インターネットパラダイムの危機

2013年2月 6日 (水)

反論、朝日新聞 記者有論 AKBと男児の写真 放置で被害を広げるな

どう思うニフティの青少年インターネット環境整備法に対応
という記事を書いたが
関連して、

朝日新聞記者有論 文化くらし報道部 本山秀樹氏の
AKBと男児の写真 放置で被害を広げるな

という記事を問題にしたい。
自主規制に関する考え方が私と違う。

当局の表現の自由に対する規制を良いこととしないのが、私の基本であるが、自主規制ならば良いかというと、それが安直な世論の圧力に屈してというのであれば、劣らずそれも良くないという議論も、このブログでかつて進めて来たのである。

表現の自由を考えたとき、表現を規制し取り締まるのは、個別の判断ならざるを得ない。それを無視して自動的にしてしまうのは断固反対である。個別の判断で結果、法的にも社会的にもペナルティが科せられるのは、いかしかたない面もある。表現の自由を信念とする者は、ときに悪法の毒杯をあおぐことで、社会に抗議することも必要だ。そのような判断をする社会に抗議することが必要だ。ゆえに悪法と言えども、法治にのっとり規制されるべきなのだ。

その意味で、安直な自主規制というのは、別の意味で危険な訳である。世論と言っても一般的には国民の総意ではなく、その一部である。してみれば、安易にそれに屈して、自主規制するというのは、私刑、リンチに屈するということだし、それは私刑、リンチを肯定し、奨励することにもつながる。

さてAKBの写真の問題の個別性であるが、私はそれを今だ見ていない。
児童ポルノの疑いとのことだが、背後にいる男児の手で裸の胸を隠したポーズが問題とのことである。例えば男児の性器が露出されているとか、弄ばれていると言うことでもないらしい。恐らくは、そうでなくても、そうした男児を性の欲望の対象として扱うことを連想させると言う拡大解釈なのだろう。あるいは、そうした目的で大人の女性が男児を誘惑、いたずらする可能性も考えているかも知れない。

個別問題として、結構デリケートである可能性を感じる。一歩間違えると、西洋美術の古典的なモチーフである、ビーナスの裸体と子どもの姿をした天使のモチーフも、そうした欲望を喚起するという問題にもなってしまう。例えば、古典名画を実写で再現するという美術ジャンルがある。半裸のビーナスにベールをかぶせようとする子供の天使の古典絵画があったと思うが、これに子役を使ったとして、性器を隠したとしても、児童ポルノ防止に抵触するのだろうか?

写真を見ていないので、無責任なところはあるが、天下の講談社が、そうそううかつなことをするとは思われない。とすると、ネットで批判の声が上がったと、過敏・安直に自主規制する講談社の体質に大きな危惧を感じる。
この無責任さが、その後の話を、無駄にややこしくしてしまっている。

本山秀樹氏は、講談社のこの写真を転載した各スポーツ紙や、それを閲覧可能にしている図書館が、講談社の自主規制に追従していないことを批判しているが、私はおかしいと思う。

国立国会図書館は「児童ポルノを閲覧禁止にするのは、裁判で確定した場合か、係争中のものに限る」としているそうで、親方日の丸を嫌う私でも腐っても鯛というか誠に正しく文句のつけようがない。本山秀樹氏がこれを持って図書館側の動きがにぶいというのが、天下の朝日新聞の記者の考えかと、その幼稚さに驚きを禁じ得ない。いくら児童ポルノ撲滅に燃えているとしても、言論の側に立つ人間として偏向思想に過ぎる。

ただ、私としても、本山秀樹氏を批判するに、自信を持てない点はあって、それは最後の「巻き込まれた子どもの人権は、今もなおざりにされたままだ。」という点だ。この辺が良く判らない。写真の子供の年齢を把握していないのだが、人権侵害の訴え能力がないと見なせる年齢なのだろう。とすれば、子どもらに親権者などがいれば、その親権者らの児童虐待容疑にもつながる。そうでなければ、本山秀樹氏の考えは矛盾するだろう。

講談社の自主規制が、相当に問題なのは、それが、講談社が、子どもたちの親権者の児童虐待容疑を認めたことにもつながりかねない。子どもたちの親権者からの名誉棄損に発展しかねない、発展しても良い問題をはらんでいることだ。本山秀樹氏だって名誉棄損で訴えられ得る可能性がある。

やはり、安易な自主規制には、私刑・リンチを肯定する要素があり、名誉棄損の可能性があるのだ。本山秀樹氏の考えは、あまりにも幼稚だ。

記事で、ネット上の児童ポルノについては、大手プロバイダー各社などで情報を共有し、閲覧を自主規制する仕組みがある。だが、その対象は、警察庁や同庁の業務委託先から情報提供があったものに限るという。とある。

この辺が、私の記事、
どう思うニフティの青少年インターネット環境整備法に対応
に関連する。
警察庁の業務委託先と言うのが、青少年保護機関、人権擁護機関なのかとも思う。この両機関、依然として実体が良く判らない。

私と本山秀樹氏が真逆なのは、私は警察庁ですら譲歩して法治国家なのだから、やむなく、それでも自分が正しければ弁護士を探して法廷闘争を辞さないとしているのに、その上で同庁の業務委託先などやだなぁ心配だなぁと思っているのに、本山秀樹氏は、それすら物足りなくて、当局依存でだらしがない、自主規制をどんどんやれなのである。

不幸中の幸いか、AKBの写真問題に関しては警察庁当局は今のところ冷静・、良識があるように思われるので、やはり問題は講談社の自主規制の無責任さにありそうだ。

本山秀樹氏の考えはとても危ないと思うのである。

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2013年1月21日 (月)

どう思う ニフティの青少年インターネット環境整備法に対応

ニフティからメールでお知らせが来た。

青少年インターネット環境整備法に対応した、LaCoocan(ラクーカ ン)利用規約の変更に関してだ。

青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律第2条第3項に定める「青少年有害情報」または法令に違反しもしくは違反するおそれのある情報をホームページ等に掲載した場合においては、ニフティは、青少年保護機関、人権擁護機関および警察その他の取締機関に対して、当該ユーザーがニフティに登録した連絡先メールアドレスを開示することがあります。

とある。穂影は、好んで有害情報など流すつもりは無いし、違法行為をするつもりもないから、基本的には異論はない。警察に連絡先メールアドレスを開示することにも文句はない。もし国家権力の横暴があれば、いざとなれば、仲間に協力してもらい、堂々闘い、逆に損害賠償も国家に請求する。しかし、青少年保護機関、人権擁護機関とかは一体何なんだろううか? 穂影は基本的には、こんな名称がついている機関と、相性はそんな悪くはないつもりだが、ニフティには、安易に圧力団体に屈している訳では無いという、ユーザーに対する説明責任があろうかと思うのである。

青少年保護機関、人権擁護機関と言えば、警察のように法に基づいた権力で連絡先メールアドレス開示を要求できる権限を持った機関なのだろうか?そもそも、これらの機関に属している人間は全て守秘義務など相応の責任を負った国家公務員なのだろうか?

青少年保護機関、人権擁護機関と言えば、そうであるかないか、自明だと言う訳でもないだろう、ニフティには説明責任があると思うのである。青少年保護機関、人権擁護機関の中に、単なる特定の信条を持った民間人が混じっていたら、そんな人達に、大切な秘匿しているメールアドレスが見られてしまうリスクは冒せない。穂影は有害情報を流さないように留意してはいるが、法に基づかない単なる民間人の信条とは認識の差、齟齬がある可能性があるからだ。こうなると、ニフティは、安直に特定任意の圧力団体に屈して、ユーザーを売っていることにもなりかねない。ニフティには十分な説明を求めたいところである。

実際、このブログでもテレビ局などの表現の自主規制は、不健康、邪悪だと議論もしている。その背後には、視聴者全般多数の圧力もあろうが、青少年保護機関、人権擁護機関的な団体の圧力も想像してしまうところである。

ニフティはインターネットを普及させるに一役かった企業の雄として、あまりにも腑抜けた、だらしない対応ではないかとの疑念が残る。是非とも納得できる説明が欲しい。

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