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2008年8月 1日 (金)

反射光:自殺のすすめ:社会の狂気とは?

SAGAさんが、「自殺のすすめ」というのを書いています。読んでいて自殺以外の点で思ったことがあるので、つらつらと書いてみます。自殺については機会があれば、自分の考えをまとめてみたい。

ジャーナリズムの歴史というのは良く判らない。風評というのも世論を形成するものと1つと考えれば、ジャーナリズムというのは、江戸時代以前にも、それなりにあったという言い方もできるのかも知れない。

起源はともかくとして、将来的にも、ある意味、ジャーナリズムは、いい加減な面もあると言わざるを得ないような気もする。ジャーナリズムの宿命、普遍性の一成分と言ってもよい。

「ジャーナリズムは死んだ」なんて言い方も聞くけど、そんなもの、はじめから生き死に言うほどのものではない気もする。

職業的学識者というのも、ジャーナリズムの協力者、その一部であることも多々あるような気がする。変な犯罪があると、社会が悪い、社会を変えないと発言するような社会心理学のおえらい先生とかがそうである。日頃の勉強・研究がジャーナリズム同様のいい加減さでもある。

ジャーナリズムなんて、所詮エンタメなんだから、いてもいいし頑張ってもいいのかとも思う、同様に、そんな社会心理学のおえらい先生もいていいのかもしれない。

そもそも、昔と較べて世の中が変だという、ジャーナリズムお得意の、判断、思い込みが怪しい。

私がそう思うのは、「統計という名のウソ」「データの罠 世論はこうしてつくられる」「その数学が戦略を決める」と言った本を好んで読むせいでもあろう。ニュース便乗型の学識者の言動は、ジャーナリスト同様、あまり信じられない点は多々ありそうだ。

社会が悪い、社会を変えないという点から言うと、制度設計、教育、モラルとかの他に、人種改良・品種改良というのも視野に入れざるを得ない。

やっていいかは別として、私は日本人の平均身長を伸ばすとか、平均百メートル走のタイムを短くするとかの、人種改良はできると思う。繁殖、生殖行為を自由にさせないことで、ある程度時間をかければ可能である。

ただ、日本人の頭を良くするという人種改良は、とても難しいだろう。まず頭が良いという定義・定量が困難である。それと、例えて言えば、身長とか百メートル走とかは、より脳幹に近い部分のことで、DNA的にも安定していて、品種改良しやすいのだが、頭の良さ的な大脳皮質よりのことは、偶発的、不安定で品種改良しにくいんじゃないかと想像される。

サラブレットって、人間によくなつくし、従順だから、一見賢そうだが、はたして馬なりの知能が高いといえるのだろうか。野生に離たれて、生活判断力がなくて死んでしまうのなら、野生馬より知能が低いとも言える。

たぶん、大脳皮質よりのことは、自然界(神?)は、進化・品種改良的に興味・関心の埒外かと思う。きわめて付帯的なことだ。自然界(神?)から見れば身長1cmの違いは非常に大きいが、東大に入れるかどうか、ノーベルー賞がとれるかどうかの頭の良し悪しの違いなど、誤差ほどにも興味がないことで、その発現のゆらぎを抑えたいほどのことでもない。紙一重とは良くいったものである。

現在、世界で体格や肌の色など、人種での差は大きい。でも先天的な大脳皮質的な頭の出来の差はほとんどないと思う。そんなもの、差というほどのものではないのだ。

人為的な品種改良の最大の問題点。DNAの多様性を枯渇させることの問題点。人工的に品種改良された人種は滅亡する確率が高い。変な病気がはやると一発で滅びる。生き残れる例外がいないのだ。

大脳皮質などの活動の活性は、個体のDNAでの伝承を期待しても、あまり意味はない。それは文字や文化などで伝承されるべきものだろう。ミームである。この点、DNAに期待されるのは将来の発現のゆらぎである。

私はまだ実存が好きだしこだわりがある。自分の実存をミームに託して継承して欲しい。大々的に知らしめなくても良い。スモールワールドで継承するだけでも良い。たいそうな実存でなくても良い。きっとそれには意味があるのだ。甥っ子、姪っ子の子孫、友達の娘、息子の子孫に、影響を及ぼすことだってあるのだ。ネット上のゴーストとして継承され、どこかの時空で再結晶、再結像化されるのだ。実用的に社会に役に立っているかどうかだけで判断した実存なんて、つまらない。伝承して未来の勇気につながる実存であって欲しい。苦しみのない未来なんて、ありえない。

狂気、狂気と騒ぐが、昔はなかったという根拠は一体、何なのか? 東大出身の医学部の教授が、エイズ菌、B型肝炎菌をばらまく。自分は権威のソファーにふんぞりかえって、多くの人間が病苦でのたうちまわるの想像して楽しんでいたのだ。歴代の米国の大統領、日本の総理大臣にも、これに似たりよったりの者がいたとも想像される。

日本には戦国武将英雄のファンも多い。戦争という殺人の狂気は強いて言わないとしても、戦国武将英雄の中に悪趣味の狂気を持っていた人間がいなかったと言い切れるのか? 行政の治世の為の弾圧とは別に、町娘、農家の娘を、猟奇的に虐待して、娯楽として楽しんでいた奴がいなかったと言い切れるのか。武士が辻きり、お手打ちを楽しんでいなかったと言い切れるのか?

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コメント

目的のない八つ当たりの無差別殺人は少なくとも現存する犯罪史において昔は少ないです。おそらく江戸時代以前も精神異常者による事件はともかく、誰でも良かった、みたいな事件は少ないと思いますよ。もちろん証明はできませんが。

なぜなら動機のない無差別殺人をあつかった時代小説や現代小説がミステリーや娯楽小説に出てきたのはこの十数年だからです。松本清張はもちろん、横溝正史も乱歩も、時代小説家も殺人には必ず動機がありました。もし動機のない殺人が横行していたならプロはそれを描いていたでしょう。

怨恨、強盗、性欲や出世欲、宗教的なもの、穂影さんのいう猟奇的な快楽もちゃんとした動機です。旗本侍の横暴とかもちゃんとした動機がある暴力です。最近おきているものはそうじゃありませんよね?

投稿: SAGA | 2008年8月 1日 (金) 16時35分

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