。

よくよく読み直してみると、13日読売朝刊に、小さく、首相の「おわび」中国各紙で報道という小さな記事があった。 11日のNHKの番組でとある。 93年の河野官房長官談話を継承していくともある。読売は4月の訪中を前に問題を沈静化させたい中国指導部の以降を反映したと分析している。

読売はつけ加えて、「当事、大変心に傷を負った方々に対するおわびの気持ち、これは当然持ち続けていかなけらばならない」と首相が述べたと記事にしている。ただし「強制性」については見解は今ままで通りとしたようだ。

読売にしても朝日にしても、中国で大きく報道しているなら、もっとちゃんと報道しても良さそうに思うのだが??? 

読売の14日の朝刊では、日豪安保宣言の記事で、ハワード首相の、慰安婦問題は豪州でも敏感に受け止められていて、河野談話を継承するとの発言を歓迎したいとの言葉を載せていたのである。

直接的には関係ないが、14日読売朝刊は、戦時下の性暴力語るとして「ガイサンシーとその姉妹たち」という映画を紹介している。

14日朝日朝刊では、これも小さいが、安部首相の「おわび」に米メディア音無しという記事を掲載していた。加えて、4月の訪米を配慮して決議案の採択を延ばす可能性について言及している。また米国民主党のマイク・ホンダ議員の決議案が求めている日本政府の公式な謝罪にはならないとしている談話を紹介している。

朝日新聞は、首相の11日NHK談話を大きく取り上げていないのに、慰安婦問題解決は立法でという、11日の件を知っているのか判らない読者の声を14日朝刊に掲載しているのは、あまりフェアじゃない印象がある。

15日朝日朝刊では、この件に関するシンガポールのリー首相の次に進む努力をとの談話を掲載している。同日、朝日はこれまたアンフェアな感じだが、慰安婦「強制」定義より実質をという伯母さんが徴集されたという読者の声を掲載している。ちゃんと直接的に朝日新聞の立場で論陣、評論して欲しいところである。

16日朝日朝刊には、河野議長の自民党有志の発言見直し圧力に対する質問の中での「私は信念を持って談話を発表している。とやかく今、申し上げたくはございません。あの通り受け止めてください」との記者団にたいするコメントを掲載している。16日読売朝刊でも同様の記事がある。ただし自民党有志の圧力は安部首相に対するもので、首相は河野談話を継承するとしている。

さて、朝日朝刊にしても読売朝刊にしても、11日のNHKの首相おわび以降、慰安婦問題に関しては17日なっても、扱いは小さい

ただし、例外は首相おわびに対して直接的ではないが、16日読売朝刊米下院の日本への謝罪要求採択の背景分析の比較的紙面を割いた記事がある。

米国では連日、旧日本軍の性の奴隷という形で刺激手的に報道されていると。米国でこの手の決議案は96年以降、計8回提案されているとある。韓国系団体と縁のある議員らから提案されていたが目だっていなかったと。今回は米国西海岸の韓国、中国系、米国人の存在感の増大があると分析している。今回の決議案提出のマイク・ホンダ議員は、日系だが選挙区としては韓国系、中国系が無視できないと分析されている。中国系反日団体の本部がある地域である。また日本は既に謝罪しているとしていた議員も、韓国系団体の攻勢で、決議案支持に転じたとされている。

本来、決議案支持でない米国親日派知識層も、拉致問題が北朝鮮問題の重荷と考える勢力に利用される日本政府を心配しているともしている。

私が思うに、朝日新聞が11日の安部首相の「おわび」を中国メディアのように勝ち誇ったように報道するのを躊躇しているのは、こうした背景の理解がないわけではないのかとも想像してしまう。

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2007年3月 8日 (木)

日本人殺害。日本と中国の判決

録画していたNHKのお昼のニュース。福岡の一家4人殺害。犯人の一人、元専門学校生の中国人に2審でも死刑判決が下された。

事件後、中国に帰国した2人の1人は中国で死刑が執行され、1人は無期懲役が確定しているとのこと。

中国に辛口の発言が多いかもしれない私。当たり前という意見もあろうが、中国はこの件に関してはちゃんとしている。当たり前を評価しないというなら「国家の品格」という本が売れるのもおかしい。米国、ブラジルなどの場合はどうだろうか?

日本人が、中国で中国人の、韓国で韓国人のを殺人を犯さないとは言い切れないだろう。中国では死刑なるところを日本に帰ってきたから死刑をまぬがれるというのも問題である。私は異常に刑が厳しい外国でも、外国に行った以上は自己責任、郷に入れば郷に従う覚悟が必要だと思う。同胞だからと言って過度にかばうことがあれば問題だと思う。むしろ国の恥として、より厳しく処罰すべきだろう。

一抹の疑義。この犯人が日本人でも、ちゃんと死刑になるんでしょうね。

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北朝鮮 日本をなめきった態度

3月8日読売朝刊。北朝鮮との作業部会中断に関して。

 読売は外務省幹部の声として「日本をなめきった対応」との言葉を伝えている。これが事実なら、報道は読売のように、ちゃんと日本国民に伝えるべきだろう。

 都合で、こうした北朝鮮の態度を重視しない(米国には行き過ぎた妥協への警戒観はあるようだが)、米国、韓国、中国、ロシア等の4ヶ国の立場を斟酌して、強いて報道しないというのは、良くないことだろう。

 現時点で、この北朝鮮の態度に妥協しない姿勢である安部政権は評価されても良いとも思える。

 戦犯を戦勝国に言われなくても、日本国民が十分に踏みつけにしてないとか、従軍慰安婦がどうのうこうのとか、南京虐殺がどうのうこうので、拉致問題ぐらい不問にしろよ、北朝鮮程度のならず者国家が存在しているのを大目にみてやれよ、など理解しがたい論法である。

 

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2007年2月23日 (金)

出典とウィキペディア

米国の大学で、大勢の学生がレポートで引用した「ウィキペディア」の内容が間違っていたという、新聞記事がある。

私は「ウィキペディア」初心者で、これから大いに活用したいとも思っていたので、ちょっと痛い。

ただ、思う。こうした事態にあって、大学教授がなすべきことは、「ウィキペディア」を学生が活用?したことが、みえみえであっても、利用したことの是非を問う前に、その間違った内容を、ボコボコにして学生を大いに恥じ入らせることが必要であろう。

「ウィキペディア」のことは、まだ良く知らないが、執筆者は匿名なのだろうか?。(そのように感じる)

私は、匿名であることに、問題はないと思うが、その知識の出典は明らかにして欲しいなと思う。「○○年にアインシュタインが唱えた」というのも出典なしに言えることではないはずだ。

私は論文やレポート、あるいは、このブログのようなものでも、少なくとも記憶のあるに内に、影響を受けた活字にもとづく内容なら、出典は明きらかにしたいと思う。「ウィキペディア」が出典でも良い。仮に「ウィキペディア」に出典○○とあっても、読んでもないのに、自分のレポートにそれを出典にしてはいけない。これがルールだと思う。私はあまり水準の高くない工学系の学術学会の論文を読んだりする機会があるのだけれども、ええカッコしいの、見せ掛け出典記述が横行している。(出典の出典を出典にする)。出典が多ければ自分が読書家とアッピールできるかと思っているのだろうか?なげかわしいことである。自らのレポートとの対応関係を明確にして必要十分な出典に絞りきれていないことこそ恥ずかしい。経験上、内容が素晴らしい書籍、論文は、これがしかっりしている。読んで時間の無駄だったと感じる書籍はここがダメなのである。

「ウィキペディア」は痛快でもある。これがどんな既存の紙媒体の辞典より水準が高くなり、記述内容のレベルも、三流教授の三流講義内容よりも高度であると実に楽しい。勉強することの目的の1つが、「ウィキペディア」の内容がスラスラと吸収できて、自分の頭の中の体系にカッチと納まることであっても良いだろう。

国民が高度に「ウィキペディア」のようなものを活用できること、国力の1つかと思う。

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2007年2月12日 (月)

一党独裁、言論統制の国、中国

2月12日朝日朝刊。靴の生産で知られる中国、浙江省の工商行政管理局がルイ・ビィトンやサルディの靴に「劣質輸入革靴」と張り紙し、ゴミ処理場では多量の欧州製有名ブランド靴が燃やされた。同管理局は欧州連合は中国製靴の輸入に高い関税をかける一方で、欧州からの靴は高いだけで品質が悪いとしている。浙江省は外資歓迎の中国にあって特殊な地域で、日本のパソコンやデジカメ、欧州製の洋服、ケンタッキーフライドチキンなどにも、いいがかりをつける。報道により中国全土に知れ渡る。スタバなどにも影響が。中国国民に外資対抗意識が芽生えつつあるのも確かだ。

市場として、中国に期待する日本企業、経団連でもあろう。日本の将来としても中国は無視はできまい。仲良くする余地は重要だと思う。しかし、所詮はまだ一党独裁の国、言論統制の国である。付き合うに特別なリスクがある国には違いあるまい。日本企業が中国に関わるに、過度に日本政府の関与は望ましくない、あくまでも日本企業の自己責任でやる必要があるだろう。関わった邦銀の損害に血税が投入されてはいけない。中国に積極的な企業や邦銀に政府や官が過度に後押し、フォローするのも問題だ。

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2007年1月28日 (日)

男よ、すべからく、誇り高きリア王たれ。老いて荒野に死せ

1月28日朝日朝刊少子化対策の記事。安部首相は施政方針演説で対策の重要性を訴えた。税収や労働力に跳ね返る考えだ。児童手当、育児協業給付など中心から転換する。仕事と生活の調和ワーク・ライフ・バランスを重視。地域と社会を挙げて取り組む。地域・家族の再生、点検・評価など議論。子育てしながらの労働環境づくりを提唱、若者の自立支援策を示す。母子家庭を地域で支える。これまでは総花的で社会のグランドデザインがなっかたとの批判がある。会議を新設する。

私は、「税収や労働力に跳ね返る」というのが、本音と言えば本音だが、これが嫌いである。この思いが少子化の元凶であることも知らなければならない。また少子化をダシにする商売も、元凶の1つであることも知るべきだ。

子育てのモチベーションを回帰に求めているだけはダメだと思う。日本は先進国として、少子化という発展段階にあるんだという仮説の検証も必要である。少子化を防ぐだけが対応ではない

親も子供も、現在も未来も楽しく、考えられる社会とはどんな姿か、これを探求すべきだろう。子育ての楽しさとは何か、老後を子供にみとってもらうことなのか、家族がいて寂しくないことなのか。ちがうだろう、子育てから開放された自立の楽しみもある。娘から育児押し付けられないで、無責任に孫の可愛い顔を見るだけの、おいしいところだけで、老後を自由に遊んで暮らす楽しみもあるべきだ。子離れ、孫離れ、親ばなれ推進にも、解決策のポテンシャルはある。このポテンシャルを無視するから、子育てが憂鬱になるのではないか。

子供がいると、あんな目にあう、子供がいてもあんなだ。昔の人はそれをがまんしていた。昔に戻ろう。これが大変おかしいのである。昔に戻ると得なのは主として男である。政治家、識者はこれが判っていないんだと思う。これが子供にとっても憂鬱なのである。女は母は本能的にこれを知っているはずなのである。そして、子供の憂鬱を癒してくれるのも、また女性、母でしかない

育児、家事をする進歩的な男性だって、育てた子供が老後の自分を寂しがらせないと思ってる打算があるなら、決して進歩的ではない。

昔から、正しい女性は、子供に対してそんな打算はない。大きくなったら自由に羽ばたいて欲しいと思っている。無償の愛である。こんな風になれなかった母は、家長である男に虐げられて、洗脳され頭がおかしくなっていただけである。本来の女性、母の持つ資質が、せこい男どもによって封殺されていたのである。男はまだ本質的にダメである。

だから、ジャーナリズム、識者の少子化論議はいつも滑稽なのである。女がそこに混じっていても、洗脳され女か、おとこ女なのである。

男よ、すべからく、誇り高きリア王たれ。老いて荒野に死せ

母の姿を、まぶたに、荒野を放浪せよ。ぬくもりをもとめるな。母子のぬくもりを守れ

子供に頼らない老後を還りみずに、子供に過剰投資するな。するなら、何も求めるな。結果が悲惨なら子供が孫を育てる憂鬱になる。子供は勝手に育つという実績を子供に見せろ。果実は子供のものである

子育で、搾取されるな

私が過去に書いていたこと 少子化

あと、「06年10月1日朝日朝刊から」でこんなことを

■働く女性多い県は出生率も高い 政府調査会

①出生率が高い自治体は仕事と子育てが両立しやすい環境

②出生率と女性の有業率に正の相関関係があることは国際比較でも確認

基本的に結果に疑問はない。でもだからどうなんだってのはある。

農業従事者、家業従事の主婦が有業率に含まれているかどうかが、不明確。

含まれているとしたら、子供ふやすなら、女性は都会でOLとかしないで、田舎で農家に行けとかになっちゃう。出生率は子沢山かどうかも係わるかな。田舎って女性、未婚でいること、肩身せまそう、みんな都会に行きたがるのでは? 田舎って子沢山プレッシャー大きいかな。男子産ませようとするから。

田舎で所帯持ってるのが、女性として勝ち組というのは、説得力ないよね。

いかに、都会で女性が仕事と子育てを両立しやすいかということこそ、大切なのかと思う。

何故、子育てが出来た方が良いのか。幸せにそれができなきゃ、子供も迷惑千番。お国の為、肩身の為なんて、とんでもない。子供と一緒にいて、ラブラブ・ハッピーであることこそ大切だよね。

たぶん、率じゃなくて、絶対数でも傾向はそうなんだとは思う。でも率だと極端になっちゃう。神奈川県、埼玉県なんかは、専業主婦率高いかもしれないけど、子供の絶対数は多いと想像する。専業主婦の子育て環境は重要でないというのもおかしい。神奈川県、埼玉県は所帯男性の所得が高いというのもあるかもね。

そもそも、人口減ってなにが悪いの? 日本の人口密度が豪州、並みになってから心配しはじめたっていいじゃないか。自分達の老後、子供たちにつけ送るなちゅうの。

自分(自分の息子、孫)をまつり上げてくれる若者の数が少なくなる、という心配だけをする、ロートルになるくらいなら、安楽死を選びたいものです。これからの若者には、そんなロートルになる考えを継承しないで済む、指導をしてあげたい。指導になる見本になりたい。これからの男は、とりまきなんかいなくても、一騎当千、拝一刀(子連れ狼)でなくちゃね。

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2007年1月27日 (土)

教育幻想と大学の淘汰

安部政権も教育再生を目玉にしているし、ジャーナリズムも当然取り上げている。また教育関係の不祥事も多い。国として教育が大事もわかる。

例えば、大学教育と初等教育の両端、それぞれに考えるべきことだろう。

昨今の論調をみるに、ジャーナリズムにしても、政治にしても、本質をつくという意味では、大勢の国民の心情を配慮せざるを得ないという意味で、おのずから限界はある。これは世間では、社交辞令的な会話では、はばかれるものの、結構みんなも、判っていることだろう。新聞がつまらなくなっているのは、大衆的であるのは結構なものの、これに気付かない、知的弱者が主たる読者になっているせいとも感じる。週刊朝日、サンデー毎日かなんの大学入試偏差値特集や東大進学高校ランキングなんか読んで、ヤンキーなパパママに優越感を感じても、所詮は大衆オバカな父兄だと思う。

まんず、初等教育は大事なのだが、それが大学を目指すということに、間違って悪い影響を受けていること。その目指すべき大学が、なんかおかしいということである。

この、現況の1つは、大学というのが供給者論理でしか動いていないこと。そして世間が教育幻想から目覚めていないことである。そもそも、大学生、大卒の高卒生にたいするパーセンテージは大学の教授の講義、授業を受けて意味のある学生のパーセンテージをとうに超えていると思う。このあるべき大卒のパーセンテージが上昇にするには日本人の生物学的な進化が必要なのだが、50年、数百年でそれはない。これを知らないのが教育幻想の1つでもある。そして、今後、そのパーセンテージの絶対数はどんどん減少していく。だから大学の数とか、教授とか大学関係者の数は、いらなくなってくるわけだが、今の日本は、供給者論理でそれを欺いて無駄をしているわけである。このままでいくと、卒業証書を持っていても、趣味、てなぐさみ以上の価値はない大学があふれるという現実を直視してない。あるいは、まじめにやったとしても、高校の中学の補修で終わってしまう大学も出てくる。こんな大卒を、年齢くっているからというだけで、昔の高卒の初任給より高い賃金で入社させるわけにはいかない。むしろ能力が低い分、昔の高卒中卒の同年齢と較べても賃金が割高になる。

東大だって、卒業生の数を絞らなくては、昔の東大卒より、期待値は下がっているのが理なのだ。人口と進学率の関係で、どこに能力期待値のピークがあったのだろうか?バブル前に定年退職したあたりの世代だろうか?今のテレビタレントの中には、その生きた証のような者もいるようだ。

大学で学ぶことの意義というのは、昔から一意ではないだろう。しかし大事なそれというのは、その時代なりにある。また現代では意味のないものもある。専門書籍というのが、まだ一般でなく、高価な時代だったときの大学の講義の価値と、今のそれとでは違うだろう。現代は、くだらない授業をし続け、蛸壺学会にくだらない論文を出す、あるいは連名で学生で書かせるしか能のない、まともな書籍を世に出せない、ろくでもない大学教授があふれかえっている。教授にして、そうなのだから、学位など言うに及ばずである。

日本の将来に為にも、良い大学のあり方というのを真剣に考えるときなんだろうと思う。それがあるべき初等教育にも、少なからず影響を与えるはずだ。

外国は、こうなのに、日本は・・・という話は良く聞く。私は外国の事情は知らない。また外国も、刻々とよくも悪くも変わっていると思う。正しいことは、自分達で考えることも必要だと思う。

私は、学部、学科にもよると思うが、大学ともなれば、学生一人当たりの教授の数とかは、多ければ良いってものじゃないと思う。正直、少人数教室で変な教授にあたっちまったら被害甚大である。むしろ、時の人である教授の名声で、優秀な学生が大講義室に集まっている大学の方が良い場合もある。自分が目指そうと思っている分野で、自分がチンプンカンプの講義に同年輩の学生が教授とツーカーで論議しているの聞いて挫折するのも良い経験なのだ。そしてその分野をあきらめるべきである。井の中の蛙にならなくて済むのである。

マイナーな大学で、井の中の蛙で天狗になっている学生がいたら、そういう一流の大学に学生を行かせて鼻をへし折るというのも、教授の大切な役割の1つだと思う。今の日本なら鼻をへし折られるのが一流に入学できたと思っている学生の方であっても良い。

日本において、このような状況にしまいというのが、日本の教育界の供給者論理の悪さそのものなのである。

大学よ倒産せよ、キャンバス建設投資をやめよ。海外一流校を誘致せよ。

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男こころ 「らしさ」

1月27日読売朝刊。このところ『男こころ 「らしさ」を超えて』といのを組んでいる。「らしさ」を超えてと言いながら「男」で始まるので重層的に変というか面白い。私は

男は、女子供の為にあれ。しかも社会的に。

女は子供、男の為にあれ。個体的にでも許す。

男は男の為にあってはならない。

何故か女は女の為にもあっていい。逆にそれを嫌っても良い。

らしさは、日々探求するもので、過去に規範を求めない。

つうか「らしさ」は、「自分らしさ」だけで良い。

今のところ、そんなところです。

女も男も子供も実存なのだ。アンアガジェマンなのだ。なんてね。

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超低金利 円安

1月27日読売新聞利上げ観測後退の記事。円安に対する批判が欧州を中心に高まる。背景に日本の超低金利を指摘。超低金利は国際社会の矢面に。利上げに意欲の日銀には追い風か。だが利上げ材料でもある消費者物価CPIは伸びていない家電の価格は不振(給料もらってないから高いと買えるやつがいない)。武藤日銀副総裁は超低金利で預金者が気の毒。片山参院幹事長はわずかに金利を上げたところで預金者が喜ぶのかと疑問。

経済が良く判らん。だまされた気しかせん。一般消費者、生活者がローンばかり組む、一方で超低金利でも仕事で資金繰りに苦しむ内需零細経営者、血税は破綻銀行から債務、金利とりそこなって、行員はウハウハ高給。預金は利子限りなくゼロで、おろすたびに手数料とられ、元金割れする為に銀行に預けているようなもの、でも会社は給料口座に振り込んじゃう。なんかおかしくねーか。自己責任でいい世界のサービス受けたい。外資系銀行に厳しすぎないないかしらん。邦銀甘やかし過ぎじゃ。ぷんぷん。

御手洗ビジョンなんか通用していいのか?御手洗・安部より自民破壊の小泉・奥田回帰に国民は期待してないかしらん?

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マグロ ツナ 巻き網漁

1月27日読売新聞。揺らぐ魚食大国。マグロの記事。日本は勿論、大消費国だが世界のマグロ需要を押し上げているのは缶詰だ。日本は巻き網漁の抑制を提案した。巻き網は稚魚や幼魚まで一網打尽にしてしまう。米国、南太平洋、インド洋の島国が反対韓国、パキスタンは日本を支持

日本の水産企業に恨みはありませんが、ツナ缶や、外食でもツナサラダを食べるのはやめようかと思ってます。節約して、ここぞという時に、一本釣りのマグロを食べたい。

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人道支援の美名の裏

1月27日読売新聞。国連開発計画UNDP執行理事会が対北朝鮮新規事業の一時凍結を決めた。事業の透明性を求める声が強くなっている。米国が問題視。現地経費、職員給与が外貨で支払われ北朝鮮政府に注入され不正流用の余地が生まれている。かつてのベトナムでは改善されている。UNDPは弁解している。日米は資金拠出国として承認できないとする。フセン支配のイラクで各種支援資金がフセンに流用されたことは記憶に新しい。北朝鮮は国連を利用しようとするが途上国の間のでも孤立が深まる。世界食料計画WFPは凍結に従わない。

別に国連やUNDPの存在意義を否定するわけではありませんが、こうした報道は重要だと思う。UNDPに従事する方々の、苦労、情熱もあるでしょうが、自意識の為に気分良く役割を果たすことに甘えがあったり大局を忘れたりするということはある。

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2007年1月 8日 (月)

天然ガスも後手、日本

1月8日読売朝刊。エネルギーの買い付け中国に脅かされていることの記事。インドネシアも、もう日本はお得意様とは接してくれなくなっている。中国のインドネシアへのガス田の開発投資は3兆6000億円にも登ろうとしている。日本の03~05年の直接投資は4900億円でピークの4分の1だ。LNGでも日本は後手に回っている

インドネシアに義理がないことを恨んでもしかたあるまい。中国も将来同様にに踏みにじられて欲しいとも思うし、中国が強引な逆恨みをしたら、日本はインドネシアとどう協調していくかも考えておく必要もありそうだ。興味は、直接投資でない部分がどうであって、それもどんな風に踏みにじられているかである。また、過去に中国、インドなどの強力なライバイルがいなかったのに、 日本国民から見て、非効率的不合理な投資をしていなかったかの反省も必要だ。

中国は、インドネシアに、オレ達とうまく付き合っていれば、やがて北朝鮮のように核を持たせてあげるよと、誘惑している心配はないだろうか?

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CO2埋設とは?

1月8日読売新聞。CO2を地下に埋設する記事。温室効果ガスの削減として認めてはどうかという議論もはじまる。経産省・資源エネルギー庁は日米共同で事業に参加する。

ポリシーにリスクがある。結果、ご都合主義だし、その合理性より、今はとにかく、地球温暖化にかこつけて、国民良民の血税出費の材料が欲しいという動機も感じてしまう。第一、少子高齢化に対応すんとする日本であればCO2排出は自然減圧力があるので、主に米国の問題である。資源枯渇緩和には対応しない、温暖化防止策である。米国は資源枯渇後も大儲けできる算段ができている悪魔の国でもある。

国民負担なく日本の技術を米国に高く売って、たんまり稼げるなら話はまた別かも。ただ資金回収償却のリスクは小さくはない。失敗、あてハズレ計算済みの血税頼りの、格差拡大増長の、政官癒着企業の商機は徹底的に潰していく必要がある。

似たような、環境にかこつけて、既に犯してしまった過去の事例としては、ダイオキシン危機を過大評価して、焼却炉建設でメーカーを大儲けさせ、汚職談合材料を作った可能性が残っている。

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移民。帰化政策の推進は正しいのか?

1月8日読売朝刊。政府がニューカマーと呼ばれる外国人の増加で財政負担が増えている自治体に特別地方交付税を施す記事。1990年の法改正で日系外国人は定住して単純労働も含めた就業が可能になった。交付税は彼ら児童の就学支援、生活支援に役立たせる。

記事は日系という言葉を混ぜているが、ちゃんと日系の為という歯止めが効くのだろうか?あるいは、それで良いのだろうか。現に日本で勤労されている外国人が、つらい思いをしすぎるのは、現代人としての日本人の心が痛むのは当然ではある。しかし、国内における、勤労において外国からの労働力を欲するというのは、誰の為なのかを良く吟味する必要がある。門戸が広いだけが国際化対応なのだろうか?国内で安い労働力が欲しいというのが見え見えなのだ。国内にはロストジェネレーションの若者や、まだ食べる為には働かなければならない定年退職後の高齢者がいると言うのにである。無責任な未来への禍根になると思う。ネイティブの日本人に子作りを不安がらせる政策につながる1つかも知れない。

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よく考えよう読売新聞、子供の徳目

1月8日読売朝刊。ドナルド・キーンさんの日本人観にちなんだ、日本人の道徳に関する記事の中。寺や神社にまで及ぶ落書き。  安部政権で教育の目標は個人尊重から公共の精神尊重へと転換された。教育再生会議担当室長ヤンキー先生こと義家弘介氏(35)は戦前の修身をアレンジした「子ども徳目」の義務教育導入を提唱している。

私は童心のころ、いじめはしなかったものの、相当なイタズラ好きな困ったガキだった。しかし、寺や神社にまで及ぶ落書きまではしなかった。何故だったと考えた。私の脳みそがまだ小さくて皺も少なかったころに、近くに寺、神社がなかったからかもしれないが、きっとそんなことしたら、誰か大人につかまって、母が呼び出され、母はきっと泣いて土下座させられると判っていたのだろう。その後、家で激しく叩かれたかもしれないが、それが恐かったのではない。母がそんな目にあうのは絶対にやだと言う、経験があったからだろう。当事、おきうるこうした事件は、学校や教師の範囲外であった。 学校で修身なんかあったとしても無意味であったと確信する。  問題は、ガキをとっ捕まえる大人と、土下座して謝る親がいないということだ。

振り込め詐欺や、悪徳リフォームなどに従事しているような親では、土下座して謝るなんてしそうもない。金融マン、官僚、政治家なんかやっている親もそうかもしてない。いや、全ての日本の親がそうなのか?

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大丈夫か、米国原発への日本政府保証

1月8日読売朝刊。日米両政府による米国内原子力発電所建設の資金支援基本合意の記事。米政府による債務保障と日本の貿易保険を組み合わせる。日本の貿易保険とは日本の企業が輸出代金未回収になった場合に政府が一定割合を補償するもの。米国内では原発建設計画が目白押しだ。日本政府が日本企業の進出を後押しできる。ブッシュ政権は原発推進に方向転換している。米国側は1基あたり3000~4000億円の建設費の80%を債務保証する。20%を日本側の貿易保険で保障する。米金融機関は原発事業融資に消極的だった。政府が融資のこげつくリスクを減らす。

米国に建設される原発で、日本の民間企業のリスク低減の後ろ盾に、国民の血税を位置づけるのか、十分に監視する必要がある。確率論的には、日米エネルギー産業、米国政府に日本国民の血税が一方的に歳入となることが確定している?

これが安部総理の祖父、父親ゆずりの資産形成の連金術の1つか?

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2007年1月 4日 (木)

反小泉改革、安部不人気

この正月がなんかつまらないのは安部政権のせいではないかと思う。朝日新聞は既に相等に辛辣のようだ。私の実家でも、年老いた母も同じ感想である。安部政権は全く小泉政権の正当後継者ではないというのが、我が家および世間の偽らず感想のように思う。日本の未来は倦怠と憂鬱である。小泉政権の希望あるハードランデォイングのリスクの方が良かった。読売新聞は、朝日に較べて暖かく見守っているのだろうか。御手洗経団連が安部政権と蜜月であるがゆえに、両者株を落としているようだ。

1月3日朝日朝刊。木村伊量ヨーロッパ総局長の記事は痛烈でもある。郵政民営化造反議員復党・道路特定財源見直し後退・政府税調会長等不始末。東京の各国大使館は支持率急落の分析に懸命なそうな。安部政権はガラスのもろさとの打電とも。TM問題のなさけなさは、日本国内以上の不審の目だとも。日本の民主主義の薄っぺらさそのものと。国民や同僚達の憤慨が足りないとも。やらせ、偽装、不正決算。御手洗氏のおひざ元のキャノンの化けの皮。利益誘導政治がまかり通る政官業がもたれ合う古い日本に戻る手招きを安部政権がしているだけ。朝日新聞は、族議員や官僚の抵抗を押さえきれず、愛国にすがって政権の求心力を保とうするだけでは、政治は方向を見失うばかりだとしています。今、世界は小泉氏から安部氏に変わって失望と冷笑を日本に送っている

美しい国、日本だと。日本の恥部、腹黒い族議員・官僚どもが、笑わせるな。とい言うのが少なくない国民の声だと思える。

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ロストジェネレーションのヒーローが日本をつくる

1月3日朝日朝刊。市議選に立候補する25~35歳世代の話。朝日はこの年代を就職氷河期を経験したロストジェネレーションとしている。4日の記事はこの一貫。人気企業への就職は千分の3、市議になれる確率は五分の四。会社員よりも政治家就職の方がハードルが低い。この世代が目指すのはあくまでも地方政治である。時代を動かす起爆剤になるかも知れないは、北川正恭早大教授元衆議元知事の弁。渋谷区で当選した平田喜章氏は携帯端末でブログに書き込むブロガー議員だ。ひこもりニートだった平田氏を受け入れてくれたのが渋谷のクラブだった。幕末、新しい政治を志したのは地方の若い志士だった。現代の坂本竜馬は、漫画を片手に音楽を聴きながら現れるのかも知れない。レールからはみ出した若者たちが、既存の政治家像に揺さぶりをかける。

正直、へぇ~という記事。「日本人はどうやって働くか?」という記事で最後、私が叫んでしまったことは、こんところでも既に始まっているのかもしれない。住宅やマンションをローンで買おうなんてしない、被災復興の必要でもへこまない、こうした若者が、自らの仲間からヒロー、カリスマを生み出して新しい日本を模索していくことを期待したい。

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関空中部空港汚職?

1月3日朝日朝刊。水谷建設が隠した所得は、関空、中部空港の下請け受注の工作費として、暴力団幹部、国会議員秘書に渡っていたとの記事。水谷建設は99年着工、関西空港2期工事に内定していたJVゼネコンから地元対策として暴力団に金を渡すように命じられていた。

朝日新聞および当局の今後の追求が注目される。

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団塊の世代07年問題

1月4日読売朝刊。ノンフィクション作家の加藤仁氏が、2007年の団塊の世代問題で寄稿されている。定年後が楽しみとも言えば、働くことを希望しているとも言い、彼らのサラリーマン人生は完全燃焼どころか生煮え高齢者雇用確保措置法が事業者に義務付けられ、65歳定年引上げなどが団塊の世代を惑わす。働きたいが増加する。決断が引き伸ばされ07年問題は10年問題、12年問題になる。団塊世代は社員教育してもらうゆとりがあった時代でビジネススキルも高い。NPO法人での活躍は世直しの予兆もある。

私は、全くこのような楽観を持っていない。彼らのビジネススキルははなはだ迷惑だし、NPO法人活動も建築士資格水準では正直ゾットする。腕の良い職人さん達は別格としても、高齢者雇用確保措置法、65歳定年引上げなどは次世代の最大の憂鬱でもある。

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中国のアフリカ権益

1月4日読売朝刊。今日の資源ナショナリズムの記事。中国の人道無視のアフリカでの資源買い漁り。中国はアフリカ各国に鉄道、病院、住宅、発電所などを無償で建設している。それでエネルギー権益を手に入れている。中東などは国際石油資本メジャーに握られているか、厳格な国家管理にあり手が出しにくい。欧米日本が手を出しにくいアフリカで非難を省みずに買い漁っている。中国の輸入急増が原油市場を売り手市場にし、本来は市場メカニズムで価格が決まるはずの市場を政治化している。

米国の人道主義も、結局はご都合主義で、本当には信頼できない。しかし、中国が社会主義の国家としても、将来、大国として世界平和で影響力を持ちたい、信頼されたいとするのであれば、今のやり方はまずいだろう。というより、自由主義民主主義でもないのに、その社会主義が腐り果ててしまうだろう末路は今のロシア以上ではない。同時に日本企業の中国への投資熱、進出熱も反省すべき点はある。米国の最恵国待遇もしかりか。

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日本の平和貢献

1月4日読売朝刊。日本の平和貢献 に関する記事。国際協力機構、ユニセフで貢献してきた、平林国彦さんは、「野心がなく、相手の身になって一緒に考えようとする日本人の性質は、平和構築支援に向いている、しかし薄く広く、資金機関も人間も『オンリージャパン』であろうとする日本流では、外国からは何をやってきるのか判らないという限界」と考える。「明確なビジョンを示しつつ行動しなければ、日本の顔は見えてこない」     一方麻生外相は、日本外交の脱皮に意欲を燃やす。日本もいい齢なんだから、鏡に映したわが身の大きさにモジモジするのはやめ、国民に身の丈にあった穏やかな自尊心を植えつけたい。自由や民主主義、法の支配などの普遍的な価値を臆せずに主張し、ユーラシア大陸の外縁に民主主義国家を増やして「自由と繁栄の弧」を築こうとの構想。 

読売新聞の論調は朝日新聞 に較べると、日本もお人よしばかりでなく、自虐遠慮深いだけでなく、力と誇りが必要だとのカラーだと思う。しかし、朝日新聞が強調する、日本人は、これまでの姿勢で世界から好かれているという認識も無視できるわけでもなく、平林氏の見解から麻生外相へのビジョンへと、誤魔化してすりかえているようにも見える。もっとも私は、平林氏と麻生氏が、どれだけ意気投合しているかは知らない。少なくとも、麻生氏と意気投合せずに、平林氏以上に氏のような思いを深くしている人達は少なくあるまい

私はというと、麻生氏と意気投合しないことも大事だし、麻生氏の考えに近いことも必要かなとも思っているのである。 

青年協力隊とかJAICAとかで、現場で頑張っている若者やシルバーの方々は純粋で立派な方々も多い。しかし、それら背後にあるものに、警戒心なければ、醜く利用されるだけにもなる。麻生氏は自民党の代議士だし日本の政治家だから、その背後との親密性という限界はあるだろう。

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羽田空港拡張工事談合疑惑

1月4日朝日朝刊。羽田空港拡張工事の談合疑惑記事。6千億円近い工事が99.8%で落札されている。別工法で提案した造船業界は受注を断念していた。渦中の大成建設・鹿島建設は、この工事の受注後、談合を一切行わない申し合わせを表明した。

公取委、ジャーナリズムの厳しい追求が期待される。

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2007年1月 1日 (月)

国防世界平和と読売社説

1月1日読売朝刊。社説。まんず北朝鮮の核は断固、容認できない米韓中ロ4国と日本との間には脅威に関する温度差がある。韓国は融和路線優先のように見える。日本無視で北朝鮮核保有が既成事実化しそうだ。日本の核武装は技術的には困難ではない。しかしこの選択肢は現実的ではない核拡散防止条約体制の崩壊を決定的にする。国際通商に依存する日本の経済基盤も脆弱化させる。米国の核の傘の下にいるのが現実的だ。核の傘の機能を確実化する必要がある。日米同盟関係の信頼性を揺るぎないものにする必要がある。日本も集団的自衛権を行使できる必要がある。憲法解釈を変更すべきだ。北朝鮮をくじく鍵は中国との対話にある。戦略的互恵関係をさまざまな次元で推進すべきだ。同時に日本独自の通常軍備抑止力が必要だ。米国が日本制海圏内で核を持ち込むことを認めるべきではないか?核保有論議そのものを封印する正義は疑問だ。      国防の財政基盤を真剣に考えたい。先進国でこれほどひどい財政状況の悪い国はない。高齢者を含め、全世代が広く負担を分かち合う消費税の引き上げは必要だ。児童手当などのバラマキ感覚を超えてスケールの大きい少子化対策を決断すべきだ。

与党か野党か、より、読売新聞の論調か、朝日新聞の論調かと、いう議論の方がよほど興味深い。

米国など、核保有国を頼らずに、それらに圧力をかけていく、非核保有国のリーダーたろうとする道も、面白いと思うのだが。南アに続き、パキスタン、インドと核武装廃棄への道にチャレンジするのも面白そうだ。今の韓国にその資格は弱い豪州、カナダ等に期待したい。日本とのこの3国等で世界の平和的総生産の3分の1以上を占めたい。非核保有国の通常兵器は米国、中国等に供出されば良い。もし日本がまた、核の犠牲になったなら、この3国を中心として朝鮮半島を統治したい。防げなった核保有国、北朝鮮に甘かった国にその資格はない

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国有地37万㎡の無償譲渡

1月1日読売朝刊。国有地37万㎡の無償譲渡について報じている。財務省は時効取得の実態を公表しておらず、国有財産の処分のあり方が問われるとしている。

読売新聞、あっぱれか? おおいに不審感を持って、追求して頂きたい。

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ロシアへの原発提携

1月1日読売朝刊。東芝・IHIがロシアの国営原子力独占企業体から、提携の打診があったとのこと。東芝・IHIは米ウェスチングハウスを買収している。ロシアは米国と原子力平和利用の2国間協定を結ぶことで合意しているとのこと。

イランのロシア原子力協力で、米国圧力の交換条件として、日本企業、日本が損をしないように見守りたい。国民に負担がかかる形で、政府が肩入れするならば、不審感もつのる。技術流出にも留意したい。

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2006年12月30日 (土)

日本人はどうやって働くか?

12月29日朝日朝刊。労働環境に関する、八代尚宏国際基督教大労働経済学教授・経済財政諮問会議議員・労働市場改革専門調査会長(旧経済企画庁)と中野麻美弁護士・NPO派遣労働ネットワーク理事長との対談。ワーキングプアと格差拡大が懸念されている昨今、いまなぜ労働ビッグバンなのかというテーマだ。

日本はさまざまな問題をかかえている。国家財政のつけおくり巨大赤字。少子高齢化。年金医療保険破綻。巨大地震の可能性とリスク管理。とどまることをしらない非効率官僚焼け太り。

政経というのは、さっぱり判らん。私は物質、エネルギー、空間時間に関することは、出来が悪いなりに、難しいことに辛抱強くつきあえる方なのだが、正確に事物の展開が予想できる方なのだが、政経はさっぱりわらん。判る努力が萎える。わかるつもりの人に出会っても、なんかうさんくさい。先おくっているだけで、本当には判ってないんだろうなと思う。株価の短期的な動向がうらなえたところで、どうかなと思う。なんでこうなってしまったのか、脱出口があるのか、さっぱり判らん。論に信頼が寄せられない。判ってない奴が、判っているふりでものを言っている。

今のワーキングプアはそれまでの日本の労働者・勤労者より不幸だとしよう。国民は国民がそんなふうにならない為に頑張ってきたのではないか? 何故、こんなことになってしまったのか、何故昔はそうではなかったのか?

昔の勤労者が今のワーキングプアより不幸でないように見えたのは、まやかしかも知れない。そのつけが巨大財政赤字であり、地震に対する都市の巨大リスクである。昔の日本の勤労者労働者が今のワーキングプアより不幸でなかったことが、今の不幸を生み出したようにも思える。だから昔に戻ることは解決策ではなさそうだ。しかし変わり方の方向はまだ信用できない。小泉政権のときの方がリスクのとり甲斐はあったと思う。

私には日本の株相場が良くても、企業の納税額が良くても、日本お前は死んでいるという現実が一歩一歩そこまで来ているように思える。取り返しがつく間に、目覚めよ日本の若者とも言いたくなる。少なくとも、団塊の世代以上の日本人の未来を斟酌することは決してプラスにはならないだろう。アナーキーになったら負けだと思う。民主党はものすごくダメだが安部政権もダメだ。小泉復活独裁が望まれるのは、もはや少数意見ではないだろう。

若者は、頭の良いオーラのある同じワーキングプアの若者の意見にこそ耳を傾けるべきかと思う。さすれば日本の活路は必ずみつかると信じたい。仲間の中から天才を捜せ。自分達でカリスマをヒローをつくれ。オヤジ達、銀行、貸金なんかたよるな。クレジットカードなんか捨ててしまえ。雇われるな。派遣なんかに行くな。情報処理士試験・建築士試験なんかに時間と金を浪費するな。セミナーなんかに行くな。専門書を読み漁れ。ボロボロのガレージを占拠して何かを始めてみるがよろしかろう。

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エネルギーとロシア

12月29日朝日朝刊。ロシアのエネルギー政策について。朝日はプーチン政権の資源外交を、豊かなエネルギー資源を武器に政治的、経済的利益をとことん追求するやり方は、国際社会の懸念や周辺国とのあつれきをさらに深めそうだと評している

私もそう思う。ロシアのエネルギー政策に関心を持っている。米国や日本資本との間でも摩擦と不信感を生じさせている。ある意味、イスラム系のエネルギー資源国よりたちが悪い感じである。ソ連共産党も、いただけなかったが、ロシア国民というのも、つくづく宿命的にリーダに恵まれない。国際商習慣で信頼されない国家というのは、先進国たらんとすることでもっともマズイことだろう。ロシアは世界で最も危険な国(というより私に言わせれば地域)の1つだろう。日本に限らず、どの国もできるだけ、かかわり合わない方が良いと思う。民族の1個人としてのロシア人の美点はまた別の話だが。中国とロシアが摩擦を起こしたら中国を応援したい。インドも今のロシアとは仲良くなって欲しくない。

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天下り規制

12月29日朝日朝刊。政府が通常国会に提出する国家公務員改正案。営利企業への天下りを原則2年間禁じる現行の事前規制を撤廃するかわりに罰則や監視機能の強化など事後規制に変える内容。朝日は公務員の民間企業への再就職を後押しする内容と評している

そうかもしれない。しかし、本当に事後規制がしっかりしているのなら、この方がまっとうではないか。汚職を防止する上では、2年間だろうが5年間だろうか、再就職をすえおいたところで、たいした意味はない。朝日の見識は何なんだろうか? 事後規制が厳しければ、元官を受け入れる企業のリスクは高くなる。元官がいて業績が良ければ疑われる。元官を受け入れるニーズが低くなるだろう。それが期待されるべきことでもある。そのリスクを乗り越えても正味の元官の能力に期待する企業が、あるのならそれは自由であろう。研究職にあったり、海外人脈に強い元官などは実力次第だろう。

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構造設計1級建築士。朝日社説

12月29日朝日朝刊。社説。耐震偽装。まだまだ安心できないとのこと。構造設計1級建築士や設備設計1級建築士が設けられたことについて、それなりの効果があるだろうとしている。そうだろうか? 朝日新聞は何を知っているのだろう。何故、何の根拠で前段階の1級建築士の製図試験等が必要だと思っているのか?それだけでは、建築行政への不信感は解消されないとはしているが。

建築士というのは本当にひどい国家資格だと思う。消防士になるには、前もって警察官であることみたいな資格だ。結局、両方とも馬鹿にしている。両方とも馬鹿にしていい仕事だと言っているようなものではないか。

どこまで、行っても、地震国日本でコンクリート建物等を作ることにおいて、従来通りの、無責任を責任所在不明を守りたいという、見上げた執念を貫き通している。

朝日新聞も読売新聞も、それをあたたかく見守っている。そんな構図である。

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2006年12月29日 (金)

連合は社会の敵?

12月29日朝日朝刊。27日労働政策審議会。ホワイトカラー・エグゼンプション導入で席を蹴れなかった連合だそうな。自民党な中の声の方がよほど、労働幹部らしいとも。「賃金が安く不安定な非正社員ばかり増えている。企業は利益優先でいいのか」「いくら働いても生計が立たず、結婚できない若者いる」「連合なんか正規の労働者ばっかり。自民党こそ非正規の味方」とも。奥田前日本経団連会長は「組合活動への参画意識が低下し、労働組合運動が内部から自壊する危機にひんしている」と言っていたそうな。

民主党の弱さ、だらしなさは連合のだらしなさでもありそうだ。今や官僚についで正社員が世の中の敵になりつつある。正社員なんか、みんなでいじめる。過渡的には、そういう状態が早く来た方が良いのかもしれない。消費税より、正社員税、非契約社員税というアイデアはないのか?

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2006年12月16日 (土)

笑止・噴飯? 1級建築士専門資格創設法案成立

私が建築士制度について記事を書いたのは9月11日が最後だったが、1214日朝日朝刊に、構造設計1級建築士・設備設計1級建築士の専門2資格を創設する改正建築士法が、13日、衆議院本会議で可決、成立されたとの小さな記事があった。

2年以内に施行されるそうな。具体的な法律の詳細は記載されていない

忙しくて新聞に目を通していなかった時期もあったかと思うが、9月以降、朝日新聞朝刊、読売新聞朝刊で、この問題を取り上げていた記憶がない

ブランクを埋めるためにもネットでちょっと調べてみた。

共同通信では11月30日時点で、建築士の業務の専門分化に対応するため、5年以上の実務経験があり、講習を受けた1級建築士を対象に国が構造設計1級建築士 設備設計1級建築士を新たに認定。高さ20メートルを超える建物などは、原則として認定を受けた建築士が構造設計や設備設計する。と報じていたようだ。

共同通信社10月24日付けで、ネットで以下の情報も流している。

政府は24日の閣議で、高さや床面積が一定以上の建物の構造や設備設計を行う専門の建築士を認定する制度の創設などを盛り込んだ建築士法など3法の改正案を決めた。今国会に提出、成立から2年以内(一部を除く)の施行を目指す。 耐震強度偽装事件の再発防止策で、6月の建築基準法などの改正に続く第2弾。 建築士法改正案では、構造と設備で5年以上の実務経験があり、講習を受けた1級建築士を「構造設計1級建築士」「設備設計1級建築士」として認定。高さ20メートルを超える建物などの構造設計と、3階建て以上で延べ床面積が5000平方メートル以上の設備設計などは専門の建築士が行う。 建築基準法改正案は、建築士が設計した木造2階建て以下の建物について、耐震性などの強度審査を省略できる特例を廃止、建築確認時の審査を義務付ける。

 建設業法改正案では、分譲マンションの工事業務などを一括して下請けに出す「丸投げ」を禁止する。

建通新聞社でも12月1日で報じている。付帯決議には建築設備士の有効活用設計報酬の適切な見直しなどを盛り込んだ。としている。

「構造設計1級建築士」「設備設計1級建築士」1級建築士をベースに構造分野、設備分野の専門性を認定し、一定規模以上の建築物について、資格者による関係規定の適合性チェックを義務付ける

建築士事務所に所属する建築士、構造設計1級建築士、設備設計1級建築士には一定期間ごとの講習受講を義務付ける1129日に開いた衆議院国土交通委員会で国土交通省の榊正剛住宅局長は「定期講習の受講は3年ごとを想定している」と答弁。また定期講習では修了考査を行い、「不合格となった建築士には再受講を求める」との考えを示した。

施行日は原則として公布から2年以内。ただし、建築士法のうち構造設計1級建築士、設備設計1級建築士による適合性確認などは、施行日から6カ月以内に適用開始する。

と報じている。

また、10月24日付けだが、日経住宅サーチというサイトでは、

設備設計3階建て以上・床面積5000平方メートル超の建物について、新資格の建築士による設計か、法に適合しているとの専門家の証明を義務づける。

とも報道している。

この専門家というのが、建築設備士、1級管工事士、関連技術士のことなら、いくぶん建築設備技術者等は救われるが、今のところはっきりしたことは判らない。

結局のところ、建築士制度というのは、もともと、土建国家日本特殊性でおかしなものだったし、大学等の建築技術教育明治維新から、国際的におかしなもので、大学の建築学科改革なんかも手付かずということだと、小手先の改正では、よけい改悪でしかないということだろう。この点は、医療・医学、法学とも事情が異なる。さらに、日本だけの問題だけでなく、国際的にも、現行の建築産業・建築教育等が時代にミスマッチということに対応するにもほど遠い。さらに建築構造技術に関しては日本が有数の地震国であるという特殊事情が重なる。

ネットで調べた手ごたえとして、従来の建築構造技術者、土木構造技術者よりも従来の建築設備技術者からの反発の方が大きいことが上げられる。発端を耐震偽装問題と捕らえると、トバッチリと考えている向きもあろうかと思う。そもそも従来、実力のあるダメ出しを生じない、クライアントに対し説明能力のある建築設備技術者は、建築学科、機械学科、電気学科と出身に関係なく、資格ありなしかかわらず、実務においては実質的には建築士等は眼中になかっただろう。建築士は設備に関してデタラメ、適当、生半可を言う傾向がありそうだ。良くてカタログ・業者営業の受けうりである。

一方で、構造技術者が、今回を自らの地位確立の機会と、十分に反発しなかったのは、能力と責任を建築士の名の下で、あいまいしておいた方が得策と考えたフシも考えられる。

普及し得る耐震技術等で、建設市場を冷え込ませないだけの、信頼根拠がないのだろう。学者レベルからしてそうなのであろう。ようするに、技術者として主体的に責任を負える能力に自信がないのだ。従事している根拠が自らの技術者の資質・見識に基づくものではなく形式的な他力本願なのである。まず地震国日本において、非地震地帯である欧米と遜色なくコンクリート建造物をつくることありきに抵抗する術を持っていない。疑義を感じるほど、本格的な能力を発展させてはいけないが前提だろう。ようするに建築士がオバカでいた上で、世間様には建築士のやっていることに疑問を持つなということなんだろう。建築学科等を支える、ごく一部を除いた、やたら数が多い、決して直接には責任を負わない、無能な学者達クッションとしての制度でもある。

この点も、先端見識を国際動向と見劣りしないように、心がけなけらばならない、医学、(日本ではITが著しく劣ってはいるが)衛生学、法律学、会計学、財政学、検査分野、測定分野等の学問とその関連資格等とは事情が異なる。

私は、もし建築構造設計や建築設備環境の設計者を1級建築士の中から選んだら、水準の低い者から選ぶ、カスの中からカスを選ぶと言ったが、まさにそんな感じにもなりそうだ。

しかも試験でなくて講習でとなれば講習受講料目当て、しょうもない講師の雇用創出天下り先創出と疑われる。しょうもねぁなと、旧1級建築士試験に付き合って着実に構造設計の研鑽に努めたていた方々はやれやれという感じだろう。ちゃんとした構造設計技術者であれば、適性のない他の1級建築士では、太刀打ちできないようなまともな試験を課して欲しいと願う、ところではないだろうか? そうしたちゃんとした構造設計者を雇っている事務所にとっても、講習の時間の経済ロスは大変なものである。

建築士試験と言えば、「日建学院」「総合資格」という2大ガリバー受験産業企業があるそうな。試験会場だろうか? 駅から会場まで、受験生相手にすごい営業活動の列を見たことがある。来年また受験する人とか2次製図試験対策の受講生をつのっているのだろう。特にT定規で鉛筆の2次製図試験受験講座がドル箱なんじゃないだろうか?

助成金があるのだろうか?何十万円もする授業料だそうで、大問題でもある。

ネットでは、財団法人日本建築センターというのを問題にしているところもあった。建築技術教育普及センターなどもあり様々な癒着等を想像させる。

今回の圧力団体としては、既得権者である1級建築士らより、これらの団体が凄かったのかも知れない。

設備技術者のお立場から11月6日時点で、以下のような意見が掲載されているブログ(建築設備雑談掲示板)もありました。

大企業では既に一級建築士を持っている人に設備(構造)設計一級建築士を取らせて、名義を使うだけ(今までと一緒)、中小業者にしても、この先団塊の世代が定年を迎え、フリーの建築士が巷に溢れ返ります。そうした人たちを設備(構造)設計一級建築士に仕立て上げ、嘱託扱いの安い給料で雇い入れれば何の問題もありません。

反論もあったようですが、私はそうしても良いし、そうすることが、クライアントの利益になると思われます。今回の専門1級建築士の存在は対価報酬、安心に値するものとは思われません。建築士制度(同時に日本の建築学科等)は(起源・素性が露呈して)そこまで地に落ちて救いがたいものになったとの認識段階かと思うのです。依然、専門であれ、そうでなきにあれ、1級建築士の背後に、ちゃんとした構造設計技師、設備環境技術者等がいないことが心配です

私は、前に述べたけど、視覚芸術の興味の一環として、美術史の1つとして建築、建築家について、少なからず勉強をしたことがあると言いました。と同時に勤労者として一応、現役の技術系だし、さらには自分の分野で、より良い科学技術者でもありたいし、将来、引退、隠遁できたならば、ネットで、良い勝手教育者のまねごともしたいと思っている。その立場からも、この建築士についても、今後も見守っていきたいと思っている。

ただ、これは言えると思う。建築士というのは、今回もダメで、よほど大きく変革しないと、それをもっぱら商売道具にして生きるという意味では、相対的にもっとひどい低額所得者にならざるを得ないだろうということだ。また多くの建築学科、土木学科はどの他学科と較べても数多く、実質閉鎖に追い込まれるだろう。不人気学校ならなおのことである。

私は朝日新聞、読新聞等が関連をあまり取り上げないのは、おおむねそれを予測しているからだと思う。批判すれば、日建学院、総合資格、建築教育普及センター等の営業妨害になり(それは正義かも知れないが)、肯定すれば、大枚をはたいて、時間浪費して資格取得したものの収入にならないという、サギまがいの国家の資格商売に加担したことにもなる。触れるにリスクが大きすぎるという、大局的な見地を持っているのではとも想像してしまうのである。とるに足らぬ些事として無視したいのではとも思うのである。

以下は今回、参考にさせて頂いたサイトです。ありがとうございました。

晴天とら日和:「耐震偽装隠蔽問題」安倍晋三は、そも、なにを考えているのだ?! - livedoor Blog(ブログ)

外郭団体等、天下り先との関係。メディアへの不審。私と想いを同じくすること多々。

10月30日の

人事のブレーン社会保険労務士日記:

建築士の新免許という記事。

医師、弁護士の資格についても触れられています。

再発防止へ改正法案閣議決定 - 不動産で絶対後悔しない!!()エストサービス代表 榎本 正次郎のブログ - 楽天ブログ(Blog

耐震偽装問題は毎日新聞が一番取り上げているそうな。

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2006年12月12日 (火)

教育委員会

12月12日朝日朝刊。「教育委員会」制度の記事。なかなか良いと思う。

ネットなんかでも教育委員会とはなんぞやという情報もあったが、あらためて解説してくれている。すなわち、もとをただせば、戦後連合国軍司令部GHQ主導であるものの、戦前の国家主義的教育の反省から生まれたものであり、分権色の強いものだったが、その後の制度改悪で、形骸化、悪しきものへと変貌していった経緯が示唆されている。当初は「教育の地方分権」と「民意反映」を柱にしていたのに、自民党による55年体制の一環として、委員公選制の廃止、国、都道府県による教育長の任命承認制など、どんどんおかしくなっていった。

自民党が55年体制下で、問題にしたのは、教職組合員が組織票で教育委員になり教委を牛耳っているとの認識だった。いわゆる日教組問題である。

確かに、日教組のピークでは、内部腐敗もあって、悪しき教師も生み出したと思う。だが48歳の私が小中学生だったころはまだ、かつてのGHQ主導とは言え、新しい民主主義の理想に燃えた教師も多かったと思う。私の育った下町の大半の親達は、その教師の理想に従ったのだ。偏屈な頑固親父であるPTA、前近代的な差別観を持ったPTA、やくざまがいのPTAと堂々と闘った。

むしろ、今の団塊の世代の方が、落ち着いた戦後の初等教育には恵まれていなかったかも知れない。三つ子の魂、百までと言うのなら、あまり良い経験をしてない。それは全学連、全共闘という、中途半端なことしかできなかった、精神しか涵養できなかったことに影響しているかも知れない。日教組による堕落も彼ら団塊の世代によって推進されたのだろうし、学級崩壊など現代の問題教師の中核である30歳前後の教員、問題PTAの一部もまた、彼ら団塊の世代の子弟なのである。

PTAと摩擦を起こさないという、ことなかれ主義の蔓延。教育委員会は教師のそれを矯正するというよりは、悪い手本そのもになっていたのだろう。

教育委員会のメンバーが、非民主的な方法で名士化すること。これは非常に良くないことで、それが直せないなら、無実化、無力化する方がマシである。

政府と独立色の強い、司法のような、一部の教師、PTAを弾劾し、従わせるような教育裁判制度を提案したい。

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電力需要国内頭打ち

12月12日朝日朝刊。東京電力と丸紅が米電力卸売りミラント社から、フィリピンで展開している発電事業を買収したとの記事。背景として、日本の電力会社は国内需要が頭打ちのなかで、海外での電力事業を強化しているとのこと。

小さな記事だが、私はある面、ことの本質を象徴していると思う。

世間では、地球温暖化、京都議定書だの、省エネ産業の未来だと囃子たてているが、日本の少子化人口減、製造空洞化の進展を考えれば、日本のエネルギー消費は自然減かもしれないのである。日本の個人生活のエネルギー消費は文明国としては、まだ慎ましい方である。それなのに、依然、電力は大口需要家優遇策をやめない産業保護で、省エネ負担を家庭に負わせようとしている。外国人就労強化策、原発推進とあわせて国民は警戒しなければならない。

日本のエネルギー技術、省エネ技術が、内需でなくて外需であることは、結構なことだと思う。

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御手洗ビジョンに喝!!

キャノンの御手洗氏は、経団連の会長から就任する前から、優れた経営者として、マスコミでも発言が多かったと思う。私も少なくからず流石とも思っていた。リストラ、実力主義の弊害が見えはじめるころに、安易に流行に流されない、自身の信念を持った、家族主義的終身雇用制度の良さを説く、異端経営者の側面があった。

経団連としての見解は必ずしも、氏、個人のものではないかも知れないが、最近の発言のぐらつきはどうなんだろうか?

法人減税・ホワイトカラー・エグゼンプション等である。

まして、あのキャノンが、偽装請負に揺れる。御手洗ビジョン追従は与党の足を引っ張るだろう。

キャノンは半導体製造装置で大きな利益を上げている。それは韓国、台湾等に追い上げられて日本の半導体産業の凋落となった原因でもあるのだ。

プリンターもインクカートッリジで儲けるヤクザな事業である。

金は儲けても、それは御手洗氏や周りの少ない人間の恩恵になっているだけで、日本経済へのマイナス面方が大きいのではないのか?

私の中で、かつての御手洗氏への敬意は急速にしぼんでいる。少なくない日本の勤労者が同じ思いではないだろうか?

安部政権不人気の隠された要因のような気がする。朝日新聞・読売新聞もあえて分析しないのは何故か?

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ジャワ中部地震復興と暮らしと建築

12月12日朝日朝刊。ジャワ中部地震での住居復興の記事。ギビアン集落で活躍した地元建築家エコ・プラウォト氏。恩師マグンウィンジャヤ氏の言葉は「高価な作品を残す目的ではなく、人のため、暮らしを良くする手段として建物をつくるべきだ」。復興住宅は手に入りやすい資材で構成され、阪神淡路大震災も、「竹やしなやかな素材で作られていた家に住んでいたらもっと多くの人が助かっただろう」と見られている。

復興の姿は、最大限の広さと、伝統を生かした安っぽくない外観。「哀れみや受身の対象としての被災者でなく、そこで暮らす人間の誇りや尊厳を込めた」と言う。

果たして、高層コンクリートで埋め尽くされる、今の日本の都市に、公平で国民の再生意欲を萎えさえない、被災復興耐性があるのだろうか?

砂上の楼閣にも思える。

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少子化対策

12日の朝日朝刊。新しい少子化対策の目玉となる乳幼児への児童手当の加算についての記事。

少子化対策にどれだけの効果があるのか疑問としている。私もそう思う。

新聞は育休みや短時間労働の促進など、男性を含め、子育てしながら働ける環境整備が欠かせないとしている。

昔の日本人の大半は、働く女性だったと思う。農家の主婦は主婦専業ではなかったのだ。お店の女将は店主が旦那だったとしても主婦専業ではなかったのだ。男にしろ、女にしろ未来的にいって、もっと在宅勤務を普及させることが、解決の1つかも知れない。職住一致時代への回帰である。

IT・インターネットとロジスティックスの技術進展で、これまでの、巨大オフィス、大店舗に就労する人口が多かったことを、変えてしまうことが期待される。管理系ホワイトカラーは最小限の数になる。

従業員の頭数から搾取して財を成す仕事は、あまねくは、なくなる時代の到来である。

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2006年11月25日 (土)

報道は過熱せず腰すえて  いじめ自殺

11月18日朝日朝刊。「報道は過熱せず腰すえて  いじめ自殺」という

高橋祥友防衛医大教授の寄稿。私は感銘を覚えました。

グーグル検索で、"高橋" "祥友" "いじめ" "自殺" "朝日"で当たりましたが、残念ながら、ズバリこの記事には到達できない。

ただ、私同様にこの記事に注目された方々が少なくないのは確認できます。

朝日新聞に限らず、こうした寄稿文はタダでは読めない、もっと広く読んでもらえないのが残念です。新聞社や高橋氏の事情もあるのでしょうが、本当に残念です。政府で買い上げてネット掲載できないものでしょうか。

それなりのボリュームの文章なんだけど、どこもかしこも重要で要約しきれません。

日本の年間の自殺者は何人と問うと、3万件以上と結構正解するが、その内未成年者の割合はと聞くと2%に満たないとの正解は、めったに得られないそうな。高橋氏は決してだから取るに足らぬとは言っていません。

ただ私は、報道があまりにこのことに無頓着だと、何をどうしたいのかの論点・争点が確かにボヤケルと思う。報道としての本質を見失うと思う。

報道による青少年への群発自殺の可能性については、少なくない国民が、心理学の素養がなくても、なんとなく危惧しているところだと思う。

世界保健機構が既に指摘して、適切な報道を提言していることを知りました。

これは、私の無責任でもある仮説なんですが、今の小中高学生は昔のそれに比べて、幼い面もあるとともに、早熟でもあるかなと。

例えば、芥川龍之介、太宰治あるいは、私が愛蔵している「二十歳の原点」の作者。原点はともかくとして、本気でこうした自殺者を出さないようにって世論はないと思う。精神医学者は別ですが。みんな世の中には、いろんな性格の人間がいるのだから、個性として自殺リスクの高い宿命を背負っている人間はある程度いるという諦観、無常観はあるのではないかと思う。これと、小中高生の早熟といじめ自殺を短絡させるのは早計だとは思うけど、クラスから自殺者出た場合、教師や親、クラスメートを責めすぎるのも、芥川、太宰の死を、何故、君は防げなかったのと近いことを言っているのと同じケースが、絶対にないとは言い切れないとも思う。

いじめも、しょっちゅう体にアザがあったり、金とかとらているばかりだと、これはいじめ防止という前に、犯罪防止の領域でもある。犯罪なら0.5%以下だったら取り締まらなくてもいいやとはいかない。

シカト、言葉の暴力みたいな延長のいじめだと、なかなか難しい問題ではある。

ただ、人として、今ここに生まれてきた以上は、面倒だから、もう自分には関係ないからと、考えるのをやめてしまうのも悲しい気もする。

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核論議自体に封印は不必要

11月18日朝日朝刊。「声」投書。「核論議自体に封印は不必要」

69歳の方の投書。

麻生外相、中川政調会長発言の批判の批判。朝日新聞に対する異議でもあるでしょう。これを朝日新聞自身が取り上げました。

国の安全の方策を模索する意味で核の問題は避けて通れないとの意見は、私もそう思います。少なくない日本人の思うところでしょう。

非核三原則も、日本の近隣諸国に核を持たせない、米国や中国にその力があるという前提だと思う。それがまた、揺らぎかねないのであれば、

政策に関わる関係者であっても議論自体を封印すべきはないとの考えもやはりありだろう。

投稿された方は、「言論の自由」は、権力を批判する側のもので、権力側のものではないかも知れないが、政治に関わる権力側の発言をむやみに封じてしまうのは、かえって不透明な政治を助長しかねず、国民にとって利益とは言えないとの意見。傾聴に値すると思う。

政治家の発言内容に誤りがあるなら、議論によって論理的に否定すれば良いとの意見も、もっともだと思うのです。

日本なんて、どうあっても核なんか持つわけない。北朝鮮が持ってたって良いやと、中国、韓国に思わせてしまうことが、果たして良いことなのかとい言うことです。

朝日新聞も読売新聞も、絶対に触れませんが、たとえ多数でないにしても、北朝鮮はいくら、やけくそでも、同胞である韓国には核被害を及ぼさない。やるとしたら標的は日本だろう。ビクビクしている日本も見ものだと、思っている韓国の人もいるのではとの疑いがあります。本当にやってくれたら、いい気味だし、中国も責任とらされて、朝鮮半島は韓国の漁夫の利とも思っているのではないかと言うことです。

韓国の方々が日本を好きであるか嫌いであるかは、とりあえず、どうでも良い。北朝鮮政府はけしからん、同胞が可愛そうだ、同胞の犠牲をもってもあの政府は安泰にはさせない。それが韓国国民の正義であって欲しい。

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NTT固定電話赤字穴埋め

11月25日、朝日朝刊の記事。

「NTT固定電話赤字穴埋め」から

KDDI、ソフトバンク系の非NTT系の携帯電話しか使ってない人も負担しなくちゃならないんですよね。

過疎地、離島でも固定電話を維持しなければならない、赤字補填なわけです。

どうなのかなぁ。そろそろ、過疎地、離島こそ、固定電話から携帯への転換を図るべきじゃないかとも思うのだけれども。

なんか、ユニバーサル維持というより固定電話経営保護優先って気もする。インターネットも電波で対応できるんだろうし。高画質動画観るには、やっぱ光ファイバーじゃなくちゃだとしても、NTTばかり頼らなくても、電力会社だってできるだろうし。

それに、このようなこと、何でもかんでも、離島、過疎地でも都会に負けないくらい早く普及させなくちゃというもんでもないのではと思う。

従来の固定電話という産業、未来にはいらないなら、ズルズルとこうした配慮はいかがなものかとも思う。未来には国民には迷惑な既得権保護産業でしかないのでは?

お年寄りが、慣れた固定電話しか使えないと言うのなら、固定電話を特殊なアダプターを開発して携帯とつなげて、そのまま使えるようにしてしまえば良い。そのくらいのことは出来そうに思うのだけれども。

貴重な、将来の日本の若者の労働力、固定電話の維持に割きたくないなという気もする。そもそも固定電話の維持、効率良く心身の鍛錬になる新聞配達とかとは違う。

ドコモとNTT、親子関係、変えても良いのかもしれない。KDDI、ソフトバンク、東電とかがNTTの親になったて良いのでは?

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2006年11月 3日 (金)

反射光:必要なことだけ教えることの愚

SAGAさんが、高校の必修科目履修漏問題について、「必要なことだけ教えることの愚」という記事を掲載されています。

 学校関係者の「必要なことだけを教えればいい」という態度、完全に狂っていると思う。

そもそも学業、学問、知性、理性に「必要なことだけ」なんてものは存在しませんよね。

教育というのは、「いかに、必要なものを、少しでも多く、知ってもらうか」ということ。

校長や教師がこれに、背いたことを、絶対に許してはいけないと思う。

 履修してない生徒に甘い処置、仕方がないにしても、その代償は大きくとるべき。

例えば、もっと生徒に厳しい態度で臨めるのなら、関係校長らは、停職、降格、減俸、再教育で済んだところを、生徒の負担を軽くする為に、校長は懲戒免職の道を選ばざるを得なかったぐらいの結果は必要だと思う。私は、こうして、さらに将来を悲観して自殺する校長が出てきてもやむ無しだと思う。生徒達の方が、自分達のことを思ってくれた校長が懲戒免職では可哀相そうだから、100時間でも70時間でも補修履修しますという動きが出てくるなら、素晴らしいことでもある。

 私はというと、私がもし当事受験生だとして、たぶん、再履修負担減嘆願の犠牲になった校長に同情せんと思う。もともとが自分達の為にしてくれたとは思わん。学校の実績優先の自己保身動機の仕業としか思わない。たぶんそんな性格の学生だったと思う。

 そうでなければ、ただ甘い処理ですんだ結果を享受した、生徒達にとって、はなはなだ教育的でない結果を、教育関係者が教えただけのことになってしまう。こうして、得をした生徒も損?をした生徒も、「実社会をナメ、ますますズルガシコイ悪人になっていく」「社会を諦観し軽蔑し、良い子がグレ子になる」傾向を必ず助長すると思う。

 企業なんかも、問題高校の履歴のリストを持って、その高校出身の入社希望者が来たら、面接で、「君はどういう考えで、どうそれをあがなったか、当時の校長らをどう思うか」問うべきだろう。企業の経営陣は会社の宣伝の為にそれを表明し、次の経営陣にも、申し送るとした方が良い。

私、「06年10月1日朝日朝刊から

という記事の最後の方で、「教壇の授業は、あるていど遅れている子ベースが教育の基本です。そのかわり、秀才の子が授業中に、勉強の内職しているの、とがめるのは良くない。」と書いたのは、勉強が他のクラスメートより進んでいる生徒は、数学の授業で数学の内職をして良いという主張。補修履修で、違う大学受験科目の内職は許されない。世界史の補修授業で、大学院レベルの世界史の論文読んでいるのは許せる。

私、自分が受けた、教育制度で心が痛むことがある。当時、学区制度がある公立の志望高校に行くの、下町の中学でレベルが低かったので内申書が楽勝で、一発試験の点数あまり 必要なかったんです。高校入学して、山の手出身のクラスメートには、入試の自己採点結果は秘密でした(笑い)あの中学で文系の学力落ちてしまった(汗)。中学受験に失敗したけど、歴史、地理、生物の知識はあの時の受験勉強が基礎になってる気がする。大学受験は一浪したけど、結構沢山受験して、結果は友達から奇跡、フロックと言われたし、自分でもそう思う。ただ、今思うと、本気で受験勉強しなかった3年間は、なにものにも代えがたい時間だった。大学入試の一発試験の準備なんて、記憶力の悪い私には1年以上は長すぎたんです(笑い)。大学での感想。エレベータで来たやつら、学力、低い方に偏ってつくづくピンキリだと思った。

 高校での勉強、はやくから理系志望だったけど、歴史とか嫌いだったわけじゃない。中学のときからなんだけど、幾分意地もあって、歴史の中間、期末試験とか、年号とか覚えなかったし、たまたま知っていても、わざと年号の問題には解答しなかった。そんなゆとりもあった。

効率的すぎるのは、私も寂しい。酒飲んで、学生時代の話をするとき、「普段、読書とかしてないくせに、(遊び、部活に夢中、趣味に没頭)中間、期末試験がせまって、勉強しなきゃならないときに限って、何故か小説・新書・ブルーバックスとか読み始めちゃう」てな話題になって意気投合、それを聞いて「フン」なんて態度の秀才君とは、仲良くなれませんね(笑い)

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2006年9月11日 (月)

特定建築士 ???? (2)

このブログの9月1日の記事

特定建築士????

で、

記事では、特定建築士について、まだ良く判らない点があります。

この案では、これからの建築士試験では、受験するときに、特定構造建築士、特定設備建築士、これまでの1級建築士の延長のいずれかを選択して受験するのかなということです。

 記事では、1級建築士の中に、特定構造建築士、特定設備建築士という専門資格を創設しとあるので、これが判りません。

と掲載しました。

その後、読売や朝日の朝刊を読んでも、依然、判りません。

(記事の中で朝日新聞のサイトの記事にリンクを張りましたが、全然関係ない内容になっちゃてました 汗 今後リンクはムダみたいですね。)

それでも、読売新聞では、ネットサイトでも9月8日付け

[姉歯被告初公判]「建設行政と業界が裁かれている」という社説をのせています。

>罰則や検査制度を強化するために、先の通常国会で建築基準法など関連法規が改正された。建築士の再教育や、欠陥建築の賠償保険への加入義務づけなども検討されている。

 建物の安全性に対する不安を消し去るには、対策を実効性あるものにし、事件の背後にある業界の無責任体質を一掃しなければならない。

起訴された姉歯被告と関係企業の経営者だけが裁かれているのではない。国土交通省をはじめ、すべての関係者がそう自覚すべきである。

としめくくっています。でも建築士制度に関してはやはりダンマリという気もする。

大新聞の間ではタブーなのかな? 制度問題で建設民間市場が冷え込むの、日本の大学・専門学校の建築学科(後述しますが、日本建築学会の存在にも影響します)の制度問題に発展するのを回避するのが社会的使命と考えているのかなとも思ってしまう。

保存はしていないけれど、はじめは大新聞なんかも、米国なんかでは、建築構造技術者、建築環境設備技術者は建築学、建築家とは教育においても初めから独立した責任をもっていて、専門家として活躍しているんだとは言っていたんですよね。日本でも見直そうという記事もあったように思うんだけど。

 建築の構造で言えば、建築士制度問題にも関わりあうべき、建築学科、建築学会、国土交通省の構造の教授、先生、研究者って、土木系はもとより、地震工学、地球物理学、造船工学、古典応用物理学、コンピュータサイエンスなんかの碩学ともかかわり合わないようにして、建築学会という巨大学会の中で、無駄に国家研究予算とか浪費して、のうのうとしていたがっているのかのとも思ってもしまう。

で特定建築士なんだけどケンプラッツというサイトでは、9月1日つけで

特定建築士の前提は一級建築士」と国交省審議会が最終報告

という記事を載せていたんですね。

国土交通相の諮問機関、社会資本整備審議会建築分科会の基本制度部会(部会長:村上周三慶応義塾大学教授)は二転三転の議論の末、831日の第11回会合で最終報告をまとめた。最終報告は、構造と設備の新たな専門資格「特定建築士」の創設、建築士試験の受験資格や試験内容の見直しが柱。国交省と職能・業界団体が繰り広げてきた激しい攻防は、一応の決着をみた。

 最終報告は、731日に公表した報告書案(日経アーキテクチュア814日号で詳報)をほぼ踏襲した。国交省が818日まで募集したパブリックコメントには3893件の意見が寄せられた。これらを踏まえ、報告書案を一部修正・追記。「建築士のうち構造設計、設備設計を担える技量を持つ者がほとんどいない」との意見を受け、構造や設備の専門能力のある一級建築士を育成することなどを盛り込んだ。

最終報告の主なポイント

専門資格者制度の創設
新たな専門資格「特定建築士」は、一級建築士を前提とする
・設計で特定建築士の関与を義務付ける「一定規模以上の建物等」は、今後検討する
工事監理は、特定建築士の関与を義務付けない
建築設備士の扱いは現行通りとする

建築士試験の見直し
・受験資格の実務経験は、設計および工事監理の業務に関するものとする。具体的な範囲はこれから決める
・受験資格の学歴要件は、必要な科目履修を要件とする。大学だけでなく、専門学校や短大、高専などの教育機関も認める
・既卒業生や在学生の受験資格は、経過措置を講じる
建築士試験で、構造・設備の試験内容を見直す
・二級建築士や木造建築士も、受験資格や試験内容を見直す

現行の建築士のレベルアップ
定期講習の義務付けは、業に携わる建築士を対象とする
・定期講習義務に違反した場合、監督処分の対象とする

より詳しい情報は日経アーキテクチュア2006911日号「追跡・建築士制度」で 

とありました。(慶応大学には建築学科、土木学科とかなかったと記憶しているので、村上周三慶応義塾大学教授ついて、ネット検索してみようかなと思っています。あと建築設備士についてですね。)

で、私は全く、釈然としません。俄然、徹底抗戦に興味が高まっちゃいます。

同じケンプラッツというサイトでは9月8日づけで

「建築家法制定の方向を探りたい」、建築家協会が見解

という記事も掲載していました。

日本建築家協会(JIAは現行の一級建築士を再判定し、レベルアップを目指して絞り込む方向性がトーンダウンしたことについては、遺憾の意を表明しつつ、今後、安全性だけでなく、総合性や統括性、芸術性まで含めて定める「建築家法」制定に向けた議員立法的な方向を探り、JIA登録建築家制度を強くアピールする。とのことです。

なお日本建築家協会が社会資本整備審議会建築分科会の基本制度部会が831日に公表した最終報告を評価しているのは

1)現在の建築士の位置付けを設計および工事監理に携わる者に集約していこうという方向、(2一級建築士の枠内ではあるが専門資格ができたこと、(3)建築士の登録更新性について、講習の義務付けなどに、より実行性のある形が取られるようになったこと、(4)設計・監理業務の独立性、特に監理業務について工事着工時に監理契約書添付を義務付けたこと、(5)売り主の瑕疵担保責任のため、保険についての充実が図れるように整備する方向が打ち出されたこと。 だそうです。

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2006年9月 9日 (土)

反射光 「新聞よさらば」

SAGAさんの「新聞よさらば」という記事に自分の記事

をTBさせて頂いたけど、かなりSAGAさんの記事の内容にそぐわないものでした。

 ただSAGAさんの言う

冒頭に述べたようにネット化が進みほぼリアルタイムでニュースを読める現代では、即時性のない新聞のニュースに余り意味はない。新聞の価値は社説その他の企画で決まるのであり、だからこそ以前にも増してこれらのコラムは重要なのである。論説委員が矛盾だらけの駄文を書くようでは新聞をとる意味がまったくないのだ。

ということから、私はむしろ、ネット以外のニュースすなわち、紙の新聞、紙の出版の将来というものの現状とか、私の将来の期待に気をとられてしまいました。

 今一度、SAGAさんの記事にそくして、私なりに感じるところを記せば、

SAGAさんに言わせれば、新聞社は、コラムや論説委員の文章があってなんぼのもんということと言ってよいのかな? 

 ただ私はまだ、SAGAさんの言われる、ほぼリアルタイムのニュースでも新聞社を頼っているところがあるかもしれない。今でも新聞社の記者の取材能力の権威を無意識にしろ、評価しちゃっているんだと思う。そう思い込む良し悪し無しに。

 ただ、SAGAさんの言われるように、あんなコラム、論説しか書けないような、新聞ならコラム、論説無しの、ヤフーニュースやグーグルニュースが(必要なら信頼に足る)記者やカメラマンを直接雇って、ネットで流せば良いのであって、「新聞よさらば、新聞社よさらば」と言っても良いのかも知れない。

 ところで、ネットでニュースを得ることなんですが、私はこれまで、読売朝刊、朝日朝刊を購読していることもあって、ネットを利用していませんでした。

でもSAGAさんの記事に影響されて、このひと月ぐらい、ヤフー、グーグル、新聞各社のニュースサイトを見るようになりました。

 これもこの範囲では、基本的には報道記者の手によるものですが、まあはっきり言って便利です。特に、ヤフーとグーグルは。それと、読むに足るかどうかは別としても、新聞各社のコラム、社説なんかもネットでも読めますね。

 こうなると、正直、私もこの先、朝日、読売とか朝刊購読するの、経済的にも無駄かなぁと思う。今のところ、両紙とも、識者の見解とか記事の内容すべてが(有料配信とかは知らないけど)ネットでタダで得られる訳じゃないみたいですけどね。

 一方、見解とかない、ニュースから自分なりの見識、感想を持つことが大切なんですよね。それで他者の見解に感心、賛同するとか、変だなと思うことが大切。だから多くの新聞社の動向を手軽く概観できるネットは素晴らしい。

 紙面で読んで、気になる記事がネットでも掲載されていると電子切抜きができるという意味で非常に便利ですね。この利便性が非常に良いのが読売新聞です。(毎日新聞もまあ遜色なし、東京新聞なんかもまあまあです。)全然ダメなのが、朝日新聞・日経新聞・産経新聞とか同じ気になる記事がネットでゲットできるなら、私は断然、読売優先です。

 今、紙の発行部数は読売が勝っているのかなと思うけど、サイトのアクセス数でも朝日より読売の方が断然人気があるのではと想像します。ヤフーニュースは読売と提携で、毎日はマイクロソフト社と提携しているからでしょうか? グーグルニュースはどういう優先で新聞記事を紹介しているのか判りませんが(機械的な選択頻度?)やはり読売の評価が高く感じます。

以前、私は

読売新聞社 デジタルアライアンス 知的財産高裁

という記事で、読売のネット社会の関わりあい方に疑問を持ったのだけれど、じつは将来の新聞報道のあり方については、朝日などより、よほど見識が高いようにも思える最近です。実際、紙で配達することの将来は先細りだと思うけど、読売や毎日はちゃんと、(若い)記者達の将来も考えたネット社会における布石をきちんとしているように思えます。

 本当にだんだん、購読料払って、紙面購入するの、経済的にも疑問にはなってきています。経済的に苦しくなってきたら(その可能性大 汗 泣き)ネットPCは死んでも手放したくないけど、新聞購読は真っ先に切り捨てそうです。(生活保護ってネットPC持たせてくれるのかな? もしそうでないなら産業界はロビー活動しっかりです。)

 紙面新聞への未練は2つ。読んで切り抜き保存したいなぁという記事は、識者の寄稿文とかが多いんだけど、今のところ、ネットでタダで読めないことが多いですね。ただ、電子記事の便利さ知ってしまったから、紙面を切り抜くとか、紙面の保存とかは、もう面倒でしないつもりです。(ネットで得られない時がほんと残念)

 それと、やはり紙面で内容スキャンする方が私には早い。私のPCブロバンじゃないので、スクロールはともかく、クリックして表示されるまでがうざったいんですね(泣き)。

 一応、読売と朝日の紙面に目を通しているので、ヤフーやグーグルでも、かなりの記事の見出しをクリックしないですっとばせるので、私には効率的かも。ネットでくまなくニュース調べていると腱鞘炎になりそう(笑い)。実は、なぜだか、私、ニュースの即時性って、重要視してない。

 SAGAさんも、指摘されているのかもしれないけど、私も強いて、昔と違って人に新聞ぐらい配達してもらえよとは、忠告しづらいですね。リアルタイムのニュースの客観性だけじゃ、物足りないとしても、紙面に頼る必要はなくて、週刊誌、月間誌、新書とか他にもいろいろあるし。

まあ、私は啓蒙されるという他、批判対象しても、新聞社等のニュースに対する客観性以外のニュアンスに興味はあります。

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2006年9月 1日 (金)

特定建築士????

06年8月31日の朝日新聞朝刊に

耐震偽装防止 欠陥補償資力、義務に 国交省部会最終報告案

「特定建築士」を創設

という記事が掲載されていました。

朝日新聞のニュースサイトでも

特定建築士というキーワードでサイト内検索したら出てきました。

前のこのブログの記事では

 「耐震偽装防止 1級建築士に新試験 制度改革へ国交省素案 不合格者は降格」

という7月29日の新聞記事を紹介しましたが、これはすぐに、既存建築士など既得権者の猛反発を受けて、廃案になったのでした。

 このときの新1級建築士は、構造や設備の専門家の上に君臨する、えらーい立場になる予定だったんです。ゆえに、このこと自体は、既得権者である建築士が反対する必要はなかったんだけど、自動的には、このおいしい新1級建築士にはなれないんで反発したんです。

 試験を受けないと建築士でも新1級建築士なれない案で、建築士にとっても難しい試験になるかもしれないし、そうでないにしても、大昔に建築士とった人は、再試験そのものに自信がなかったんだと思う。

 また建築士以外からの反発としては、おいおいまた、構造とか設備の専門家でない、それらで責任のとれない新建築士が、お高くとまって、タダメシ喰うのかよということでもありました。(実際には、中高年の1級建築士は、コネ以外では再就職も難しいのではないかと想像しています。世の中いかがわしい資格ビジネスの詐欺があるようですが、建築士制度って国家のそれになりつつあるような気がします。大学出て一部の大きな設計事務所、建設会社に就職しない限り、中流以上の生活は無理そうです)

 

 で今度の案はというと、やっと正反対になって、構造や設備の専門家の上に君臨する、なんかよく、わけのわからん、えらーい立場の資格をつくるということではないんですね。

 ここで、ことわっておきますが、私は構造や設備の専門家の上に君臨するエラーイ人がいちゃだめだと言うつもりはないんです。素晴らしい建築デザインをする、構造や設備の細かいことは知らない巨匠建築家はいていいんです。(巨匠デザイナーがいなくても、平凡でも、最大公約数的な、そこそこ良質なビルは設計できますが、マンション、中小企業の為のビルはほとんどそれ。)それは建築家としての実力ですよね。資格試験でどうのこうのの問題ではない。また実際、そうした巨匠は出来の悪い建築士の弟子より、優秀な構造、設備の専門家であるパートナーを仕事では求めるんだと思います。

 記事では、特定建築士について、まだ良く判らない点があります。

この案では、これからの建築士試験では、受験するときに、特定構造建築士、特定設備建築士、これまでの1級建築士の延長のいずれかを選択して受験するのかなということです。

 記事では、1級建築士の中に、特定構造建築士、特定設備建築士という専門資格を創設しとあるので、これが判りません。

 いずれにせよ、まだまだ、いろんなことで、バカバカしくて、つきあいきれないな、という予感は大きいかな。

 巨匠建築家になるポテンシャルのない建築士から、構造技術、設備技術、現場監理を除いたら、代書屋と、どこにどんな部屋は欲しいとかのマンションデベ企画担当者、企業の施設担当者の御用聞きの仕事しか残らないのが実態ではないかと思う。おまけに良くて電子ドラフターというべきしかないCADに満足しているのがせいいっぱいのITオンチでもある。プレゼンテーション、生産性、品質管理の向上ということにも大きく資質が欠けているようです。

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2006年7月 1日 (土)

耐震偽装と官製資格

 私は読売新聞・朝日新聞の朝刊を購読している。ものぐさなので切り抜きとかはしていないが、気になるページは抜き出して捨てないでいることもある。これも気まぐれなので、かなりいい加減ではある。この06年6月26日に建築士制度の改革に関して国交省の構想が出され27日には新聞報道されている。この手の問題に関心を持って、4月ぐらいまでなら、この2紙の関連ページはある程度残しているのだが、いつまでも持ってはいたくないので、この機にこのブログにメモして順次、破棄しようと思う。読売と朝日の姿勢、熱心さの違いもみえてくるかもしれない、今回はその手始めである。

 私は、新聞等は耐震偽造がらみで、建築士制度等に関する疑義の踏み込みが、どうもあまいと指摘したが、今のところ、27日の報道のその後の受け止め方にしても、その印象に大きな変化は感じないのである。しかし、26日発表の国交省の構想は大問題ではあるとは思う。

■06年6月27日~30日■

【1】 6月30日の朝日新聞の社説では、結局、一連の捜査の結果としては、建築基準法違反で起訴された姉歯建築士の単独犯行ということで終わってしまったと報告されている。

 しかし、その経緯では、日本の建築制度は設計、確認、施工、販売のすべての面で、安全を図るにはほど遠いというが判明されたとしていて、私も同感である。社説の表題は「耐震偽装 そろって無責任だった」である。

 姉歯被告に構造設計を発注した設計業者は不正に気づかず、素通りであり、建築確認を担った民間の検査機関も機能していなかったのだ、政府や自治体は穴だらけのチェックシステムをそのままにしていた。それは確認業務を民間開放する前からだったことを編集者は見抜いていると思える。じつは国交省の役人も早晩このようなことが露呈することを読んでいたようにも思えるのだ。それがゆえにの、民間開放であり、先の基準法改正だったようにも感じる。ただその予想をはるかに上回って、露呈が早かったのである。今の国交省の幹部は、天下って10年は現行の規準法のマイナーチェンジと現行の建築士制度の維持でなんとか逃げ切るつもりだったのだろう10年もあれば、民間開放以前の自分達がやっていた闇も葬れるというものである

 現行の法律では、姉歯氏自身の量刑も軽いし、発注設計業者の責任も問えないのである。

ただ私は前に述べたが、経済力根拠に乏しい建築士の量刑を重くしたって問題の解決にはならないと思う。

施工、販売の企業の偽装強要は立証できなかったが、欠陥を購入者に隠匿して工事代金、販売代金を受け取った責任の追及が残っている。

 再発防止のために、建築基準法が改正され、設計業者、検査機関の他、第三者機関が構造計算をチェックすることになった。

しかしこれは、どうなんだろう?検査機関の存在価値と責任が依然として問題で、その解決になっていない

 この社説は、販売会社の賠償保険の加入義務付けを提案している。保険会社による偽装や手抜きのチェックを期待している訳である。私もこれは必要だと思う。

【2】同じ朝日新聞は29日の「検証 構造改革② 第一部・官から民へ 自己責任揺らぐ安全」でも耐震偽装問題に触れている。今回問題になった、建築分野における規制緩和は、阪神・淡路大震災の教訓を生かせないまま、米国の建設市場開放圧力に屈したのではないかと指摘している。これは小泉政権確立前になされているようだ。

【3】29日の読売新聞「姉歯被告ら追起訴 耐震偽装 捜査が終結」では、東京地検は姉歯氏の「審査がきわめて甘い。イーホームズに確認審査を出せば、改ざんを見破られることはない」との証言に、被害の広がりはイーホームズのずさんな確認検査があったと認識していたと報じている。また読売新聞は「耐震偽装 安全再構築 業界の体質 施工も手抜き横行」で姉歯氏が偽装した物件における、さらなる施工上の手抜きも報じた。

 また阪神淡路大震災を例にとり、「もしうちの物件だけ壊れなかったら恥ずかしいですから」と語ったゼネコン関係者をひきあいに出した。恥ずかしいのは「うちの物件だけ壊れたら」ではないのである。もし自分の物件だけ壊れなかったら他社に較べて丈夫さに無駄があったという発想だそうな。記事は中間検査の徹底の重要性を強調するが、それは自治体の裁量に任されていて、あまり実施されていなかったのである。

【4】読売新聞は28日に「耐震偽装 安全再構築 構造設計者 圧力に弱い”下請け”」と題する記事を掲載している。姉歯氏以外の十数件の違反建築建設に加担した構造設計者の話である。「元請けの意匠事務所に設計料を踏み倒され、この10年、借金地獄だった」と語る構造設計事務所の社長の談話もある。東京電機大学今川教授の指摘は「日本の建築は、施工も設計も大工が担ってきたから、今でも中心は施工者で、設計者の地位は諸外国より低い」だそうな。

実はここが、私の本題に近い話なのだが、国交省は今秋にも、構造と設備の2分野について専門資格を設けるそうなのだが、これはさておいても、1級建築士に新たな試験を受けさせて、合格した建築士を、構造などの専門資格者を指示する立場に位置づける方針だとしていると読売新聞は報じるとともに、それでは構造設計者が下請けの立場であり続けることに変わりはないという意見も載せている。

【5】超高層マンションは構造設計の流れが姉歯氏が偽装した計算とは全く流れが違うし、大手が設計し施工しているのだが、朝日新聞は28日、その安全性に関する記事「わが家のミカタ 高くなるほどリスク増す」を掲載した。仮に巨大地震でも崩壊しない(できるだけ死人を少なくするという意味であって、補修で再使用可という意味では勿論ない)にしても、揺れは高層ほど大きくなるし、実際の被害は未知数だと指摘している。

【6】先に述べたように、27日に読売新聞は1級建築の制度改革について1面で報じている。「耐震偽装防止 1級建築士に新試験 制度改革へ国交省素案 不合格者は降格」である。この試験が実施されると現在30万人いる1級建築士は激減することになるそうだ。素案ではまた、構造、設備の専門資格者制度を創設し、新試験にパスした1級建築士が、これら専門資格者を統括し、最高責任を負う構想ということである。

【7】27日、同、読売新聞「耐震偽装 安全再構築③構造計算ソフト ”国のお墨付き”過信」という記事も掲載した。まず、マンション33件の構造設計を偽装した札幌の浅沼2級建築士の話から始まる。「基礎的な知識がなくても構造設計者として飯が食えてしまうのは、構造計算ソフトの助けがあったからだと」との声を載せている。データを適当に入力しても、試行錯誤を繰り返すうちに、誰でも「正解」を導きだせるようにもなってしまうと指摘。国交省は今後、現在の大臣認定ソフトを全て無効とし、新たな大臣認定の基準づくり進める方針だそうである。改ざん防止も取り込む予定。日本建築構造技術者協会の初代会長、矢野氏の「いくら基準を変えても、ソフトという道具に頼っている限りは根本的な解決にはつながらない、構造計算は構造設計の一部でしかない。設計の思想をきちんと議論できるよう設計者の技術を高め、安全への責任を負わせることが必要」との談話を示している。

【8】朝日新聞は27日、小さくしか扱っていない。「構造と設備設計 2資格を創設へ 建築士改革で国交省」である。

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2006年4月23日 (日)

建築家・建築士

 私は、青年のころから、絵や工作が好きだったこともあり、視覚美術に興味があって、特別にその方面の本なんかも買い集めている方だと思う。同時に科学少年でもありたいと思っていました。科学者・数学者の伝記、啓蒙書なんかもずいぶん読んだんじゃないかと思う。実際、今の仕事はITじゃないけど、汎用数学ソフトMathematicaなんかを活用している会社員なわけだし。(もうFortran,basic,C,Lispなんか忘れてしまった。最近Javaの勉強をしはじめている。汗)

 

 視覚美術・芸術に興味があったので、絵画、彫刻家の他、建築家関係の著作物にも結構アクセスしました。ミケランジェロ、ブルネレスキからライト、コルビジェ、アアルトから丹下健三、磯崎新、村野藤吾、白井誠一からポストモダン、アレキサンダー、安藤忠雄、佐藤大(nendo)とか、少しばかり知っています。(最近、某新聞は死人に口無しか、丹下健三氏の悪口が多い? NHKは牧歌的な生活感のある坂倉準三を持ち上げる。)

 以前、建築家と建築士って、遠いって書きましたが、実は以前から、建築家ってのも世界的に問題になっているんですよね。

 世界的にいって、建築家ってのは身分の予備軍としては、医者、弁護士から、もう脱落していると思う。代わりはデザイナーをまとめるプロジェクトマネージャかな。

だから日本の場合の建築士は、もともとその存在が重層的にいびつだったんじゃないかと思う。もちろん、変化できない慣性の重さは、その背後にべったり土建国家として旧建設省が存在しているからでもある。

 はっきりいって現代は世界的にも、アトリエ建築家ってのは、存在できていない、食ってはいけない環境みたいです。アトリエ的であらんとすれば、工業デザイナーの仕事として建築に係わらなくては食っていけません。その意味では、世界的にいっても、建築の大学教育は難しくなっています。建築という枠の中で、人材を育成することの意味が判らなくなってきているんじゃないかと思います。米国の大学なんかでは、建築におけるCADCAM研究、ビジネスプロセス、プロジェクトのモチベーション研究が残された道になるんだろうと思う。そして学生としても、社会人としても他分野の人材との人脈が重要になってくるんでしょう。(それには、ますます、建築という範囲にとらわれない、美学、工学上の幅広い高度な教養が必要になってくるが、日本では他学部、他学科、に比べてその水準がどんどん低くなっています。このことでは、こいつが凄いと、鑑定できる環境の水準が異常に低い。対照はIT産業です)日本の建築士を目標にしていたら、とてもおぼつかない世界です。

 日本は、古い建築家像と建築士制度のせいで、建築教育と建築がますます空洞化していきそうです。すなわち高度なシビルエンジニアリング、ビルディングエンジニアリングの民間活用の素地がない。プロジェクトマネージャとして人脈を構成する対象の素地がない。

 最近、大学で一流ほど、建築学科、土木学科から、建築士、技術士が必要か評価する世界、すなわち設計事務所、建設会社、国交省、不動産、デベロッパーに行かない人が増えているらしいけど、その選択をした人も、その選択から、取り残された人も、おそからず、この日本の空洞化には驚愕するはめになると思う。

(これは、木村建設、ヒューザーとかでなくても、三菱だったか野村だったか、一流のデベでも、売れないマンションを出してしまった最近の報道からも感知することができます。こうした、一流だから、この行動になるので、山とある木村建設、ヒューザークラスでは、似たようなことが秘密裏に横行していると思われます)

でその最大の被害者はというと、国民なわけである。

 そもそも、ミケランジェロ、ブルネレスキの時代はもちろん、コルビジェ、アアルトの時代と比べても、建築設計の需要の構造が変化しているわけです。建築家がどんなに抵抗しても、現代では建築はハイテックスタイル、エンジニアリングならざるを得ないのです。だからもし建築家的な要素の仕事が建築にあったとしても、それは自動車におけるカーデザイナー以上にはなれない。そして建築は技術が発達したので、造形的な制約は自動車なんかよりはるかにゆるくて、その意味では、建築家より彫刻家、カーデザイナー、家具デザイナーにデザインしてもらった方が、カッコ良いか、もしくは便利な建築になるのです。そして、現代は、コンクリートと鉄とガラスで作る建築においては、建築家不要の設計の方が多いのです。病院建築なんかは、建築家に設計させない方が良いものができます。

まあ、戸建住宅は施主の趣味的なもんだし、レトロなもんだから、ライフスタイル哲学(建築士の素養外)とか、建築家に設計頼むって需要はあるかもです。それでも、建築士にまかせるよりは、実績作品のあるインテリアデザイナー(有資格者という意味ではない)とエンジニアの組み合わせの方が成功する確率の方が高いと思う。

 日本の建築士から構造安全性設計とエネルギー環境設計を除いたたら、建築基準法という本の引き方と、鉛筆とT条規の使い方以外、何も残らないけど、その構造安全性とエネルギー環境設計能力が恐ろしく低水準なまま、その能力を、わけもわからないまま下請で使って、報酬をだましとる位置づけになっちゃてる。

 こんな資格の中から、構造や設備環境の専門家を選び直しても、カスの中から、必要なものを探すようなもんだと思う。

 日本の建築士ってのは、故田中角栄が大工さん、土建屋の延長でも、コンクリート、鉄骨でビルの設計ができるようにって、でっち上げちゃった資格制度そのまんまじゃないかと思う。

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2006年4月16日 (日)

官製与信をぶっとばせ2 官製資格

■建築士制度問題への伏線 エネルギー管理士 公害防止管理者

 私が建築士制度、建築確認検査制度のおかしさに興味を持ったきっかけは、勿論、姉歯建築士による耐震偽造問題であるが、実はその前に私なりの伏線があった。

 つまり、地球温暖化防止の問題もあり京都議定書なんかの動向に興味があったわけである。当然、我が国のエネルギー消費政策にも影響する。

 エンジニアとして、その有用性・取得難易度はともかくとして、官製資格の「エネルギー管理士」に興味を持ったのだが、その制度内容がメチャクチャだと感じたのだ。大仰な筆記試験制度(内容は悪くはない)と、対象工場の従業員なら何日間か缶詰になって講習を受ければ取得できる2つの道が用意されていた。これじゃ、やる気なくなるよね。

 官が、企業に強要する、エネルギー管理士の雇用は、官の手による企業への、ゆすりたかりにも等しく、また企業も、エネルギー削減への努力がままならない事情を、世間から隠蔽する為に、これを必要悪として利用しているにすぎないことが判ってくるのである。

 また、エネルギー管理士などは、工場などの製造業に関わることなのだが、まあエネルギー消費者としてはこちらが大きいので、それが重要ではあるのだが、同じくエネルギー問題を事務所ビル、商業ビル、住宅で対策しようとする政策が制度的にこれまたヒドイ。

この分野は、大都市におけるヒートアイランド問題にも関係する。

開発の免罪符的な屋上緑化の滑稽さもみえてきたりもする。)

実はこの時点で、建築士あるいは建設系の技術士等の問題には遭遇していたのである。もちろん米国のLEEDという制度と比べながらCASBEEとか言う制度なんかについてもネットなんかで調べた。建築士などエクセルベースの代書屋として優遇される方向のようだ。マニュアル読んで判らないのかしらんと思うんだが、講習とおまけの修了試験なんて、建築士ってここまで水準が低いのかって?  そこに耐震偽造問題がおこったのである。

 同様のことは、公害防止管理者の制度にも言えよう。公害防止管理者など、企業が公害の防止に努力することに何の役にも立っていなかった。むしろ、企業が環境ISOなどに、取り組みはじめたことで、やっと姿勢がマシになってきたのである。この最近の企業自身の努力以外、それまでは環境省・役所の環境課・公害防止管理者など何もしていないのである近隣等の我慢が限界に達して、はじめて事態が発覚するのである。ならはじめから公害防止管理者の制度など不である。エネルギー管理士にいたっては、エネルギー使いすぎの発覚がとがめられることすらないのが実質である。国民本位、愛国心のかけらもない制度である。建築士も同様ではないのか?

■官製資格の矛盾 官の伏魔伝 産官の国民に対する共同陰謀

結局、こうしたことが、官のためにだけになされ、国民にとっては、企業の効果のないムダなコストとして、物価高に反映され、かつ税金も高いという二重苦の結果にもなるのである。就業条件の脅迫としては三重苦とも言える。国に絞りとられているのである。

こうしては、建築士、エネルギー管理士、公害防止管理者などで、自らの責任をあいまいにした上で、まともに働きもせず、こうした資格制度実施の外郭団体、資格受験予備校、受験参考書出版、民間検査機関、試験会場などをつくって、天下り先などを量産しているのである。

 そもそも、官が国民のために、ものごとが適正に行われているかを、管理しようとするならば、事後を自から、もしくは第三者によって検査・確認するしかないのであって、官製資格者を従事させたところで、その者が企業に雇われている身である限り、原理的に機能する訳はないのである。企業などは、そうした官製資格者を置いておけというから置いとくのであって、その者に官が本来すべきパフォーマンスを発揮して欲しくないのが本音なのである。その意味では、産官の国民に対する共同陰謀の観もある。よほどのことがない限り、(医者、弁護士等については考え保留中)官製資格など公務員でない限り必要はないはずである。

IT産業では、投資者が官製資格の被害者か?

 これらに比べると、私はコンピュータ、ITには詳しくないのですが、IT分野での官製資格ってどうなんでしょう? 昨今のコンピュータープログラム関係の不祥事をみると、それらは、官のIT時代の便乗でしかなくて社会の本当の役には立っていないように思えます。本当に優秀な技術者が、それに応じた報酬にならないような仕組みというか、業界が資格者というだけで品質と生産性の悪い従事者に過分な報酬を払うことによりコスト高になっていないでしょうか? 求人なんかを見ると、高度な官製資格あるいは高度なベンダー資格を持つことされていることがありますが、もし私が、銀行なんかのオンラインシステムなんかは別として、プロバイダー、ポータルサイト、アプリ開発の会社を興すんだったら、高度なベンダー資格しか眼中にしないと思う。少なくとも、情報処理技術者を集めなくっちゃとか、それが何人いるなんて言ってる社長には、投資はせんと思う。それで騙された出資者って多くないのかしらん? 泡のようにつぶれたIT企業ってそうなんじゃないかしらん。社長自身も海千山千でコンピュータのことはなんも知らんのだろう。

■何故、新聞は建築士制度問題・官製資格問題の踏み込みが甘いのか?

 私ね、テレビでニュースはあまり見ないんだけど、何で新聞は、建築士制度問題とか踏み込まないかなと思っていたんです。それで気づいたんですが、新聞社って建築士、情報処理技術者なんかを養成する研修機関を運営していることが多いんですよね。通信教育もそうなのかな?

 あるいは過去に建築士、情報処理技術者が足りない足りないって記事たくさん書いていたのかもしれない。

■追想

 ちょっと話が飛ぶけど、英会話の初等教育、大学共通入試のヒアリングの問題と関連して。現代的にいって、コンピューター、プログラミング教育ってどうなってんだろう。ある意味、英語以上に世界共通語ですよね。私は数学概念記号、物理学概念記号だって重要な世界共通語だと思ってます。今後どんなにコンピュター言語が、高級化、自然言語化したとしてもFor文、Do文の理解とか、教育要素として現代の知的遺産だと思ってます。

また、オブジェクト指向、プロジェクト管理、部品化、並列処理、ロバスト、冗長性とかコンピュータ以外でも役に立ちそうな知的資産概念の宝庫でもあるんですよね。でも報酬を得る仕事としては、概念じゃどうにもならん動作してなんぼ、それはOSとかベンダーのプラットフォームの理解、利用経験でしかありえないもともと官なんかが口を出せるような世界ではないんじゃないかな? CADなんかもSFXとか、どうなんだろう?ローカルだよね。

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2006年4月 5日 (水)

反射光:低気圧がまた来る

SAGAさんが「安楽死機関」を提案されています。

洞察に大変興味があるのは、「回復の見込みがない病魔・老衰の苦痛から解放される権利」

「人間としての尊厳死」という、世間でも比較的、論議が認知されているところから数歩踏み込んだ、考え方を示されているところです。

私は、「回復の見込みがない病魔の苦痛から解放される権利」「人間としての尊厳死」については、正直、悩んでいますが、認めるべきだに近いと考えています。

SAGAさんも、基本的には、「回復の見込みがない病魔の苦痛から解放される権利」「人間としての尊厳死」を認めるべき、行使できるとのスタンスと察しますが、SAGAさんの踏み込んだ考え方は、むしろ、私の考え方の彼方にあることの、別の難しさに気づかせてもらえるものでもあると思いました。(今回まだ、結論できない)

>本当は、ゴキブリほどに生きる価値のない自分だとわかっていても、自殺となればどのような手段を選ぶとしても苦痛が先に思い浮かんで死にきれない。そうだこうだと悶々としているうちにおかしくなって暴れたくなる

私も、これに関しては、SAGAさんと同じく、遠い、遠いが何となく理解できる派でもある。

何か、小説のカフカの不条理、アランドロン主演の映画の不条理から学習できるかも知れない世界でもある。

たぶん、この議論を真剣に受け止める人間がいるとして(私もその一人であると考えてくださいね)もっとも多くの反論があるとすれば、1つには、結局、おかしくなって暴れたくなる素質を持った人間が、本当に「安楽死機関」があれば、それを利用するか、それに救いを求めるかという疑問になるでしょう。

仮に、そのような人間いたとして、「安楽死機関」(医療機関もその候補)がそれを受け入れることの是非という問題があります。受け入れ反対派への反論としては、「じゃあそいつの希望がかなえられるのは、そいつが殺人を犯して、死刑になるときだけかよ。誰か罪もない人間が犠牲になるまで、リスクを申告してきたやつの善意?を生かすすべはないのか」ということになります。

「そうだこうだと悶々としているうちにおかしくなって暴れたくなる」なる素質の人間が持つ、苦しみ、苦痛が、「回復の見込みがない病魔の苦痛から解放される権利」「人間としての尊厳死」に該当するような、苦しみ、苦痛であるかないかの判断が必要になるということでもあるのでしょう。

答えにはなっていませんが、私は、そのような「苦しみ」は、苦しみ自体に、かなり価値があるのだと思いたいところもあります。不治であるにしても、苦しみ甲斐のあることなんだと思いたいところがあります。本当に苦しんでいる方々とすれば、無責任にしか聞こえない意見なのかもしれませんが。

正直、日和見主義的ですが、個人的には暫定的ですが、現時点では私は少なくとも、なんとか「尊厳死」と「自殺幇助忌避」を同時に成立させる、考えを模索したいと考えています。ただし、これが達成できたとしても、「尊厳死」は基本的には本人の問題(周囲の問題としても大変、重要ですが)「(消極的含む)自殺幇助忌避」は基本的には周りの人間の(無責任の可能性を含めて)問題かなと予想しています。私の場合は「(消極的含む)自殺幇助忌避」に関しては、確信的に周りの人間の無責任を擁護する可能性が高くなります。ゆえに、少なくとも「積極的自殺幇助」が取り締まりの対象になるのは、民主主義的に多数意見(なら)(として)肯定ということになりそうです。(たとえ悪法、納得のいかない法でも、その時点では守る必要)

私はSAGAさんが「安楽死機関」を提案されていることは、私と同様に、現時点では、消極的も含めて「自殺幇助」には(やむなくの可能性も含めて)否定的であると考えています。

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2006年3月19日 (日)

朝日新聞:同じ計算法でも強度増 偽りの安全

 姉歯氏の耐震偽装問題は、建築士の懲罰を強化するという方向の他(これが解決であるのか議論も必要だ。解決の偽装のようにも思える)、別の問題も浮かび上がらせてしまった。耐震設計評価の体制の根幹に関する不信感のようなものである。

私はこの分野、不案内なのだが、好事家な面もあって、2冊程、関連図書をざっと観てみた。

 ①オーム社刊・日建設計東京オフイス構造設計室編「建築物の性能設計と検証法」(耐震設計を中心として)3500円。②丸善刊・地盤工学会「地盤・基礎構造物の耐震設計」(地盤工学・実務シリーズ13)6800円。2回ほど、居酒屋に行って吟醸、純米酒で、ほろ酔い楽しむのを我慢すれば良い程度の出費だ。

①②とも、私の能力では、判りやすいとは言えないのだが、直観的には、そこそこ良書である雰囲気はある。特に②は、この分野としては、経験工学、仕様書的な色彩が薄く、比較的、科学的、理学的なアプローチなので、他分野の科学、工学の碩学らには、いくぶん、しっくりくるかもしれない。(ということは、ある程度誰が読んでも面白いということでもある)②を選んだのは①では納得できなかったからでもある。

本屋で物色して思ったのだが、地盤・基礎に関しては、建築構造の書棚では、仕様書的な本ばかりで、②のような良書風のものが見当たらなかった。建築をやっている人間は、このようなことに頭を使うなってわけじゃないとは思うけど?

 建築士系の構造担当者が設計したものって、軽い戸建なんかは、別としても、重いコンクリートで作った、マンション、学校、病院なんか大丈夫だろうか?(べつに土木系の技術者を持ち上げている訳じゃないけど。T定規での意匠計画の製図を課せられてない程度に、修練の時間が有効かなという程度。ただ建設白書の理解?(建設白書の販路)などバカバカしいものも課せられているみたいです。あるいは、こんなんで点数が取れない、建設系技術士と同じ称号になっちゃう他分野の技術士等が可哀想でもある。電検なんかも内線規定等理解以外の知識能力にこそ私は興味がある(電磁気学、回路計算とか私にはチンプンカンプンなあれが判ってるって凄い!!)のですが)そのせいか本屋の技術士関係はいつも建設系が圧倒している。一方、技術系は建築系は他分野に比べて(土木に比べても)程度の低い図書ばかり。

②は、私なんか免震構法ってかなり良いじゃんなんて思っていたけど、地盤特性を良く吟味しなきゃダメという指摘も書いてある。

姉歯氏問題以降の問題としては、姉歯氏とは、ほとんど関係ないところで、やはり構造計算書の問題が発覚した。

A:1つはやはり提出資料のズサンで、設計者が規準なんかもともと適当なもんで、肝心なことは、自分の経験と勘で担保しているから、良心的なんだという一種のひらきなおり?

B:もう1つは、やはり姉歯氏とは、ほとんど関係ないところの話なんだが、保有水平耐力計算ではダメだったが(この時点で違法建築)限界耐力計算では大丈夫でした、みたいな話。もともと限界耐力計算法は、2000年の規準法改正のアダ花みたいなもんで、当時から、あれに批判的な専門家達もいるみたいだ。

C:それで、また、Bを知った?のか、姉歯氏に設計されてしまった、マンションの住人達が専門家?の力を借りて別の認定ソフトで計算し直したら、補強で済んで、取り壊しは、まぬがれるんだというニュース。(喜べる話じゃないが、彼らもそこまで追いつめられている?)こうなると、もう耐震評価への信頼観はドロドロ混迷の様を呈してきた。それは建築士系の技術者が担う構造設計への不信感にもつながる看護士がなんのためらいもなく医療行為を行っているに近くないのか?

まあ、そんな複数(106種類?)のソフトを認定してしまった、専門家の言い分もあるのかとは思う。でも、こうなった以上、国交省、建築学会、建築士協会?等は大新聞、数社の最低2面ぐらいを使って、説明記事を掲載するとともに、ホームページで公開する必要はあると思う。少なくとも保有水平耐力ソフト、限界耐力計算ソフト等の数等や認定の概要経緯、確認検査機関のそれらソフトの保有状況を掲載すべきかと思う。掲載するまでこれらの関係者は建築士試験実施とか、その類の技術者教育啓蒙活動とか諸活動を停止するべきだとすら思える

私は関係者が、この件(2000年の規準改正)に関して、我々は、十分な期間、、各界の識者、市井の技術者にヒアリングを行ったのだという言い訳は絶対に認めたくない

 ソフトの種類が多いことについては、コンクート構造、鉄骨構造とか、壁構造に対応するかしないか、何階建まで計算できるかなどソフトのコストパフォーマンスなどあるかと思う。しかし、これをどのように市井技術者が使い分け、運用してくるかというリスク評価を予想しないことは指導行政の言い訳のできない、放置できない重大な落ち度であることは間違いあるまい。私は根本的な制度の清算の必要性があると感じる。この辺の適切さをコントロールできるとすれば、それは例えて言えば、看護士の領域ではなくて医師の領域に相当するのではないかとも想像する。

 何か、地震国、日本で市井技術者に、コンクート、川砂(代用海砂?)ジャリを大量消費させるのが、何より重要、優先事項なんだって気もしてきてしまう。

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2006年1月 8日 (日)

反射光:形ばかりの友好なんていらない

SAGAさんの「形ばかりの友好なんていらない」
を読んでみて、私も考えてみた。私の場合は考え方が迂遠だが、結論は同じに近いのだろうか?

日本人には、あの太平洋戦争を馬鹿な戦争をしたものだ
あんな、戦争しなければ良かった
韓国や中国、アジアに、ひどいことをしたと
もっと、反省したい気持ちが、日本人にあることを
世界に示したいと、思っている人も多いと思う。

馬鹿でない戦争、ひどいことを、しないですむ戦争なんてないと思う。
攻めるしても、守るにしても
いろんなことで、それどころでないということが多くなるのが近代戦争である。
勝つことが、戦争の第一義だからである。

殺戮、虐殺、大量殺戮の回避が、管理しきれなくなるのが近代戦争なのである。
戦争を起こすというのはそういうことなのである。
日頃、ダメだと言われてる殺人が国家の目的となるのが戦争である。
国家総動員のテロルが戦争なのである。
国民のわけても兵士の精神のモードを退化させるのが戦争なのである。
米軍は過酷な局地戦で兵士に麻薬を支給する。
そうでなければ、攻めるしても、守るにしても近代戦争には勝てないのである。

一応、太平洋戦争で日本人が起こしえた、殺戮、虐殺
管理不行き届きという解釈だと思われる。
ここが、ヒットラーのユダヤホロコーストとは異なる観点なんだろう。

そうでないとすると、米国や中国
やられる前にやる。売られたケンカは買わないわけにはいかないというのが戦争
必要なら戦争するぞというスタンスを正当化できなくなってしまうのだ。

戦争を必要としなくなることは、非常に難しい。
敗戦国が十分に反省したからといって、戦争がおきにくくなることには
あまり貢献しないんじゃないかと思う。
現実逃避の甘い錯覚は、危険である場合も多々ある。

どちらかというと歴史は
戦勝国が敗戦国の国民に自らの戦没者を貶めて。それを悼むことを禁じることが
敗戦国の国民の恨みを増大させ
新たな戦争の火種になることを教えているように思える。

A家から、B家の人間を殺した、犯罪者が出たとする。
そのA家の犯罪者は死刑になった。裁判自体は、もう済んでいるのである。
家の中に、家人であるその犯罪者の位牌、遺影があっちゃいけないのか
A家の人間が、その位牌、遺影を前にして思うことは、様々である。

国際社会のフォーマル、法治性には、そんなことまで規制する正当性があるのか?
そのような規制の正当性は、ある特定の国家のイデオロギー、宗教観でしかないはずだ。

国際社会のフォーマル、法治性は、日本を敗戦国と結論はしている。
日本のフォーマル、法治性は、それに対する異議を放棄して決着している。
しかし敗戦国として、日本の習俗、宗教観を放棄し、韓国、中国のそれに合致させる約束にはなっていない

そりゃ、A家の人間が、B家の人間に、その犯罪者がいかにカッコ良かったか自慢したりするのは問題ではあろう。
B家の人間が、A家の中以外で、その位牌、遺影を見る機会があるのも、よろしくはないだろう。

でもA家に、その犯罪者の家人の位牌、遺影があることを、B家の人間が文句を言うことが正当であるとは思えない。
その文句にフォーマルに法治的に正当性を認めることはおかしいと思う。
家の人間は、家の中の位牌、遺影をうち捨ててまで、このようなB家との友好を努力する必要はないだろう。
そうでなければ、B家のイデオロギー、宗教観を押し付けられ、家を乗っ取られたの同じである。
A家の家庭内がB家に支配されたのと同じである

ただし、私は位牌、遺影がA家の中にあるのは良いが、A家が属する社会でフォーマルに位牌、遺影を扱っているのはまずいと思う。
そうでないなら、公人であっても、私的にA家を訪れ、位牌遺影を前にして様々なことを思うのは自由だと思う。
これって、当り前のことじゃないかしらん?

靖国のかわりに、慰霊施設を作る考えもあるそうな? これって公共事業だよね。
何で、戦没者の位牌、遺影的なものをまつるという、個人的なことを公共事業でする必要があるのだろうか?
公共事業を欲しがる建設業界は喜ぶかもしれないけど。
まあ、国民の総意であるならしかたがないけど。
でも興味がないせいで、一部の人達の考えでそうなっちゃうのはなんではある。

私は、最低でも年1回は、太平洋戦争や戦没者のことを悼み考えるけど、別に施設が欲しいとは思わない
靖国にも行ったこともないし、行くつもりもない。将来、靖国が忘れさられてすたれて、廃社になったって気にならない
日本人として日本の総理大臣の、いろいろな考え方には興味はあるけど、総理の靖国対する考え方には興味はない。
日本の総理大臣が、太平洋戦争と戦没者をどう考えるか興味を持つべきだが、
総理大臣が私人として戦没者のへの想いに関して、どんな日本の習俗の形で表すかは重要ではない。
総理大臣がどの芸能人が好きか、興味がないのと同じである

靖国には、A級戦犯がまつってあると言うけど、靖国がA級戦犯の家人からそれを奪ったのかしらん?
A級戦犯の家人で、自分の家で扱うから、靖国にでは扱っていることにしないでとした遺族、親族はいないのかしらん?
靖国は、A級戦犯の家人の意向に関係なく、勝手にまつっているのかしらん?
靖国は、A級戦犯の家人がひっそりと、まつっているだけじゃ、いやなのかしらん?
まあ、関係、関心のない私が靖国が何しようと、靖国の勝手だと思うけど。

戦没者の位牌やお墓って、実質、本当にはどこにあるのだろう?
A級戦犯の位牌やお墓って、実質、本当にはどこにあるのだろう?
大体は個々の係累のお家、お墓、仏壇にあるんじゃないかしらん?
じゃあ、靖国には何が残っているのかしらん?
大部分、ないものを、まつっているなら、別に靖国じゃなくても良いわけだ。
どこかの、教会やお寺が、戦没者を漠然と悼むなら、靖国じゃなくて我が教会、我が寺にと言たって良いのだろうと思う。
いや、教会が寺がそう宣伝してなくても、参拝する人間の気持ちしだいかもしれない。
お寺の初詣で、太平洋戦争の戦没者を悼んで手を合わせるのは個人の気持ちである。
長崎、広島、沖縄を旅して、教会があったら、そこで太平洋戦争の戦没者を悼んで手を合わせるのは個人の気持ちである。

日本は宗教に関してデリケートな国なのだろうか?あるいは無頓着な国なのだろうか?
個人の履歴書に宗教を書く例はあまりないみたいだ。海外はどうなんだろう。
今どきで言えば、個人情報の部類であろう。
米国大統領は、敬虔なプロテスタントであることをアッピールすることが普通みたいだ。
小泉首相の宗派は仏教でもキリスト教でもなくて神道なんだろうか?
初詣は神社か寺か?ウェディングドレスを娘に着せるか?
この辺、パフォーマンスからじゃ決められないという感覚はむしろ日本人としては普通だろう。
韓国、中国からフォーマルに、とやかく言われるべきものではないだろう。

国家間というのは、基本的にライバル同士である、競争相手である。
だから、お互いに、いいたい放題、批判しあうことは自然なことである。
隙あらば、自分達の都合を良くするのが自然である。
ライバル意識、敵愾心があるのが自然である。
戦争にまでは至らない敵愾心の弱さが、友好である

特に中国は国体上、イデオロギー的に要人が国内で宗教的パフォーマンスに参加できない国である。
その中国流の批判を気にしすぎることは、おかしいとは思う。
某大新聞等は靖国参拝批判の理論武装をもっとしっかり欲しいと思う。

私は国家を背負ってない人間であるところの
日本人、韓国人、中国人、米国人におおいに興味関心を持ちたいと思っている。
国家はめいめいが都合良く利用し改良するのがよろしかろう
それを楽しく、自慢しあったり、グチりあったり、うらやましがったりしたいものである。
愛国心というのは、そういうものではないのか?

こういう楽しいおしゃべりの内容って
各国の要人が国民から離れて密室でやっていることと
各国の下々の者が井戸端でやっていることは、すんごく正反対なんだろう。

21世紀はンターネットがさらに発達して、翻訳ツールが完成されて
バベルの塔にまつわる、言葉の壁が、各国の下々の者の間でもなくなってしまう
世界が出現するのだろうか?
若い人達がうらやましいと思うし、長生きもしたいと思う。
旧態とした世界の権力者達は、神にかわってそうした世界の出現を阻止するのだろうか?
悲しいかな、私の外国語学力では、恐ろしく水準の低いことにしかアクセスできないし、発信もできないのである。

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2005年12月 4日 (日)

反射光、、「構造計算書偽造問題はIT化で解決,じゃないのか?」

YasuAtSellToJapanさんが、ブログ「Sell To Japan 日本語版」の記事、「構造計算書偽造問題はIT化で解決,じゃないのか?」
からTBを送ってくださいました。
私の関連記事は
時代錯誤の落とし子、建築士と建築構造計算捏造問題、責任の所在は?

私も専門家でないから、かなり適当なんですが、報道から察するに

①A1:正しい入力 ―> A2:応力出力 ―> A3(断面設計)応力出力適合断面条件―>A4:適合判定出力
②B1:偽造入力 ―> B2:偽造応力出力 ―> B3(断面設計)偽造応力出力適応断面条件―>B4:適合判定出力
③C1:正しい入力 ―> C2:応力出力 ―> C3(断面設計)偽造断面条件―>C4:不適判定出力
みたいな計算をしておいて

④A1:正しい入力 ―> A2:応力出力 ―>B3(断面設計)偽造応力出力適応断面条件
―>(A4:適合判定出力・B4:適合判定出力)
⑤A1:正しい入力 ―> A2:応力出力 ―>C3(断面設計)偽造断面条件
―>(A4:適合判定出力・B4:適合判定出力)
みいたいな、構造計算書を捏造したんじゃないでしょうか?その他、ちょこちょこ物性値みたいなものもいじってるみたいですが。

確かに、入力条件とか、断面条件のデータをCDとかメールで受け取って、検査確認機関のパソコンで再計算すれば
偽造は防げるハズですよね。基本的には自分達で、キーボードから再入力することはしなくて済むハズですよね。
普通、こういうソフトは入力の続きは明日やろうに対応するから、入力データ、中間出力はセーブしますよね。
それを読み取って計算はチョチョイのチョイだと思いますよね。

基本的に、認定構造計算ソフトの多くは、有限要素法とかは使ってなくて、せいぜい多元連立1次方程式を解くみたいなもんじゃないかな。
だから、1台のパソコンで1日100物件の再計算をしても、パソコン10台あれば、1日1000物件の再計算ができます。

YasuAtSellToJapanさんが、参考かな?示している「鉄筋コンクリート構造の離散化極限解析法」って書籍、かなり高級で、
建築士で、こうした内容理解している方1%以上いるんですかね。?
一級建築士試験って、微積分学、行列理論知らなくても大丈夫って前提で試験問題つくってるみたいです。
いくら地震の少ない米国でも、現代的には建築家が構造設計計算能力があるとは期待されていないみたいです。構造エンジニアと共同で設計してます
省エネ計画、空調設備の設計も出来るとは思われていないと思う。日本は逆で、構造エンジニア、設備設計者がたくさん一級建築士なんですよね。現場管理者もそう。意味ないんじゃんになっちゃてる。米国なんかでは、うちの建築家っていうのに最低限相当しそうなのは、日本の建築士の中では3割?1割?いないなって言われていると聞いています。

考えようによっては、

同じソフトを使うのだから、出力のベリファイは簡単なハズ出だし、実はベイリファイ対象の出力自体、提出の必要がない。
とは言え、計算過程の中間出力はともかく、実際に現場でつくる為の図面と一致してなければならない訳ではあります。
それでも、今どきなら、検査員がパソコンとかもって現場に行けば良いので、紙の図面の必要性は未来的には疑問ですね。
現場用の設計マスターデータがあれば、通信でベリファイもできそうです。

まあ、はっきり言って、はじめから、認定確認検査機関が時代錯誤的に怠慢とは言えそうです。
設備投資を嫌がって、ヤラズボッタクリ体質だったと言われても仕方が無い。
そもそも、設立されて間もないから、まだちゃんとした生え抜きがいなくて、かつて所管行政にいたロートルの建築主事とかその下で仕事してた人達で作った会社が多いんじゃないでしょうか。で設立の資本も業界から集めている。民間として早く安く検査する物理的根拠がもともとなかったのかも知れません。
とすれば、やることは手抜きですよね。

私ね、行政ってのは、立法の手伝いをしちゃいけないとは言いません。そして違法結果を排除することがお仕事だと思うんですよ。
指導ってはの気をつけなくちゃいけない。指導は責任に結びつくから。役所は責任とろうとすると血税でしょ、責任能力ないんですよ。
違法結果を排除するだけでなくて予防もしたいとしても、基本的な手段は恫喝と警告で良いんです。そして適法の情報提供です。
これまた、税金でタダでやるべきことを、やっていない必要な情報をタダで配信しないで、くだらないパンフレットばかり発注しているんじゃないでしょうか?

私は民間の損害保険会社の活用を念頭しましたが、官製のそれや、業界のそれってどうかなと思います。
官とか業界協会って、不適格者擁護体質になっちゃうんです。で個々の不適格者は能力がないから、手綱緩くしてもらおうとペコペコ体質でしょ。
それが楽しくってしょうがない機関になちゃう
んじゃないかな。で本当に損害賠償しなきゃならないとき、建物利用者本位でなくて逃げまわるし
損害賠償ばかりになって、金銭的に破綻しそうになると、倒産させないで、所管省庁経由で血税投入しちゃうんじゃないかな。
これがあるから、建物利用者本位でなくて逃げまわるじゃなくて、大判ぶるまいにもなっちゃうかも。保証してもらう方はペコペコした甲斐があるなぁと。設立資本金集めた甲斐があるなと。
もともと不当に安い保険料で保証したり、問題おこした設計事務所、建設業者なんからの、債務回収なんかそっちのけでね。
最終的には血税使っての、不適格者が設計建設した建築の販売促進になっちゃうんじゃ。実際、政治的にもこれっきゃ考えてない。
民間の損害保険会社活用の方が、不適格者排除としては機能するんじゃないでしょうか。
官製のそれや、業界のそれっていうのが、つきまとうから、民間の損害保険もビジネスとして躊躇しちゃうんじゃないでしょうか。

、ITってのは使い方次第で、公開性、透明性、トレサービィティ、ベリファイ、エラーチェックとか、ローコストの正義の剣にもなると思います。関係者の皆様、お仕事頑張ってください。

問題の建物、少なくとも、住んでる人じゃなくて、近隣や通行人にとっても危ないというのなら、解体撤去ぐらいは血税でやるのも仕方ないかしらん。
責任追及は後まわしにするにしても。

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2005年12月 3日 (土)

時代錯誤の落とし子、建築士と建築構造計算捏造問題、責任の所在は?

世の中は、あの建築構造計算偽造問題で揺れています。
建築確認検査機関の問題もあるし姉歯氏は一級建築士でした。

一級建築士として、誇りを持って仕事をされてこられた方々も心を痛めているご様子。
また、建築が大好きで、一級建築士受験勉強に励んでいる方々の気持ちにも水を差す事件でした。
そんなことから、つらつらとこんなことを考えています。

医師・弁護士・建築家
というのは、欧米では最高水準の倫理感や能力を有する者が従事する
特別なステータスのある職業と見なされているそうな。
欧米に限らず、日本でも、憧れの職業ではあるのだろう。

(ただし、昨今、米国では弁護士は訴訟屋とも言われ、必ずしも尊敬されていない方々もいるらしい。)

これらは、なるのが難しい職業なのか、それとも、まっとうするのが難しい職業なのか?
ただ、基本的には、欧米では伝統的には、建築家というのは
少なくとも、医師・弁護士に較べて、なるのがむづかしい仕事だとは思われない。
どちらかと言うと、まっとうすること、認められられることが難しい職業じゃないかと思う。
その意味では、芸術家の部類である訳だ。
しかし、何故、画家、彫刻家、作曲家達と離されて
医師・弁護士と並びたてられるようになってしまうのか。今回はその疑問は保留しておく。

さて、日本において建築士というのは、そもそもなんなのだろう。
先の意味で建築士=建築家では、とうていなさそうだ。

この日本における建築士なるものの、得体のなさを考察するに、まず
医師・弁護士・日本の建築士を並べて違いを検討してみる。
この考察の興味は、はたして建築士が医師・弁護士と並び称される職業なのかという問いでもある。
そうでないとすれば、建築家と建築士の距離は非常に大きい。

特徴しては、建築士というのは1級、2級がある。
2級医師、2級弁護士というのは聞いたことがない。ナースには似たような制度があるのだろうか?

建築士の特徴には、建築確認申請制度というものとの関わりがある。
つまり、建築士は設計した建物が建設されるにあたって
個別案件1つ1つに、作成した設計図書のお上の確認検査が必要とされる
正確には建築確認申請を要求されるのは、建築士ではなくて建築主ではあるようだが。
しかし実質上は、建築士の仕事、案件ごとに、作成した設計図書のお上の確認検査が必要とされると言って良いだろう。

弁護士がクライアントの弁護活動を行うにあたって、
個々の案件について、お上に弁護活動(計画)確認申請書が必要だったら笑ってしまう
弁護活動中間検査なんて受けていたら笑ってしまう。

医師が患者さんに、治療を処置するにあたって
個々の案件についてお上に治療行為(計画)確認申請書が必要だったら笑ってしまう
治療行為中間検査なんて受けていたら笑ってしまう。

ようするに、建築士という資格、建築士の仕事は、医者や弁護士の仕事や資格と違って信用のできないものだと
国からお墨付きを貰っているのである
。その資格を与えている、資格を得るように強要しているのは国家なのにである。

今、一連の事件で世間で話題になっているのは、建築の認定民間確認検査機関である。
それまでは、この手の業務は所轄行政の建築指導課等、建築主事が行っていた。
いづれにしても、こうした機関が必要(強制)であるなら、建築士制度は必要ないし
建築士制度が必要なら、こうした確認検査機関は必要ないのである
。少なくとも両方の制度があること自体が無意味なのである。
あるいは、両方の制度とも無意味なのかも知れない。
建築設計、施工監理を必要とする社会のニーズに何の貢献もしていないのである。無駄な雇用創出、集金制度なのである
職業の為の職業なのである。所轄官庁がなにかやっているふりする、天下り先をつくる為だけの、何の役にも立っていない制度なのである。
一生懸命仕事をして、稼いだお金で、住宅やビルを建てたいと思い、優れた設計を欲しがる人から
意味のない手数料を搾取する無駄な雇用を生み出す制度なのである。
この得体の知れない構図こそが、建築士制度、建築確認検査制度なのである。

私は、民間確認検査機関で良いと思う。そして建築士制度はいらないと思う。
建築士制度はあっても良いかも知れないが、
建築主は建築士を頼らないで建築設計してもらい、建設してもらえるようであって良いと思う。
建築士であるかどうかは、建築主が誰に建築設計を頼むかの参考程度のもので良いだろう。
建築士に相当する民間資格が存在するようになって、国家資格である建築士より、建築主らの評価が高くなっても良いと思う。

法治国家である以上、建築基準法等条例等に違反する建築物は存在してはならない
違反する建物は原則、すみやかに完全適合にするか建物自体の撤去である。行政は、いかなる情状も斟酌することは許されない
行政は原則、設計図通りに、建築されているか、なんらかの方法で確認できうるべきだ。だからと言って設計図が合法であるかの責任を負う必要はない。
建物が出来てしまってから、好きなだけゆくっり図面をチェックして、設計図が違法であったら、撤去命令とかを出しても良いのである。出さなくてはならないのである。
さて、そうなった場合の損害を誰が被るのか。勿論、是正、撤去を命じる行政(血税)がそれを被る必要はない。
それは、原則、建築の保有者であり、建築主である。そして彼らがその責任を誰に肩代わりしてもらうかは純粋に民事契約上の問題
である。

②さらに建築基準法等違反の他、建築主、建築所有者が、自からその建築で生命が脅かされるたりするのは、基本的には建築所有者の自己責任である。
③建築主、建築所有者が、その建築を他人に利用させて、その人の生命が脅かされれば、それはその建築主、建築所有者の責任である。
ただし、事前に例えば、建築設計者や建設業者が文書をもって、それらの責任を替わってとる契約になっているのなら、その契約は有効でなければならない。それ無しに、建築士法に記載されているような、自動的になんらかの責任があるような文学的な文章ははなはだあいまいで、誤解を生む以上の意味をなしていない保証賠償として機能するのは個別の民事契約内容だけなのである。これは今回の事件でも明かであろう

①をクリアしていることが、②③の場合の免責になるとは限らない。実際の裁判になれば、免責を得やすいとは思うが。
また血税を使うことになる行政は②③に介入する権利はないことにした方が良いだろう。血税を使うしかない行政のお墨付きや保証は結局無責任なのだから。

(①)建築主、建築所有者は、まず設計が違法建築になってしまっていて建設して撤去など余儀なくされるリスクに備えるべきだろう。そうなった場合に備え信頼に足る損害保険会社と契約すべきである。あるいは設計者、建設会社等が損害を肩代わりするという契約を提示した場合でも、彼らが破産倒産した場合に、信頼に足る(資本力がある)損害保険会社が保証人的についているか確認すべきであろう。この場合、設計者、建設業者と保険会社はお互いの免責事項について綿密な取り決めが要求されるだろう。そして保険会社はリスクを限りなくゼロにする為に、信頼に足る民間確認検査機関を利用することができるだろう。信頼の源泉は民間確認検査機関の資本力ではなくて、ちゃんと検査確認業務をやっているかどうかである。ここに国や行政が足しになる余地はないし、余地があるべきでもない。

(②③)これは建物免震システムなど特別な設計をし建設した建物の、地震保険料等にかかわることでもある。免震等でも普通よりさほどの耐震性しかない場合もある得るとの関心も必要だ。免震だから柱を細く、梁を少なくできる等の興味で設計をする技術者も少なくない。結局これは地震のとき他の免震でない建物と同じように損傷すれば良いという免震の設計思想である。もちろんそうでない免震設計こそが普通だろう。

④建築基準法、政府刊行物、建築士試験の内容では推し量れない高度の水準の設計ができる設計士は、クライアントや保険会社に、自分の能力を自由にアッピールすべきだろう。自分も世間も信頼している、建築家、学者、技術者の著作物、論文等を明示して、この水準で私は設計しますと言っても良い。卒業した教育機関の水準に見合った仕事をしますでも良い。嘘を言ってないなら、裁判でも本当にその水準の理解力で仕事をしていたかは検証できるはずなのである。裁判官は良識をもってそれが現実的な人智の範囲であったか判断できるだろう。誇大広告は裁かれ処罰されるべきである
今の建築士の立場が、行政がおこなった誇大広告の産物のようにも思われる。国家資格取得者は責任をとらずに、責任能力がないのに既得権意識が勝りすぎているかも知れない。まるで社会主義国家の中で、党員になれたかのような振る舞いに近い。自分では実務をせずに管理者気取りではないのか。
有資格者(党員)に任せかせましたは、免責にはならないのである。これをあいまいに許すから、責任の所在が途絶える。有資格者に責任能力の根拠はないのである。

(②③)建築は消防法を順守すべきことは勿論だが、保険会社独自の保険料を決める価値判断はあっても良い。
消防庁は消防隊員がより低いリスクで消火、救助活動できるか個別の建物の情報に関心を持つべきだろう。活動を躊躇したくなるなるような建物の情報を把握しておくべきで、それを建築主、保険会社等に勧告しておくことも良いと思われる。実際に活動を躊躇したとしても、必要以上にとがめられる必要はないだろう。建物の使用者、利用者は、そうした情報を知りえるべきである
建物によっては、最上階等に建築主、建築所有者で私設消防隊を常駐させるような考え方も必要かも知れない。

建築を愛して仕事をしている方々、そうした仕事を目指している方々、建築士の勉強は何だったのか、何を勉強しているのか
疑問に思うことも大切かなと思う。建築を愛するがゆえ、そうした疑問が将来役に立つことがあると思う。
建築士になる為、受験予備校で、本来じっくり考えるべきプラニングをさっさとやるテクニックを教えてもらい
製図試験で、図面の植栽に鉛筆の点々で影をつけたりして、私は受験予備校に授業料払っていましたということを
採点者にアッピールする。こんなことで合格した資格で本当に良いのか。もっと現代的な設計現場が要求する能力を問う試験であるべきように思う。
そもそも製図試験の採点者とは何者なのか、受験予備校の関係者とどのような情報交換をしているのか。

④のような設計活動を促すような制度であっても良い。このようなスタンス、能力のバックグラウンドで私は開業しますという、届出制にすることも可能かも知れない。クライアントは届出内容を知ることが出来なければならない。届出内容に虚偽があってはならない。無届開業は許されない。

多くの人に、建築家、設計士として、