09.04.30朝日ジャーナル・斉藤貴男氏
2009年4月30日号・週刊朝日緊急増刊・朝日ジャーナルの
斉藤貴男氏の論文を読んでいて
朝日新聞系だからリベラル・左翼系なのかも知れない。
保守系・タカ派・差別主義的な人達として、三浦朱門氏、ノーベル物理学賞の江崎氏、石原慎太郎氏、小泉元首相らの言動などを批判しているようにも思える。
タカ派・愛国主義的な文化人・知識人について、何となく思うことがある。
西洋的な事で社会で成功しようとしながら、世界に認められなかった人に、そういう人が多いのではないのかという仮説である。
もっとも、穂影のように、何がなんでも社会で成功しようという根性が萎えているから、のほほんと、ハト派国際協調派モドキでいられるのだという意見もあろう。タカ派・愛国主義的でない凡人は無責任、根性無しということになる。
三島由紀夫氏は、和歌・俳句や漢詩というようりは、近代の小説家だから、西洋的なことで社会にデビューした人かと思う。能力、才能としても自分は日本人離れしているとの自負・自信が強かった人と想像する。それでもノベール文学賞は、川端康成氏、大江健三郎氏が受賞しても、三島氏はとれなかった。何故、自分は受賞できなかったという葛藤が、タカ派・愛国主義的、保守的な伝統主義に走らせるのではないかと想像してしまう。日本人として卓越している自分は日本人にしか評価できない、日本人よ日本人たれということになっていくのではないだろうか?川端康成氏、大江健三郎氏は外国に媚びていたから賞が取れたということになる。
はじめから、日本古来で勝負してきている日本の第一人者には、意外とタカ派・愛国主義的な人が少ないように思える。日本文化の世界への紹介について熱心な、他国の独自文化に対する敬意が深い、リベラルな国際派が多いような気がする。
スポーツでも、世界で通用する日本人選手は、タカ派・愛国主義的な人たちから英雄視もされるが、ご本人達は、外国のライバルを敬愛するリベラルな国際派の方々ではなかろうか。半端な選手だと、外国勢はズルイとかいって、タカ派・愛国主義的に走るかも知れない。柔道・相撲とかの将来、あるいは福原愛ちゃんや石川遼君の将来が心配でもある。
音楽家の故・黛敏郎氏は、タカ派・愛国主義的な印象を持たれていなかっただろうか?西洋音楽をやっていても、「世界の小沢」とかまでにはなれなかった。三枝成彰氏とかは大丈夫だろうか?
「国家の品格」の藤原正彦氏は、タカ派・愛国主義的な人とは言えないかもしれないが、保守系という印象の強い雑誌の取材をお受けになることが多くないだろうか。お父様は私の敬愛する新田次郎氏で、ある意味、重い十字架とも思う。数学者として立派な方でもあろうが、フィールズ賞とかの距離も気にしないではない。
藤原正彦氏は小川洋子さんの「博士の愛した数式」のモデルとも言われるが、それは事実だとしても、数学への愛情、フィールズ賞とからの距離はそうかもしれないが、ほんのチョッピりであろう。何より大切な博士の愛すべき性格は、小川洋子先生の全くのオリジナルかと思う。
ノーベル物理学賞の江崎氏の業績と能力が素晴らしいものであることは言うまでもないし、物理学以外の教養でも、穂影などがとうていおよぶところではない。でもDNAや遺伝学の知識、あるは人間観察の力量は本当の専門家と同列というわけにいくまい。同じノーベル物理学賞を受賞していても、広い教養と洞察で、数々の名著を残されている、湯川博士・朝永博士は高い壁かと想像する。小柴博士は、チームの業績と巨大資金ビッグサイエンスのマネージメンとの成果という謙遜があるようにも思える。世俗世間での人間的魅力としても南部博士・小林博士・益川博士・田中博士に負けてしまっているような口惜しさもあるかなと想像してしまう。
ところで、江崎氏はご自身の考えと芝浦工大の学長であることの折り合いをどうつけるのだろうか心配にもなってしまう。江崎氏が学長していると、東大、京大、早稲田より良いDNAが集まるのかしらん?でないと教育しても無駄???
あるいは努力はしていた、東大、京大、早大出身者のDNAの歩留まりが、あまりも悪かったという氏の観察経験なのかしらん?
石原慎太郎氏は文学者としての経歴があるのかないのか微妙ではある。ただ広い範囲の教養・知識でも、穂影などがとうていおよぶところではないし、石原氏は立派な教養人・知識人ではある。麻生総理なども遠くおよぶところではない。しかもエンターテイメントとして小説で成功しているのは、素晴らしいことである。実績で、勝てば官軍的に立派なクリエータである。やや低いレベルで人心掌握術に長けていたという証明はしている。ただ、政治家として実力者だからといって、むやみに、文学者・思索家としての大江健三郎氏とかを軽んじて、影を踏むに全く躊躇しないとしたら、やや問題ではあると思う。無論、創造的・発展的に大江健三郎氏らと激しい論戦をすることは別である。
人心掌握術に長けているという自信が、2ちゃんねる的な意見にゆずりすぎるという結果で終わると、石原氏のせかっくの大きく物事をつかむ力の可能性に、水をさすという結果にもなりかねないと心配にもなる。
計算通りに低いレベルでエンターテイメントで成功できてしまうというのは、どこか顧客を馬鹿にしている放漫さが残る。
ただ石原氏が説く、臆せずNOと言うべきときは言うというのは、とても大切ではある。
政治家としては、これからもあるが、物書きとしては石原氏の方がチャーチルより上かなとは思う。(読んだことはないが)。お国の為に石原氏の良さを生かすとして、策士として上である必要はないと思う。
自国を愛することの大切さは、自国を愛する他国の人々を敬愛・理解できてこそ意味のあることであろう。自国を愛したいがいゆえに、自国の現状を憎む気持ちも、自国民に対しても、他国民に対しても理解できる力も必要となろう。
私は、月並みな考えではあるが、矮小、いやしい、気質としての愛国主義、国粋主義、選民思想、差別主義を、美意識、美学的にも、理知の敵として忌避するのである。
| 固定リンク


コメント